濹東綺譚ニ寄ス

永井荷風の『濹東綺譚』を再読。

江戸漢詩と戯作・人情本の情緒に溢れた,孤高の西欧的知性は,私の渇仰の的である。しかしながら,『濹東綺譚』をはじめとする彼の花柳小説は「抒情的フィクション」として楽しむばかりであって,荷風のフィクショナルな人生と同様,その描写の「ウソ臭さ」には時折り辟易してしまう。それについてはまたどこかで自分の考えを整理したい。

その後,『濹東綺譚』— というかその解釈 — のウソ臭さについては,「永井荷風『濹東綺譚』— 勘違い恋愛小説」,「映画『濹東綺譚』」に書きました。[2012.11.6 付記]

『濹東綺譚』の雰囲気に侵されて,漢詩を作ってみた。七言絶句仄起式平韻偏格。ちょっと語に無理があり杜撰の誹りを免れないのだけれど,平仄は合っていると思います。もちろん,自作のツール「misima 漢詩作成支援 - 平仄音韻分析・詩語検索」を使って拵えたものである。一応,書き下し文も付けておきます。

  寄荷風先生濹東綺譚 — 荷風カフウ先生センセイ濹東ボクトウ綺譚キタンス。功散人,22 July, 2012

墨水來東雨沛然  墨水ボクスイノ東ニタリ 雨沛然ハイゼンタリ
夜光蒸鬱妓樓咽  夜光ヤクワウ蒸鬱ジヨウウツトシテ 妓樓ギロウケム
菖花插繖房門靠  菖花シヤウクワカサニ挿シテ 房門バウモン
窻下聽靴霽月還  窻下サウカクツケバ 霽月セイゲツカヘ

『濹東綺譚』の濹字は,作品の説明(『作後贅言』)によれば,江戸の漢詩人・林述斎が「墨田川を言現すために濫に作った」もの。『漢字源』では国字に分類されている。さんずい付きで川の風情があってよいのだが,国字は漢詩では禁止事項ということもあり,私は墨字を使いました。

* * *

ある人から意味がわからんと言われたので。

墨田川の東に来た 雨がしとどに降っていた
夜の灯りが蒸し蒸しと鬱陶しい 妓楼は雨に咽っていた
菖蒲を傘に挿して 部屋の戸口に立てかけてある
窓の下で外の靴音に耳傾ける 霽れた月がいつかの姿で戻っている

『濹東綺譚』には,もちろん,こんなシーンはない。荷風先生,お雪さん,お幸せに,ということで。小説は昭和十一年に書かれた。この年は二・二六事件が起こり,次第に軍靴の音が騒がしくなって行く世相である。けれども,荷風作品にあってはその気配は微塵も感じられない。

* * *

漢詩を LaTeX で組んでみた。以下はその画像と原稿。

zekku-09-bokuto.png
% -*- coding: utf-8; mode: latex; -*-
% 七絶 2012.1--2014.2
% $Id: shichizetsu.tex 11 2012-07-22 13:10:55Z isao $
\documentclass[12pt,b5paper]{tarticle}
\usepackage[T2A,T1]{fontenc}%
\usepackage[russian,japanese]{babel}
\usepackage[deluxe,expert,multi,jis2004]{otf}% OTF 和文(齋藤氏)
\usepackage{sfkanbun,furikana}% 漢文訓点・縦組振仮名パッケージ(藤田先生)
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\newcommand{\cpright}{%
  \hfill\copyright\ \raisebox{0.308em}{2012--2014, \textit{isao yasuda.}}}%
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~\par
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\daisakushai{寄荷風先生\CID{15395}東綺譚}%
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\kana{來}{キ}タリ 雨\Kana{沛,然}{ハイ,ゼン}タリ \cr
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\kana{\CID{14035}門}{バウモン}ニ\kana{靠}{ヨ}ル \cr
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\kana{聽}{キ}ケバ \kana{霽\CID{13746}}{セイゲツ}\kana{\CID{13692}}{カヘ}ル \cr
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\vspace{2zw}
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墨田川の東に来た 雨がしとどに降っていた\\
夜の灯りが蒸し蒸しと鬱陶しい 妓楼は雨に咽っていた\\
菖蒲を傘に挿して 部屋の戸口に立てかけてある\\
窓の下で外の靴音に耳傾ける \kana{霽}{は}れた月がいつかの姿で戻っている
\end{quote}
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pLaTeX2ε入門・縦横文書術
藤田眞作
ピアソンエデュケーション