令和 — 初春の令月にして,氣淑く風和ぎ…

五月一日の御代替わりの新しい元号は「令和」と決まった。万葉集巻五,梅花の歌三十二首の序文の一節から採られたとのこと。

時に,初春の令月にして,氣く風やはらぎ,梅は鏡前の粉をひらき,蘭は珮後はいごかうくんず。
日本古典文学大系『萬葉集 二』岩波書店,昭和三十四年,73頁。

鏡の前の美女の白粉のように白い梅花,嚢中のお香のように薫る蘭花という,清く美しい和の花の背景が麗しい。なるほど,めでたい元号ではないか。

しかしながら,「令和」という元号に対して,予想通り,左がかったインテリたちは日本の右傾化を象徴していると息巻いているらしく,例にたがわず,このめでたい新元号発表に不愉快な一石を投じてくれている。

欧米メディアには,漢籍の伝統に反し国書から採用したのは,中国に対抗しナショナリズムに傾く日本の国情の現れだというような,独善的な論評をなすものもあるようである。

また,「令」は命令の令であり「和」を強制するとは安倍の独裁も極まった,などというのも見た。「令」は「巧言令色」にあるように悪い意味だ,というバカ左翼もいた。「令」は「気品があって麗しい」という意味(「令嬢」の「令」)があることを,頭から無視している。「令子」という名の女性は数多くいるが,それは「悪い意味」なのだろうか? 人を侮辱していることがわからないのか。

そしてまた,元号は天皇制の時間軸を国民に強制するものだ,と,またぞろ,日本共産党は日本の伝統を否定するのに忙しい。これと同じように,天皇に結びついた元号を押し付けられるのは,国民の基本的人権の侵害であり,憲法違反だ,として裁判所に訴え出たバカな八十ジジイもいた。見境なく人権尊重を振りかざすバカジジイ。さらに,西暦を使えという主張は,キリスト教の時間軸を国民に強制することである,となぜに思い至らないのか。1960 年代に学生運動にかぶれた世代は,ホント,傍迷惑な存在である。いったいどこまで日本の老人は愚鈍なのか。もちろん,皆が皆ではないが。おまけに,もっともよい条件で年金を貰っているから,いよいよ頭に来るんである。

これらはすべて,己の Anti-Japan,反安倍政権の立場を説明するか,人権をはき違えているか,もしくは,元号というわが国柄のひとつを貶めたいに過ぎない。おまけに,その主張の過程で,「令子」さんに対してまったく意味のない侮辱的言説をなしていることにすら気づいていない。

もう一方で,今回,元号史上はじめて国書を典拠としたことが大きな話題となったわけだが,「初春令月,気淑風和」という文言は,中国古代の有名な詩文集『文選』にある「仲春令月,時和気清」に淵源があり,万葉集から採ったというのは間違いだ,などと衒学的なことを言うイヤミな野郎もいる。元号を決定した内閣が「万葉集から採った」と公に言うのだから,この出典議論はなんの意味もない,ただのバカ丸出しの学者気取りである。

はっきり言って,日本の古典が中国古典詩のレミニッサンスに満ちているのは当たり前であって,この愚か者の論理がまかり通ると,韓国人の病的なお家芸である「なんでも韓国起源説」と変わりがなくなってしまう。「米国産の小麦粉を使ったからと言って,日本人のパティシエが日本で作った美味しい菓子を米国産だと言うバカがどこにいる?」と,ある人がうがった譬えをしていた。

「初春の令月にして,氣淑く風和ぎ,梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫ず」は明らかに漢文調である。ここから漢文を俺なりに「再構成」してみると,「初春令月 氣淑風和 梅披鏡前粉 蘭薫珮後香」となるだろう。さらに梅,蘭に対し中国風に梅花,蘭花と花字を補うと,「初春令月 氣淑風和 梅花披鏡前粉 蘭花薫珮後香」。平仄は○○●● ●●○○ ○○○●○● ○○○●●○。対句・平仄も見事な四六駢儷体となる。この序文を書いた古代日本人の漢籍の教養を推し量ることができる。

このように,元号「令和」は漢籍の文言に拠るという元号の伝統をもきちんと踏まえている。その上で,万葉集というわが国最古の詩歌集を直接の典拠としたわけである。しかも,万葉集は,天皇,貴族から兵士・乞食・売春婦にいたるあらゆる社会階層の人々の作品から構成されているという,世界に類をみない「国民的・民主的」詩歌集である。まさにその点で,「令和」は,日本国民の統合を象徴するに相応しい,たいへん美しい元号だと思う。こんなクールな元号を発案し決定してくれてありがとうである。

新元号発表直後に讀賣新聞社が行った緊急全国世論調査では,「令和」に好感をもっているとした人は 62% で,国書から採られたことを評価するとした人は 88% に上った。やはり,日本国民は総じて,上記の偽善的左翼,インテリぶったバカども(ホント,頭に来る!)とは違うのだ。安心した。

ここで改めて,典拠となった序文をすべて引用しておきたい。

 梅花の歌三十二首
天平二年正月十三日に,そちおきないへあつまりて,宴會をひらきき。時に,初春の令月にして,氣く風やはらぎ,梅は鏡前の粉をひらき,らんはいかうくんず。加之しかのみにあらずあけぼのの嶺に雲移り,松はうすものを掛けてきぬがさを傾け,夕のくきに霧結び,鳥はうすものめらえて林にまよふ。庭には新蝶しんてふ舞ひ,空には故雁歸る。ここに天をきぬがさとし,地をしきゐとし,膝をちかづさかづきを飛ばす。ことを一室のうらに忘れ,ころものくびを煙霞の外に開く。淡然にみづかほしきままにし,快然にみづから足る。若し翰苑あらぬときには,何を以ちてかこころべむ。請ふ落梅の篇をしるさむ。古と今とをそれ何そ異ならむ。園の梅を賦していささかに短詠を成すし。
同前。

師匠の家に仲間が集い,令月,やわらかな風,白い梅,芳しい蘭,曙光をおおってたなびく霧,蝶,帰る雁,など初春の麗しい暁の風景のもと,酒宴を囲み,各々気ままにくつろぐうちに,ある者がいまのこの快いこころを表して梅の歌を詠もうと提案し,そして仲間が詠んだ歌三十二首を掲載する,というのが要旨である。

安倍総理が令和発表後の談話において「人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べたのも,この序文全体から読み取れる,仲間が集まり美しい自然に喚起されて酒宴を和やかに楽しむなかで詩を生み出して行く,ということを踏まえているのである。

五月一日の御代替わりとともに,令和という新元号を,俺もこころから寿ぎたい。

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2019.4.1 讀賣新聞夕刊
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ところで,四月一日,令和が公にされたわけだが,もう一方で働き方改革法が施行される運びとなった。個人的な意見としては,めでたい新元号発表の影に隠れるように,くだらない悪法が施行された,という感じなんである。

さしあたりは大企業が対象であるが,来年には中小企業もこれに従わなければならない。うちの会社でも,法改正が国会を通過したときから,残業規制の厳しい通達が回って,幹部が口うるさく労務管理を言うようになった。なにせ,この法律に違反する事案がたった三発出たら,その企業は官庁調達において指名停止を食らうのだから。

もちろん,「日本人は働き過ぎ」という国際常識からみた考え方や過労死問題を軽んじることはできないが,法律で雁字搦めにする話かは疑問である。先日,体罰禁止の児童虐待防止法改正案が閣議決定したこともそうだが,共同体が法律とは独立して対処すべきことを,法律で政府なり自治体なりが強制するというのは,共同体が機能しなくなっていることの現れのように思われる。要するに,問題は行政とは別のところにあるのではなかろうか。

俺からすれば,働いて働いて,それで稼いで何が悪い,である。サービス残業の評価基準を決め,対価のない不当労働の強制を取り締まるだけで十分ではないか?

韓国の文在寅政権は,経済状況を踏まえずに最低賃金を上げるという,馬の前に荷車を繋ぐような愚かな政策を推し進めた結果,企業が採用を見合わせ,若年層の失業率を悪化させている。弱き者の味方みたいな政策が,結局弱き者を路頭に迷わしているのである。

それとまさに同じように,働き方改革法は,思うに,サービス残業をより深刻にする。だって,法が認める残業時間上限が下がるのに応じて,支払われる残業代が下がるのは目に見えているからだ。あるいは,真面目にこの法律に従う企業に対しては,生産性向上が果たせないと,必要以上に雇用を増やさせ固定費増大を余儀なくし,収益を悪化させる。これが,ひいては国富を低下させ,日本経済をいよいよデフレ化させることになりはしないか。

ゆとり教育と同じで,結局はよろしくない方向に行くと思われてしかたがない。これで十月に消費増税? 追加教育のゆとりのない家庭の子供の能力をさらに低下させ,経済的弱者をさらに弱体化させる。ふざけんな。