ドナルド・キーン『日本の文学』

本日二月二十四日,ドナルド・キーンが亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。

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高校二年のとき,彼の『日本の文学』を吉田健一訳,中公文庫(昭和 54 年)で読んだ。

高校の古文の授業で日本の古典和歌などを学ぶわけだが,掛詞や縁語,枕詞などのわが国の特殊な文藝手法については,それらが伝統であるということ以上の文藝学的意味論などについてほとんど教えられることはない。「こういうのが伝統」でほぼおしまい。文藝手法,レトリックの観点で,現代文学,世界文学のなかで,どのような文藝的意義や特長があるのか,なんてほとんどまったくスルーされるのが常ではないかと思う。

掛詞なんて,日本語は音の種類が少なく同じ音の言葉が多いので地口,ダジャレが容易であり,日本古典においても面白半分の言葉遊びが文学的手法になってしまったのだろう,程度の想像を個人的にはしていた。

でも,ドナルド・キーンの『日本の文学』を読んではじめて,掛詞や縁語等の日本のレトリックが,西欧文学の知性で捉えても,日本の文学表現を驚くほど豊かに,複雑に,高度に洗練させていることを,「わかりやすく」説明してもらったように思う。高校生のころのその感動を今でもはっきりと覚えている。日本人によってではなく,アメリカ生まれのドナルド・キーンによって,はじめて日本の古典の凄さを教えられたように思う。

[…] 悲劇的な印象をさらに深くするための掛け言葉も発達して,時には,詩人が一篇の詩の終わりまで全く違った二組の影像を並行させて,少しも破綻を来さずにいることもある。例えば,
 
  消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露    定家
 
という歌はそのように二通りに解釈することが出来て,その一つは,自分は死にたくて,心変りしやすい相手にもう飽きられたのが辛くて自分は森に降りた露も同様に弱っている,というのであり,この歌の音を別な意味に取れば,風が吹き荒ぶ森の露は秋の色が変るのとともに消えてゆく,ということになる。そしてこの何れの解釈も完全なものではなくて,それは詩人の精神のうちでは言葉は絶えずこういう二組の影像の間を往復し,そのために,秋風に吹かれてたちまち消えてしまいそうな露は,恋人に捨てられて,自分が何故まだ生きているのか解らない女と一つになっているからである。露は単に女の状態を語るのに(また,女が流す涙を暗示するのに)比喩的に用いられているのではなくて,それは自然現象としての露でもあり,詩人はこの歌でその両方に表現を与え,いわば,何れもそれだけで完全でありながら,互いに離れられるものではなくなっている二つの同心円を,言葉の上で描くことに成功している。
ドナルド・キーン『日本の文学』吉田健一訳,中公文庫,昭和 54 年,16頁。強調引用者。

僕が強調を付したような明解な論理でもって,掛詞の影像の往復あるいは同心円構造の性質を伝えてくれた先生がいただろうか。なんでこのように,「伝統」ですまさずロゴスでもって対象の特長をきちんと日本人が教えてくれないのか。高校生のころ,このように思ったものだった。また別のところで「日本語のこういう性格は時に,そして殊に能楽では,絃楽の三重奏か四重奏を聞いているような効果を生じることになり」云々というような美しい譬で,日本語と日本文学の特性をドナルド・キーンは教えてくれる。

日本の古典の特徴を説明するに際して,欧米の文学観との差異を明確にするために,シェイクスピアの演劇やモーツァルトのオペラとひき比べる比較文学観点もあり,わが国の古典の偉大さを,日本人にとっての単なる自画自賛としてではなく,理解させてくれたのである。

本書の解説を書いているのは,ドナルド・キーンの友人でもあった三島由紀夫である。三島の自己流にして,従って表層的な – 作家であるからには己の美的感覚で古典を解釈しようとするのは致し方ないのかも知れないが – 日本古典文学理解に比べて,ドナルド・キーンの解説は視野もより広くかつ深い,といまだに僕は思っている。日本人ではなくアメリカ人 – その後ドナルド・キーンは東北大震災後日本に帰化したので,名実ともに日本人なのだが – によって日本古典文学の蒙を啓かれた,というのが,思うに,わが国の(わが国らしい)皮肉である。

海外の友人から日本古典文学について何か一冊お薦めの解説書がないかと問われれば,迷うことなく,ドナルド・キーンの本書のもとになった “Japanese Literature: An Introduction for Western Readers ” を上げる。日本人もきちんと理解できていないことを日本人よりも深く理解している欧米人が解りやすく解説した本として。

いまアマゾンで調べたら,『日本の文学』中公文庫版は古書でしか見当たらなかった。ドナルド・キーンは『日本文学史』という大著において,包括的に,詳細に,専門的に日本文学について述べている一方,『日本の文学』は,もともと,西欧の知識人向けに日本文学の美点を明確にかつわかりやすく書いている名著であってみれば,手軽に入手できる版が今のところ古書でしか手に入らない,というのはちょっと残念である。新刊では,新潮社から刊行された著作集第一巻に収録されている。

日本の文学 (中公文庫 M 11-4)
ドナルド・キーン
吉田健一訳
中央公論新社