今日,上野・東京藝術大学の奏楽堂で,英国のオルガニスト,ティッターリントンのオルガン演奏会を聴いて来た。腹に染み渡る荘厳なパイプオルガンの音響を俺ははじめて体験した。演目は次の通り。

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藝大奏楽堂のガルニエ・オルガン
  1. D. ブクステフーデ:トッカータ ニ調 BuxWV 155
  2. J. S. バッハ:『おお,神の子羊,罪なくして』BWV 656
  3. J. ネアズ:イントロダクションとフーガ イ短調/イ長調
  4. S. ウェズリー:ヴォランタリー ニ長調 KO 623
  5. J. C. H. リンク:コレッリの主題による6つの変奏曲 作品56
  6. E. エルガー:オルガン・ソナタ第一番 ト長調 作品28 〜 第一楽章
  7. W. バード:ヴァージナルのための『私のネヴェル夫人の曲集』より「ファンシー」
  8. H. ハウエルズ:『タリス氏の遺言』
  9. J. ブラームス:前奏曲とフーガ イ短調 WoO 9
  10. P. エベン:『ヨブ』より第7曲『懺悔と具現』最終部分『来ませ,造り主なる精霊の神よ』
  11. P. エベン:『聖日曜日の音楽』より『モート・オスティナート』

一七世紀の古楽からロマン派,現代音楽までの,耳にしたことのない作品ばかりのプログラム。一流のオルガニストによるマイナー曲の演奏会ということで楽しみだった。

俺的にはブクステフーデがいちばんよかった。ハウエルズやエベンの現代曲も,オルガンの多様な音響を駆使して面白いと思った。ブラームスにもオルガン曲があるというのを初めて知った次第だが,堂々たる前奏曲とフーガですごくよい曲なのだが,どうもバッハのハ短調前奏曲とフーガのたたずまいがすぐに連想されて,ロマン派ブラームスの曲というよりは,バッハの伝統の忠実な受容・模倣のような感じが否めなかった。

上野公園では子供たちによる舞祭というイベントが催されていた。その露天で焼きそばを買い食いして帰宅した。著莪の花がたくさん咲いていた。もう初夏である。

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上野公園の著莪

サイト開設 20 周年

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3 月 7 日,本サイト NOX INSOMNIAE を開設して 20 周年。Movable Type を使ったこのバカブログも開設 12 周年を越えてしまった。

1998 年ころは,IBM ThinkPad 560E に FreeBSD を入れて,UNIX アプリケーションでロシア語をどのようにして扱うかに血道を上げていた。テキストエディタ GNU Emacs をはじめ,仮想端末,グラフィックソフトウェアにおいて,キリル文字を入力する,表示・出力する,程度のことですら,当時の日本では「研究」しなければならなかった。とくに文書整形システム LaTeX を覚えてからは,Babel 多言語パッケージのロシア語言語定義ファイル,ハイフネーションパターンファイルを解析し,CTAN から様々なキリルフォントを取り寄せては,ロシア語文献の高品質な再現に情熱を傾けていた。

そのころ,仕事で肉体がボロボロになり,肺結核などという古風な病を得て,東京瀬田の隔離病棟に収容されてしまった。世の中から隔絶され,世界に悪意を抱いていた。やることといえば,寝て,起きては,飯を食い,病棟裏手の原始林を散歩し,抗結核薬を服用し,看護士にケツを捲られストマイの筋肉注射を打たれる。少し本を読み,たくさん音楽を聴き,談話室からかっぱらってきたエロ週刊誌を眺める。大塚寧々や菅野美穂のエロチックなグラビアで劣情に苛まれる。そして,Russian on FreeBSD の営み。プーシキン全集テクストの CD からデータを抽出し,単語解析プログラムを書き,Web CGI アプリを書いて,単語統計・コンコーダンスシステムを構築した。

あるとき,原始林の散歩から病棟に戻ったら,ベートーヴェンの第九が高らかに鳴り響いていた。談話室のテレビで患者たちが長野冬季五輪の開会式を観ていたのである。小澤の指揮による五大陸同時演奏。廊下の窓から光を浴びた冬枯れの樹々を眺めながら聴いたその第九に,魂を揺さぶられた。

そのとき,病床でしこしこ蓄積したロシア語ノウハウやら,プーシキン単語統計コンテンツやらを公開しようと思いついた。人間界との繋がりを取り戻す。それからサイト設計を始め,せっせと一月かけて本サイトの最初のバージョンを準備した。寝て,起きては,飯を食い,病棟裏手の原始林を散歩し,抗結核薬を服用し,看護士にケツを捲られストマイの筋肉注射を打たれ,少し本を読み,たくさん音楽を聴き,談話室からかっぱらってきたエロ週刊誌を眺め,サイトの HTML をコーディングした。夜中に,病棟のモデムモジュラー付き ISDN 公衆電話に ThinkPad を繋いで,DTI スペースにアップロードした。当時はまだ電話回線による数 10 kbps の低速 PPP だったので,ftp にけっこう時間がかかり,イライラさせられたものだった。

macOS High Sierra TeX Live 2017

macOS を使っていると,あるパッケージのインストール時に,OS のバージョンがサポート対象外なのでインストール出来ないという状況がしばしばである。macOS の最大の欠点は,サポート期間が短くかつ上位互換性を平気で無視してくれることである。そのパッケージ使用を諦めるか,「また遅くなるのか」とブツブツひとりごちながら,いやいやながら,OS バージョンアップに取り掛かることになる。そして,バージョンアップ後の様々なアプリケーションソフトウェアの再調整を覚悟することになる。計算機にコキ使われていると実感する時である。

かくして,macOS Sierra を High Sierra にバージョンアップ。そしてやはり,メモリを大食いする macOS の本来的性質のおかげで,かな漢字変換程度でも速度低下が著しく感じられるようになった。メモリを 4GB 搭載していても,Safari,Emacs,ターミナルを起動すると,ほぼ物理メモリを使い切ってしまう体たらくなのだ。さらに,俺の大事な文房具である文書整形システム TeX Live の PDF 生成において,ヒラギノ日本語フォントが拾えなくなってしまった。どうやらヒラギノフォントのパス名などが High Sierra で変わってしまったようである。macOS のもうひとつのダメなところとして,内部構造をころころ変えてくれる。また TeX Live の調整かよ。予想に違わず,計算機にコキ使われていると実感した。俺の残り少ない人生の時間を浪費させないでくれ。

日本の LaTeX ユーザの拠り所となっている TeX Wiki サイトを調べたら,macOS High Sierra での日本語フォント環境の調整の問題について議論がちゃんとなされていた。そこから『macOS High Sierra + Texlive 2017 + ヒラギノフォント』ページを探り当て,この記事に基づいてオペレーションを行うことにより,TeX Live 2017 が以前と同じように使えるようになった。

macOS Sierra においてすでに TeX Live 2017 の導入・調整が完了していれば,このページの cjk-gs-support 及び jfontmaps の項について順次実施すればよい。これによって,High Sierra で変更されてしまったフォントパスを TeX Live から参照できるようシンボリックリンクが張り替えられ,PDF 生成ソフトウェア dvipdfmx のための map ファイルが再調整される。

俺は sudo tlmgr update --self コマンドによって TeX Live システム一式をアップデートしたあとで,これを実施したが,何の引っかかりもなく作業が進み,正常動作も確認できた。LaTeX コミュニティに多謝。

妓王の事 – 平家物語

面白いもので,藝技,遊女,いまで言えば,芸能人というのは,昔から,どんなに出自が卑しかろうと,藝や容色において優れていると,権力者の周辺に招かれ,権力者その人から直接の庇護・援助を得られ,権力に食い込むことが出来る。日本史において,これは武家・世俗政権のみならず,皇室権力についても同様である。アソビ女は,階級・貧富を超え,上下貴賤を往来できる特別な存在だった。

平安末期,後白河院が,娼婦に近い生業を生きていただろう白拍子や傀儡女を邸に招き入れて,今様の研究に没頭し,その成果を『梁塵秘抄』として遺したことはよく知られている。鎌倉時代に成立したとされる『平家物語』にも,『妓王の事』という,平清盛に愛された白拍子・妓王のエピソードがある。

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『平家物語』角川文庫版

仏御前は,当世めでたき入道平清盛に己の白拍子の藝を売り込みもうと清盛の邸に押しかけるも,当然アポなしでは面会も叶わず,門前払いを食らう。平清盛の愛人・妓王は,自分と同じ白拍子である仏御前を憐れみ,清盛に仏御前の藝を観るよう進言する。妓王の望みとあらばと,清盛は仏御前を招き入れ,その今様を聴き,舞を観る。清盛はたちまち彼女の藝と色香の虜となり,仏御前を半ば無理矢理に愛人として迎え入れ,この上は妓王を冷たく追い出してしまう。

妓王は次の歌を遺して,最高の権力者に疎まれた上は,母,妹とともに出家する。

萌え出づるも枯るゝも同じ野邊の草いづれか秋にあはではつべき

この仕打ちに妓王を憐れんだ仏御前も,妓王を追って己自身も出家してしまう。萌え出づるも枯るゝも同じ,という同様の思いからだろう。

『平家物語』は,よく言われるように,「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり」の冒頭が象徴する,栄える者は必ず衰えるという末世の世界観が全編に通底している。語り手は,その客観的な語りの立場を逸脱して,仏法の末世を嘆き,滅びゆく者を憐れむ。『妓王の事』は,このコンテクストにおいて,愛される美女もいずれは飽きられ捨てられるという,諸行無常,盛者必衰のモチーフの変奏といえる。

平安貴族・武家・寺社の政争と戦乱の一大叙事詩に,かくして藝能の女性のエピソードが細やかに挿入されている点は,語りの題材の幅の広さのみならず,日本のアソビの伝統における遊び女(藝技,遊女)と権力との関わりをも象徴的に表しているようで,『平家物語』の極めて興味深いところである。

Japanese Rock on YouTube

年末,恒例の紅白歌合戦を楽しんだ。しかしながら,登場するミュージシャンの顔ぶれには,オリコン,有線放送における人気ランキングよりもむしろ,NHK とその背景にある保守的・事勿れ主義的・予定調和的な力が働いているとしか思われず,現在の日本の音楽がどのような傾向にあるのか,音楽の実力がいかばかりか,というようなことを推し量るに足るものは,どこにも見出せなかった。これは紅白歌合戦のここ十数年の傾向なので,いまさらどうのこうのいうことではないかも知れない。そもそも日本の音楽はいわゆる J-POP,歌謡曲だけではない。

それにしてもだな。音楽的に感心させられるところがひとつもないというのはどういうことか。だから,紅白は,音楽好き若者の絶対に見ない,年寄りの年寄りによる年寄りのための風物詩に成り下がっているように思われる。一言でいうと,藝術に欠くべからざる「毒」の要素がまったくない。だって,そんなの年寄りの健康に障るではないか。もっと言うと,若者は,NHK のみならず,もはや,テレビとは別のネット媒体に本当の音楽を求めている,と俺は想像する。

俺も,会社員なのでテレビやラジオを視聴する時間帯は限れらているし,しかもその時間では,連日のようにモリカケ騒ぎ,松居一代騒ぎ,相撲協会騒ぎ,などなど,くだらないクソ事案に明け暮れていて,もうテレビの良識にはウンザリしてしまっている。「真実」ではなく「扇動」しか感じない。音楽の「真実」をウォッチするには,俺の場合,YouTube が欠かせない。

俺は YouTube で,世の音楽ファンから何年も遅れて,和楽器バンドを「発見」した。和楽器バンドは YouTube に投稿したミュージックビデオ『千本桜』で人気に火がついて,レコードセールス,ライブ観客動員でも成功を納めた。こういうところからも,俺は確信した。一般の若者も俺と同じような行動様式なのだと,俺よりずっと先を行っていると。そして,「真実」はテレビではなくネットにあると。

年明けの休みの日がな一日,どこにも行かず家に引き籠って,一休さんの漢詩集『狂雲集』を読み,YouTube で J-Rock を漁る。陰陽座と妖精帝國に魅せられた。ここではそれぞれ二曲ずつ。いずれも物語性で脚色されたヘビメタ。この期に及んで。やりたいようにやっている日本のサブカルの方が俺の眼に魅力的に映る今日この頃。

陰陽座『青天の三日月』

耀ふ闇と 闇がる光を 草薙の太刀で 慥かみて…
我が眼に 燃ゆる紫電が 閃く…

草薙の太刀の紫電の煌きがポップミュージックの詞で言及されるなんて,俺には想像も出来なかった。こんな詞は,若者はおろか,七十の老人にも理解されないはずである。もっと古い大正時代の右翼モダニストか,ある種の復古的趣向の持ち主にしか響かないと思う。こういう古風な歌詞が若者の心に響くのかはなはだ疑問なわけだが,示威的・攻撃的なまでの古典的和のスタイルこそが陰陽座のアイデンティティになっていることは理解出来る。

女声ヴォーカルのシャープで伸びのある声,男声ヴォーカルの低音声がいい。ツインのリードギターも重厚かつ色彩豊かですごい。キモノで演奏するロックバンドって,見た目にも意外とカッコいい。

和楽器バンドが江戸の歌舞伎風豪華絢爛だとしたら,陰陽座には室町戦乱の荒廃した京都・羅生門の百鬼夜行を感じる。いやいや,いまの若者の目指すところは面白い。

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陰陽座『雲は龍に舞い,風は鳳に歌う』

龍は雲に舞い,鳳は風に歌うということを主客逆転させるレトリックが曲名に働いている。これは倒装法といって漢詩の伝統的技法だ。

松尾芭蕉も漢詩から俳味を取り入れる試みの過程で,倒装法を働かせた「鐘消えて花の香は撞く夕哉」という句を詠んでいる。消えるのは花の香だし,撞くのは鐘なのだが,この関係性を逆転させて,イメージが黄昏のなかで溶け合う味を出している。

このように,陰陽座は,わかる人にはわかる言葉の巧みを見せつけているようで,面白い。音楽とはあんまり関係ないけど,言葉への志向こそが彼らの音楽の根元にあると俺は思う。音楽的には日本の和の語法は感じられず,むしろ,西欧的なクラシカルなオーケストレーションを取り入れた,オーソドックスなロックバラードである。

妖精帝國『Astral Dogma』

妖精帝國 Das Feenreich。なんと。ちょっとイタいオタク色に満ちたゴシックロリータ趣味のヴィジュアル。チェンバロ,教会風女声コーラスが醸し出す異端的いかがわしさ。大正風淫靡。ユダヤ的秘蹟。誇大妄想的雰囲気。たまりませぬ。歪んだ和製バロック,サブカルロック。ご無礼をお許しあれ。

ヴォーカル YUI 様(Wikipedia によれば 325 歳以上とのこと。かなり前から活動しているヘビメタ・バンドのようである)のアニメ声優っぽい痩せた声と,重厚なリズムセクションとの組合せは,それでも,けっこう脳髄を冒されるものがあります。早口のタイトな 4 拍子から,インテルメッツォというのか,テンポを落とした 3 拍子の間奏部に移るところ,音楽的技量を感じた。

空中庭園の古びた羊皮紙は父の遺した 桂花の薫り
滲むインクは今際に認めた最期のメッセージ

妖精帝國『空想メソロギヰ』

Consentes Dii, Juno, Jupiter, Minerva, Apollo, Mars, Ceres, Mercurius, Diana, Bacchus, Vulcanus, Pluto, Vesta, Venus... 早口でローマの神々の名を列挙するラテン語の断片がなかなかでございます。Ju をユ,Ce をケ,Ve をウェと発音しているところも,超クール。クラシカルなストリングス,女声コーラスがファンタスティック。

さあ,Eins, Zwei, Drei! 死を躱して…
【2018.1.19 付記】

その後,妖精帝國『空想メソロギヰ』はアニメ『未来日記』のテーマ曲だった,ということを知った。2011 年後半のテレビアニメだというから,もうかなり前の話である。妖精帝國の誇大妄想的いかがわしさは,そう言われてみれば,アニメファンタジーに相応しいフィクショナルなものであることも納得出来た。

『Astral Dogma』,『空想メソロギヰ』の音楽に魅せられたので,これらを収録した妖精帝國のアルバム PAX VESANIA を購入してしまった。PAX,VESANIA は,ともにラテン語で,それぞれ,平和,狂気,という意味である。PAX VESANIA を文字通り解釈するなら,ともに主格なので,「平和,すなわち,狂気」ということか。「狂気の平和」なら PAX VESANIAE となるはずだ。

平和こそが狂気,というのは,現代日本のリベラル平和主義者の行動を見るに,時代を象徴していて風刺が効いている。軍事大国である米露中が何をやっても知らんぷりなのに,日本政府による集団的自衛権の法制化で気が狂う。武器輸出ランキング上位の米英独仏露中,そして韓国には何も抗議しないのに,日本政府の武器輸出三原則の見直し程度で,「死の商人」だなんだと気が狂ったように大騒ぎする。安倍首相の言動は保守であっても,米国民主党よりも穏健であるにもかかわらず,彼を「極右」と断じて憚らない。それが日本のリベラルである。本丸を放置して重箱の隅に囚われる。狂気である。もちろん平和は尊く戦争は断じて回避しなければならないものなのだが,平和を主張するあまり,他国のことが見えないのが狂気なのである。

PAX VESANIA から,『Astral Dogma』,『空想メソロギヰ』以外でとくに気に入った一曲『葬詩』(はふりうた)のミュージックビデオをエンベッドしておく。葬送のバラード。愛する者の死とこれからの孤独な世界を受け入れようとする意思を,愛する者が一人で逝く姿に変容させるところに,この誇大妄想的ゴスロリバンドにしては意外にも,泣けてくるリリシズムがある。6/8 拍子の優しい旋律線,チェロの朗々たる歌,間奏部のギターの泣きが素晴らしい。

もう僕がいなくても ただ一人で逝くんだ…

妖精帝國は 1997 年の結成という。PAX VESANIA も 2013 年のリリース。俺も齢をとってしまい,世の中に対する反応が何年か遅れてやってくる有様である。若い人には,バカで毒抜きされた哀れな年寄りに気兼ねせず,堂々と,やりたいようにやってくれと,思う今日この頃である。何度でも言う。90 年代以降日本をダメにした 50-70 代は放っておけ,引導を渡せ。

PAX VESANIA
妖精帝國
ランティス (2013-03-27)

二〇一八年,元日

西暦二〇一八年,皇紀二六七八年。一陽来福。

大晦日,大阪に帰省した。母とすき焼きを食べながら,紅白歌合戦。風物詩。やっぱりこれを観なくちゃ。

例によって,ジャニーズ,AKB48,乃木坂46のほかは,五木ひろし,坂本冬美,郷ひろみ,高橋真梨子など,なぜにこの場にいるのかさっぱり飲み込めない,ご老体の面々。それでも,聴かせてくれるところはさすがだと思った。若いのは知らない歌い手が多かった。SHISHAMOなる,おしゃれ感ゼロの普段着のまんまの挑発的でさえあるコスチュームのバンドだけが,いまの若者のシャイな内面を表出しているようで,印象的であった。Perfume,X Japan,椎名林檎を観てもなんとも思わず。松たか子,歌うめえな。今年を代表する歌い手が出ているので当たり前のハズなのに,松たか子の歌唱力に感心せざるを得ないのはなんでだ? トリは石川さゆり&ゆず。俺が高校生のころ石川さゆりのLPを聴いていたという話に,妻がむちゃくちゃ驚く。そうは言ってもこのトリは,申し訳ないが,俺的には,デフレマインド,マックス。紅白は時代を映す。それは確かなようである。

紅白のあと,いきなり静寂に包まれる「ゆく年くる年」で,恒例のしみじみ感を少し味わいつつ,年越し蕎麦を掻き込む。歩いて近所の寺,神社に初詣に出かける。けざやかにして大なる小望月がほぼ中天にあり。亡父の供養をしてくれている稱念寺,氏子の河合神社を訪れた。稱念寺では,墓の管理をしてくれている近所の檀家の方にご挨拶。本尊を拝み,除夜鐘を撞いた。引き続き,河合神社に詣でて,二拝二拍手一拝。妻は「ご縁がありますように」と五円玉の賽銭。俺は「余縁」と一円玉四枚。北朝鮮情勢が不穏でもあり,たった四円で,ついでに,世界平和を祈願。氏子さんの配る甘酒をいただく。ご苦労さまです。

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四天王寺 金堂・五重塔

夜が明けて,亡父の墓参り。そのあと,天王寺まで電車で出て,聖徳太子ゆかりの四天王寺にお詣り。四天王寺は,推古朝の五九三年に建立された,わが国の最古の寺院のひとつである。平安のころから,熊野と同じような浄土信仰を集めて,後白河院が頻繁に参詣なされたことが『平家物語』にも見える。

法隆寺とは対照的に戦火,風雨に幾度となく破壊され,再建されて来た大寺院である。二〇世紀に入っても,戦前の室戸台風で破損し,昭和二〇年三月の空襲でほぼ全焼した。戦後,飛鳥時代当時の様式で再建された。

金堂で,中村岳陵画伯の筆になる,お釈迦様の来歴を表す壁画を眺める。場にそぐわぬエロティックな女性像に心を奪われる。皇国の苦難の歴史に思いを馳せ,救世観世音菩薩を拝む。わが国の安寧を祈念。そして,最悪だった俺の二〇一七年の澱の浄化,悪霊退散,怨霊調伏,厄祓い。年末,血腥い事件のあった深川・富岡八幡宮にこれをお願いしようかと思ったが,年初に四天王寺で済ませた次第。四天王寺も血腥い時代に建立された古刹なんだが…。


そのあと,歩いて新世界。串カツを食いたい気分であったが,妻がパフェを食べたいと言い出したので,昨年娘と入った昭和な薄汚い喫茶店で食事。やっぱり俺は昭和なホットケーキを注文。食っていると,犬を連れた老人が隣席にやって来た。常連のようである。飲食店なのに犬を連れた入店を受け入れているのは,昨年と同じ風景である。このおじいちゃん,「今,店混んでるんで,相席になってもよろしですか?」との店員の問いかけに,ニコニコと「うんうん,アイスコーヒーでええわ」と受け応えしてはった。「アイセキ」言うとんやで,「アイスコーヒー」とちゃうで,おじいちゃん。新世界周辺は犬を連れた老人が目立つのはどうして?

さて,今年はどういう年になるのやら。

REAL EXISTENCE

仕事納め。東証では今年最高値を叩き出したようだが,俺的に今年はろくでもない年だった。ま,家族は五体満足にして,元気。生活のそれぞれの断面を微分すれば愉快もそれなりにあったわけで,それだけでも神々に感謝すべきだろう。この齢になると,世の中に悪意を覚えても,笑い飛ばす余裕が出てくるものである。

北字みて独り飯する師走かな

Band-Maid の REAL EXISTENCE。お寺の本堂でメイドのハードロック。メイド・イン・ジャパンってか? このコォら,よぉわからん。この淫靡さ,たまりませぬ。カブいたリズムがおもろい。ベースの女の子が貞子みたいで,コワカワユスっての? ヴォーカルの女の子,俺が十年ほど昔,銀座のクラブで,おっぱいを触ったら,平手打ちを食らったホステスにそっくりで,俺はサディスティックな愛を感じた。

だいたい君はいつだって お独り様なくせして…
ほんの一年やそこらで 新しいビルが建っちゃったわ…
ちょっとイタイやり方で ドン引きされても It's All Right…

最近の日本の若者たちは,この悪意に苛まれた老いぼれを,解脱させてくれる。

孤独な自由と 虚像も抱きしめて…

2017 年末の,俺の REAL EXISTENCE。

今年の漢字は「北」

今年の漢字は「北」に決定,とのニュースをみた。

「北」朝鮮危機が真っ先に頭に浮かぶわけである。今年は,朝日をはじめとするマスコミの仕掛けたモリカケのようなアホ事案で国会が振り回された次第であるが,今年の漢字は,モリカケの忖度,つまり「忖」でも「度」でもなく,北朝鮮核ミサイルの安全保障問題にまつわる「北」という結果となった。一般の日本人は,野党議員や,朝日新聞・テレビ報道に翻弄されるある種の人のようなアホではなく,概して,きちんと世界を見ている,と俺は痛感させられた。衆院選の結果と同様,これが民意であろう。

手元にある学研の『漢字源』を引く。「北」は日の当たらぬ寒くて背を向ける方角で,色彩としては黒。また,「にげる」(敗北の「北」)「そむく」意味もあり,否定的な字訓である。もともとの解字としては,右と左の人が背を向けあって対立しているところ(ここから,にげる,そむく)を表すのだとか。「対立」ということである。「北」が今年の漢字というのは「対立」こそが今年の象徴ということともいえるのだろうか。「北」京,「北」朝鮮,たしかに,日本にとっては背を向けたい最悪の存在である。

ところで,葛飾北斎の「北」斎という号も,「日の当たらぬ,何かにそむいてばかりいるオヤジ」っていう諧謔かと俺は思う。きちんと調べたわけではないので悪しからず。北斎は「画狂人」とも号していたのだから,「北」字に風狂をこめていたのではと想像する。
 
「北」は禍々しい文字である。北冥に魚あり,其の名を鯤と為す(『荘子』)。鯤に世界が呑み込まれないことを祈る。今年は俺も個人的にろくな年ではなかった。親父が亡くなり,金の苦労もした。悪霊退散,怨霊調伏,厄祓いに深川・富岡八幡宮にでもお詣りすべきか。

本日の一冊。一休宗純『狂雲集・狂雲詩集・自戒集』,中本環校註,新撰日本古典文庫第五巻,現代思潮社,1976 年刊。一休禅師の漢詩集である。偈,頌,賛という禅詩ジャンルが主をなしている。複数の伝本を校合し,校註して,狂雲集,狂雲詩集,自戒集のすべての詩を収録しているよい版だと思う。

 風狂々客起狂風  風狂の狂客狂風を起こす
 來往淫坊酒肆中  淫坊酒肆の中に来往す
 具眼衲僧誰一拶  具眼の衲僧誰か一拶
 畫南畫北畫西東  南を画し北を画し西東画す
一休宗純『狂雲集・狂雲詩集・自戒集』,
中本環校註,新撰日本古典文庫第五巻,
現代思潮社,1976 年,151 頁。

これは『自賛』と題された詩。風と狂という字が同時重複の違反を犯しているが,それこそが風狂とでも評することのできる,平仄の正しい七言絶句である。

俺は女を買い酒をくらう風狂者だが,いくら眼力を備えた高僧でも俺に問答できる者はおらぬ,俺は自分勝手に方角を決める(ただ己のやり方で思量するばかりだ)。大意はそのようなものである。一休禅師らしい破戒的な詩と言えよう。言語道断の認識のもと言語に基づく詩をなす,という究極の矛盾が一休禅師の思想的緊張感を示す,そういう公案(禅問答)のような凄さがある。

『狂雲集』に憧れて,俺は自作漢詩文集を『狂溟集』と名付けた。雲ではなく溟(暗い海)。

ところで,ふと思う。交戦権は日本国憲法違反である。国際法において交戦権はあらゆる国家の有する権利である。日本国自衛隊は日本国憲法に規定されていない存在である。では,日本国自衛隊は交戦権を有するか。さあ,言え,言え。日本はこの現代においても,禅思想が国家の基盤なのかと呆れる。憲法を巡る議論がかくして禅問答のようになるわけだ。そして,禅問答に終始する間に,既成事実でなし崩しとなって流されて行くということなんだ,と俺は思う。

和楽器バンド

2011 年 3 月 11 日の東日本大震災の後,日本人,日本の文化について少し考えるようになった。松尾芭蕉の俳諧文藝などの古典文学だけでなく,日本の音楽的伝統の現在における行方も追うようになり,その面白い類型として,はなわちえの津軽三味線の演奏動画を YouTube でよく視聴したものである。

はなわちえは,伝統的邦楽の枠組みから出て,津軽じょんがら節など三味線のジャンルの定番とともに,ポップスの要素を取り入れた楽曲を演奏するプロフェショナルである。その演奏スタイルは,その和服姿の美貌もさることながら,極めてクールだった。そう,忘れられようとしている日本の伝統を取り入れることで,西洋にはない日本プロパーの驚くべきカッコよさを見せつけてくれたのである。

はなわちえの動画を久しぶりに視聴するなかで,最近の音楽体験としてもっともビビッドな発見をしてしまった。和楽器バンドの『千本桜』の動画を視たのである。はなわちえにみたジャポニスムの,和楽器バンドというロックにおける究極の姿に,我を失うくらい感動したのである。

和楽器バンドは 2014 年のデビュー。この三年,俺はいったい何を視,何を聴いていたのか。なぜ彼らの活動に目を留めなかったのか。その間,確かな耳を持つ日本の若者たちは,和楽器バンドという新しい音楽的試みを圧倒的に支持し,熱狂していたのである。遅ればせながら,俺も和楽器バンドの最新リリース『軌跡 BEST COLLECTION+』を予約購入した。17 の楽曲からなる CD 1 枚と,16 曲のミュージックビデオクリップを収録する DVD 2 枚のセットである。

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和楽器バンドは,箏,尺八,津軽三味線,和太鼓という和楽器に,ドラムス,ギター,ベース,ボーカルを加えた器楽編成である。となると,当然,形式的問題が頭に飛来する。音量の問題で,アコースティックな和楽器は,和太鼓は別としても,電気仕掛けの洋楽器にはとうてい対抗できず,音として埋もれてしまうだろうということが。このグループの発想は面白いけれども,楽器法の形式的理解が足りないのではないか,と。

しかし,和楽器バンドの音楽は,楽曲構成とプレイヤーの技量によって,想定されるこの形式的問題を見事に解決していた。イントロ,間奏,大音響の終息後の静寂において,和楽器の音をうまく露出させることで,音色の個性のみならず和楽の特徴的モチーフによって楽曲全体に和の個性的色彩をもたらすことに成功している。尺八の音程の揺れ,掠れ,鋭さ,多様な色彩。二十五絃箏の連,引きといったトレモロ,グリッサンド,ポルタメント。三線の音の跳躍,ユリ(ビブラート)。和太鼓の腹に滲みる低音の唸りと奏者の声,合いの手。どれもが一流である。こうして和楽器バンドは,工夫とテクニックによって,ライブにおいても確かなパフォーマンスを発揮できるロックバンドとなったのである。

和楽器バンドの和様式は,箏,尺八,津軽三味線,和太鼓という楽器構成のみならず,鈴華ゆう子のボーカルの唱法そのものによってこそ支えられている。リズムに細かい歌詞を載せていくに際してのトリッキーなシンコペーション。詩吟の節調(こぶし)による微妙な音ずらし。日本の伝統的音階・旋法に由来すると思われる,クライマックスにおいてドミナントに解決しないボーカル・ライン。腹式呼吸法の変化に応じた声の収縮・膨張。こうした日本伝統的唱法楽理に裏打ちされた彼女の高度なテクニックに,眼を瞠らさせられる。ロックというジャンルではじめて和の真骨頂を見せられた感覚がある。花魁風の和装,扇を手にした詩舞様式に基づく振り付けも,激しいロックの音塊のなかに和の秘めた華やかさ,緩やかさ,静けさを演出していて,ヴィジュアルにおいても,むちゃくちゃクールなんである。

『千本桜』が和楽器バンドの代表作とされているが,俺的にはなんといっても『天樂』が,楽曲としても,ヴィジュアルとしても,最高である。尺八はかくも高い音を出せるものなのか。そして,『華火』,『Strong Fate』。

目が眩むほど美しい うたかたに揺れた音で貫いて 天樂を…

Posted by 鈴華ゆう子

和楽器バンド。日本のロックもやっとここまで来た。そう言祝がずにはおれなかった。いまごろ何言ってんの,なんて言わないの。