ジムで水泳

ガキどもが独立し,養育費,教育費からも解放され,そろそろカネを生活感の薄いことに使ってもよかろうと思い,七月から夫婦で最寄り駅すぐにあるフィットネスクラブに通うことにした。ここ数年,ウォーキングもさぼりがちになり,オヤジの体質としてすぐ腹部に脂肪が蓄積されてじつにみっともない体格になり,人間ドックで運動不足を指摘されてもいたので,意を決して,ジムで運動しようということになった。カネを払う以上元を取らねば,に類する貧乏根性も手伝って,少しは効果が出るだろうと期待しつつ…。

もとより健康のためであって,筋骨隆々になりたいとは思わない(そんな齢でもなし)。ダイエット(体重減)というか,体脂肪を減らすことが効果判定の一番の指標である。かねてから体全体を駆使する水泳が健康にもよいと聞いていたので,プールのあるクラブを選んだ。ウェイトトレーニング,水泳のメニューを週に 2,3 回こなすことにした。

泳ぐのは,四十余年ぶりであった。小学校 5,6 年生のころ学校で少し手ほどきを受けてクロールを覚え,当時はガキの有り余る活力でヘタクソながら 200m くらいは平気で泳ぎ続けたものだったが,いまこの齢で久しぶりにクロールで泳ぎ始めたところ,息継ぎのときに水を飲むは,バタ足は無駄に足掻くは,腕のリカバリーは我ながらぎごちないは,やっとのことで 25m を泳ぎきると,息はぜいぜい,腕はガクガク,みたいな激しい消耗のありさまに呆れる始末だった。ガキのころはもっとラクに泳いでいたはずなのに。そう,ラクに。ジム初日,100m 泳いだら疲れ果ててしまい,これを続けりゃ痩せるわいなの前途多難の達成感を覚えた。

ちょっと泳ぎ方を勉強し直して,もう少しラクに,すいすい泳げるように,ガキのころの記憶を取り戻したいと思うようになり,水泳指南の YouTube 動画を漁るようになった。そのなかで,「おお,こんなふうにラクに,優雅に泳げたらなあ」と思える以下の動画を見つけ,その泳ぎのポイントを自分なりにジムで練習することにしたのである。


by Shinji Takeuchi

それから二ヶ月,おかげで,この動画のような優雅な泳ぎはムリとしても,ラクに泳げるようになった。始めは 25m で 35〜40 だったストロークを 20 程度で済ませられるようになった。やみくもにバタバタ足掻くだけだったバタ足も,2 ビートキックで左右のバランスを取りながら腕のストロークに同期できるようになった。ひいこら言いながら一日 100m 泳ぐのが限界だったのだが,1,000m 泳いでも腕や足がガクガクするようなことはなくなった。

体重も二ヶ月で 5kg 減り,体脂肪率も 28% だったのが 24% に落ち,平均的なレベルになった。クロールの METs(運動強度)はジョギングの 3 に対し 8 とかなり高く,つまり,30 分クロールで泳ぐと,俺の体重レベルではおおよそ 8 × 60 × 0.5 = 240kcal の消費となる。ま,白飯一膳分くらいのカロリーでしかないわけだが,食生活が同じでも,ほぼ毎日 3,40 分泳ぐとたしかに痩せるはずである。7,200kcal 消費で 1kg 体重減という目安があり,30 分のクロールだけだと毎日やって一月で 1kg 減ということになるが,その他の日々の活動,食生活での糖質・脂質・炭水化物の減量と合わせ 5kg 減の成果ということだろう。

かくして,いま,ジムで泳ぐのが,無心に,少年のように楽しく,マイブームである。仕事から帰宅したあとであまり時間を掛けられないので,一日 3,40 分,500m 以上泳ぐのをノルマにしている。ウェイトトレーニング,水泳のあとは,スパで体を洗いサウナで汗をかいて家に帰る。この調子だと十分元が取れるな,とやはり貧乏根性は抜けない。

金澤,立秋初候

猛暑,豪雨,台風で疲れる夏。今年二月に息子が嫁をもらった。その可愛い嫁の生家のある金澤で,彼女の親御さんを招いてお食事会を催すことにした。八月十一日,立秋初候。俺にとって金澤は初めてであった。俺も憧れの地・金澤に親戚ができたわけか,と人生の数奇を思わずにおれなかった。

宿は金澤・湯涌温泉の「あたらしや」という,創業二百五十年の老舗だった。当初JR金沢駅周辺のホテルを探したのだが,嫁さんの親御さんのお勧めでこの宿を予約してもらったのである。金澤市内とはいえ,駅から南東に二十キロ以上離れた山手にあり,温泉らしい人里離れて鄙びた趣がよかった。玄関口の石畳に雌のカブトムシが這っていた。やはり地元の人の目は確かである。宿泊施設は平屋で九つしか客室がない。客にちらほら出くわすが,静かでたいへん気品のあるよい旅館だった。風呂に行ってもほかに誰もおらず,朝,夕ともども一時間の間,内湯と露天風呂を独占してゆったりとできた。湯殿の入り口に夢二の絵と見事な加賀友禅が飾ってあった。

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湯涌温泉あたらしや

夜,温泉宿で息子夫婦,嫁さんの親御さん夫婦,嫁さんの甥っこ,姪っこ,俺と家内の八人で夕食会。金澤の地元の美味なる料理,日本酒をいただく。そのあと,湯涌温泉街にある,お義父さん行きつけのスナックに皆で行ってカラオケ。久しぶりに深夜まで歌って,大いに楽しいカラオケだった。

翌日十二日は,嫁さんの案内で金澤市内見物。

まず,湯涌温泉街にある竹久夢二の記念館。妻・たまき,恋人・彦乃の資料が興味深かった。夢二は彦乃とこの湯涌温泉に滞在し,強烈な時間を過ごしたらしい。「湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいふなり」との歌を遺している。彦乃も画家であり,記念館には彼女の筆になる美人画も展示されていて,なかなかだと思った。

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金沢湯涌夢二館/夢二と彦乃(パンフレットより)

そのあと,お義父さんの車で都心部まで送ってもらい,石川県立美術館。ちょうど広重展が開催中だった。金澤で広重の東海道五拾三次シリーズ全点を拝めるとは思ってもいなかった。ゴッホの模写とともに,そのもととなった広重の名所江戸百景・亀戸梅屋敷,花魁美人画も展示されていて見応えがあった。

石川県立美術館内にはル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ KANAZAWA というミュージアムカフェがあり,石川県の有名なパティシエがプロデュースするスイーツで人気があり,嫁さんはそこに俺たちを招待したかったらしい。ところが,残念ながら,さすがに人気店でもあり待ち行列が連なり,待ち時間を想像して,そこでの休憩は諦めることに。また金澤を訪れたときにはきっと来よう。

兼六園を少し散策。加賀百万石の広大な庭園は午前の限られた時間で観て回るのは不可能である。嫁さんの案内で霞ヶ池周辺を歩き,徽軫(ことじ)灯籠で記念写真を四人で撮って,内橋亭の甘味店でかき氷を買い食い。

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広重展/兼六園・霞ヶ池

ちょうど昼食時になり,嫁さんお勧めのフレンチレストランに行こうと店舗のあるしいのき迎賓館(旧石川県庁舎)を訪れるも,お店が予約でいっぱいで,残念ながら,そこでの食事は断念。嫁さんは次の一手と,近江町市場の海鮮丼屋さんへと案内してくれた。昼食時でさすがに人気店は長蛇の行列で,行列の長さで俺が決めたお店に入る。蟹,イクラ,海老,マグロなどなど海産物てんこ盛りの丼に,山葵と胡麻醤油ダレをぶっかけ,半分食ったあたりで次に鰹ダシを追いがけして食い,大満足。日本海の食材の豊かな金澤らしい一品だった。食い物も旨い,酒も旨い,都市景観も最高,女も美人とくれば,なんとも羨ましい地である。

食事のあと,かねがね行きたいと思っていた泉鏡花記念館に寄ってもらった。白い土蔵のある金澤の見事な旧家を改築した建物だった。鏡花は昔からの俺の憧れの作家でもあり,やっと訪ねることができたという感慨がより大きかったけれども,鏡花の自筆原稿やら初版本,遺愛品などの展示物は興味深かった。『天守物語』を巡るイベントのチラシを見たからというわけではないのだが,山本タカトと宇野亞喜良の優美でエロチックな画,戯曲原作と英訳からなる『天守物語』(エディシオン・トレヴィル,二〇一六年初版)を購入してしまった。

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泉鏡花記念館
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『天守物語』エディシオン・トレヴィル刊

記念館をあとにしてさらにてくてく歩いて,東山の東茶屋街を訪れた。ここは昔の殿方が藝者遊びをした茶屋が立ち並ぶ,金澤のなかでもとくに小京都を思わせる街並みで有名なところである。嫁さんのお勧めということで,志摩という茶屋を見学。国の重要文化財に指定された建物である。きらびやかな屏風や,簪・煙管などの藝妓の小物,美人画の掛る床の間に見入る。茶屋というと,永井荷風の小説に毒された俺なんかは,藝者呼んでドンチャン騒ぎしたあとは好みの藝妓としっぽりと床入り,みたいな下品な想像をしてしまうわけだが,ここは神楽坂でも新橋でも麹町でも浅草でもないわけで,もっとお上品・高級で由緒ある遊興だったのだろう。見学の最後に,茶の間で抹茶と繊細な翠の和菓子とをいただいて,古都の和を満喫した。いや,いい経験ができた。

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東山・東茶屋街
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東茶屋街・志摩にて

東茶屋街の入り口にある烏鶏庵で烏骨鶏ソフトクリームを買い食い。濃厚でびっくりするくらい旨かった。烏鶏庵というと,やはり嫁さんからかつてお土産でもらった烏骨鶏プリンに大いなる感銘を受けたものだが,ソフトクリームやカステラなど,プリンばかりがウリではないのがよくわかった。このスイーツは出色。

夕刻になり,帰る前に一目だけでもと,浅野川に沿った主計町(かずえまち)の古い街並みを少し歩いた。そのあと,タクシーを拾ってJR金沢駅に向かい,土産物を買い求め,新幹線で東京に戻る。短い時間ではあったが,嫁さんの案内で金澤を堪能することができた。必ずまた来ようと名残惜しかった。

天守物語 (Pan-Exotica)
泉鏡花
画: 宇野亞喜良/山本タカト
エディシオン・トレヴィル

FreeBSD マシントラブル

暑いですね。ガキのころ,夏の炎天下,練習の途中に水分補給もせず(喉が渇いたからといって水を飲むなんて「根性が足りない」と先輩や指導者から叱られたのだ)野球やサッカーに励んだのだが,いまのこの暑さは当時の比ではないように思われる。根性どころの問題ではない。夏の甲子園大会に向けた地方予選がたけなわのわけだが,テレビを観ながら,この子ら大丈夫かと心配になってくるんである。

うちのファイルサーバとして運用している FreeBSD マシンが,このところなんのエラーメッセージを出すこともせず,いきなり電源が切れて突然死することが多くなった。これも,この暑さのせいか。コンピュータが狂うほどの暑さなのか。不信感半ばであった。エラー情報が残されていないので,ディスク,CPU,マザーボードなど機械が壊れたのか,OS のある領域がどこかのダウンのタイミングで破壊されたからなのか,さっぱり原因がわからない。AMD 製 CPU を搭載した安物ノーブランドマシンなので,もともと俺的にはあんまり信頼の置けない機械ではある。A4-7300 Dual-core 3.80GHz / Turbo-core 4.00GHz / 1MB L2 cache / 4GB DDR3 SDRAM メモリ / 500GB TOSHIBA SATA3 HDD + 1TB Hitachi SATA2 HDD 搭載。

しかし,こうもぽこぽここけられると,ディスク,メモリなど使えるもの以外はシステムを新しくするかとも考えた。で,ちょっと切り分けをしてみることに。FreeBSD を起動する直前の boot: プロンプトのところで止めて様子をみたら,それでもしばらくして電源が落ちていた。要するにディスクやメモリを読むことなしに System Wait 状態で突然死したわけだ。ということは,周辺機器を支えている CPU やマザーボード,あるいは電源そのものの故障ではないかと思われた。じゃ,ディスク,メモリを取り出して,別マシンにでも持って行こうかと。

で,このマシンの蓋を開けてみたところ…,うわ,ホコリが尋常でないほど内部に溜まりまくっていて,冷却ファンや通風孔が目詰まりしているではないか。もしかして,このおかげで筐体内・CPU の温度が上がって保護的に電源が落ちたのか,と,なんとなく問題の在り処がわかってきた。そういや,3 年前に購入してからこのかた,一度も筐体を開けていなかった。ということで,エアスプレー,掃除機でもってむせ返りながらせっせとホコリを取り払い,冷却ファンをはじめ筐体内部,コネクタ部をキレイに清掃した。

こうして再起動したら,それまでは数分のうちに電源ダウンしていたのが,いまのところ丸一日元気に動いている。想定は正しかったようである。このマシン,実はファイルサーバとして使う前に公開 Web アプリケーションサーバとして運用していたんだが,そのときも今回のようにぽこぽこ突然死していたのである。FreeBSD 最新版をクリーンインストールしたところ,しばらくは問題なく稼働していたのでそれ以上の調査をせずにいたのである。ところが,この夏の猛暑のおかげで購入後筐体内の清掃をまったくしていなかったケア不足ゆえの冷却問題が判明した次第である。

このように,何のシステムエラーもなくいきなり電源断が起きるような障害には,筐体内の冷却が効いていないことを疑ってみるのもよいと思う。またマシンをリニューアルするなんてくだらない出費をせずにすんでよかった。

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日本代表がロシア・ワールドカップで 16 強に進出した。ありがとう! おめでとう!

ポーランド戦で 0-1 ビハインドのなか,コロンビアとセネガルの戦況を睨んで,最終ラインでのボール回しに始終し,警告も失点もなくそのまま試合を終わらせた。会場はブーイングの嵐。当然だろう。他力本願ながら,なんとフェアプレーポイントなどという聞いたこともない基準で警告数 2 ポイントでセネガルを上回り,結果的に突破を果たしたわけである。世界のサッカーファンの非難轟々のなか,実を取った。いいね。心をドライにして,「褒められる日本」というプロセスよりも,結果を取った。ここがいいね。

しかも,ポーランド戦で先発 6 人を入れ替えて,決勝トーナメントに向けて主力を温存したうえ,自信喪失していた川島に三度目の正直のチャンスを与え川島もみごとにこれに応えたわけで,いったいどういう計算をしたらこんな采配ができるのかと,半ば呆れるくらい西野さんの思惑は当たったといえる。いかに珍奇にみえようが,結果的に最高の状態で決勝トーナメントに臨めるわけである。

韓国は,なんと前回覇者ドイツを打ち破って大金星を上げ(凄ぇ!),世界の賞賛を集めているわけだが,2 敗が響いて,残念ながら,予選敗退となってしまった。で「韓国は美しく脱落,日本は醜く進んだ」などと韓国のスター選手が口にしている。バカめ。負け犬の遠吠え。「普段汚くかつつまらないテコンドーサッカーをしているのはどこのドイツだ? 同じくつまらないサッカーをしていてもフェアプレーポイントのおかげで日本が生き残ったのは,結果として凄いことじゃないか?」と,ま,こんなことを考えてしまった。

韓国のスター選手のみならず,海外のサッカーファンは「日本に失望した」というんだが,コロンビア戦,セネガル戦,ポーランド戦の順番が逆だったら,おそらく評価は真逆になっていたと思われる。これは,いい人だと思っていた人のウラを見せられて,その人の評価を悪い人に倒してしまう子供じみた見方である。オモテもウラもみて総合的に物事を判断するのが大人である。ま,「日本に失望した,ベルギーにぼこされればよい」なんて抜かす奴らに対して,「バーカ」と心のなかで罵りたくなる俺はダメ人間ですかね? ことほど左様に,ワールドカップにおいてベスト 16 に残ることの凄さがわからないバカは放っておこう!

今回の日本代表は,大会直前の監督交代,代表選考での年寄り偏重,強化試合でのゼロ敗で,批判ばかり浴びて来た。強化試合後のインタビューでの西野監督の取り繕うようなぱっとしないコメントにも,自信のなさばかりが印象付けられた。ところが,フタを開けたら,強豪コロンビアに 2-1 で勝ち,アフリカの最強国セネガルに 2-2 でドローと,誰も想像しなかった結果を残す。そして,敗北しつつも計算された予選突破。正直,今も,俺は信じられない。

6/20 未明からこの 10 日間,日本列島が久々に明るい話題で持ちきりとなった。「西野さん,本田さん,ごめんなさい」の掌返しがキーワードとなった。モリカケのクズネタでいい加減テレビを見る気がしなくなっていただけに,やっと受信機が意味のある装置になったのだ。ま,テレビのニュースバラエティは,「大迫,半端ないって」のルーツだとか,高校時代の乾選手のセクシーフットボールがどうのこうのとか,渋谷交差点が凄いことになっているとか,頭の悪い話題にばかりフォーカスしていて,相変わらず呆れさせられる次第なわけだが。

* * *

コロンビア戦。日本代表の攻守のハードワークに感動した。ハードワークがもたらした勝利ということにつきるのではないか。決勝点をあげた大迫がみごとだったけど,俺的には長友,原口,乾の死を覚悟しているかのような守備の凄まじさにこそ,「これこそ日本人の戦い方だ」と感銘を受けた。くらだないミスに呆れもしたが,いや,いい試合を見せてくれたと嬉しかった。

それでも,香川が PK を前にボールを持って放さなかった姿にいちばんの感動を覚えた。彼が PK を外して敗れたアジアカップの記憶がまざまざと蘇ってきたわけで,それはいちばんに香川自身の脳裏を支配している思いだと考えるにつけ,「オレが蹴る」という強い意志を彼に見せつけられ,こういう緊張した大舞台で人生のリベンジにかける彼の思いをひしひしと感じ,なんてかっこいい男かと涙が出て来た。こういうのをドラマだというのだ。

* * *

セネガル戦では,ハードワークとポリバレントサッカーに感銘を受けた。

西野監督が代表選手選考で「ポリバレントな選手を」と言ったとき,俺はポリバケツでリフティングができるような選手のことかと思った。そりゃ凄いわいと。中島翔哉にはそれができないってか?

セネガル戦を観ていて,後半,セネガルが 4-2-3-1 から 4-3-3 に布陣を変えてきたとき,日本もそれに対してびっくりするくらいの対応をしていたのが,すごく印象的だった。長谷部がセンターバックのポジションに下がりスリーバック気味の布陣を形作ることが多くなり,香川も下がって守備にケアをしつつサイドの選手が前後に流動的に動き,空いた中盤のスペースを柴崎が動き回ってタテに仕掛ける。

この形でセネガルを苦しめたわけで,こういう状況に応じた戦い方ができることをポリバレントというのかといまさらながらに納得させられた。2014の「自分たちのサッカー」ではなく,相手に応じたサッカー。そういうことかと。

* * *

今回日本代表は,ガーナ代表,スイス代表にそれぞれ 0-2 で敗北,ワールドカップ出場を逃しサブ中心のパラグアイにやっと 4-2 で勝利して,ロシア入りした。期待感ミニマムのなかにも一縷の光明を抱きながら,サポーターも固唾を吞んで代表の試合を見守った次第だが,報われた。ほんと,ありがとう,おめでとう,である。

俺的には,グループリーグ三試合でいちばん光った日本代表は,柴崎岳かな。ボランチで起用されて,攻守の切り替えのスイッチになり,タテのフィード,ナカへのクロスでピカイチだった。凄い選手がいたもんだと驚きだった。どうしていままで代表のなかで目立たなかったのか,ホント,不思議だった。

ベストエイトを賭けた決勝トーナメント初戦は FIFA ランキング 3 位のベルギー。対戦相手のあまりの強さにちょっと笑ってしまうんだが,ま,日本はハードワークして正々堂々と闘ってほしいというしかない。それにしても。ポルトガル,フランス,ベルギー,スペイン,ロシア,クロアチア,デンマーク,スウェーデン,スイス,イングランド,ブラジル,ウルグアイ,コロンビア,アルゼンチン,メキシコ。こいつらといっしょに,トーナメント表にわが日本が名を連ねているのである。あのオランダも,イタリアもいないだけに,なおさら,ただひたすら,凄い。

今日,上野・東京藝術大学の奏楽堂で,英国のオルガニスト,ティッターリントンのオルガン演奏会を聴いて来た。腹に染み渡る荘厳なパイプオルガンの音響を俺ははじめて体験した。演目は次の通り。

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藝大奏楽堂のガルニエ・オルガン
  1. D. ブクステフーデ:トッカータ ニ調 BuxWV 155
  2. J. S. バッハ:『おお,神の子羊,罪なくして』BWV 656
  3. J. ネアズ:イントロダクションとフーガ イ短調/イ長調
  4. S. ウェズリー:ヴォランタリー ニ長調 KO 623
  5. J. C. H. リンク:コレッリの主題による6つの変奏曲 作品56
  6. E. エルガー:オルガン・ソナタ第一番 ト長調 作品28 〜 第一楽章
  7. W. バード:ヴァージナルのための『私のネヴェル夫人の曲集』より「ファンシー」
  8. H. ハウエルズ:『タリス氏の遺言』
  9. J. ブラームス:前奏曲とフーガ イ短調 WoO 9
  10. P. エベン:『ヨブ』より第7曲『懺悔と具現』最終部分『来ませ,造り主なる精霊の神よ』
  11. P. エベン:『聖日曜日の音楽』より『モート・オスティナート』

一七世紀の古楽からロマン派,現代音楽までの,耳にしたことのない作品ばかりのプログラム。一流のオルガニストによるマイナー曲の演奏会ということで楽しみだった。

俺的にはブクステフーデがいちばんよかった。ハウエルズやエベンの現代曲も,オルガンの多様な音響を駆使して面白いと思った。ブラームスにもオルガン曲があるというのを初めて知った次第だが,堂々たる前奏曲とフーガですごくよい曲なのだが,どうもバッハのハ短調前奏曲とフーガのたたずまいがすぐに連想されて,ロマン派ブラームスの曲というよりは,バッハの伝統の忠実な受容・模倣のような感じが否めなかった。

上野公園では子供たちによる舞祭というイベントが催されていた。その露天で焼きそばを買い食いして帰宅した。著莪の花がたくさん咲いていた。もう初夏である。

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上野公園の著莪

サイト開設 20 周年

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3 月 7 日,本サイト NOX INSOMNIAE を開設して 20 周年。Movable Type を使ったこのバカブログも開設 12 周年を越えてしまった。

1998 年ころは,IBM ThinkPad 560E に FreeBSD を入れて,UNIX アプリケーションでロシア語をどのようにして扱うかに血道を上げていた。テキストエディタ GNU Emacs をはじめ,仮想端末,グラフィックソフトウェアにおいて,キリル文字を入力する,表示・出力する,程度のことですら,当時の日本では「研究」しなければならなかった。とくに文書整形システム LaTeX を覚えてからは,Babel 多言語パッケージのロシア語言語定義ファイル,ハイフネーションパターンファイルを解析し,CTAN から様々なキリルフォントを取り寄せては,ロシア語文献の高品質な再現に情熱を傾けていた。

そのころ,仕事で肉体がボロボロになり,肺結核などという古風な病を得て,東京瀬田の隔離病棟に収容されてしまった。世の中から隔絶され,世界に悪意を抱いていた。やることといえば,寝て,起きては,飯を食い,病棟裏手の原始林を散歩し,抗結核薬を服用し,看護士にケツを捲られストマイの筋肉注射を打たれる。少し本を読み,たくさん音楽を聴き,談話室からかっぱらってきたエロ週刊誌を眺める。大塚寧々や菅野美穂のエロチックなグラビアで劣情に苛まれる。そして,Russian on FreeBSD の営み。プーシキン全集テクストの CD からデータを抽出し,単語解析プログラムを書き,Web CGI アプリを書いて,単語統計・コンコーダンスシステムを構築した。

あるとき,原始林の散歩から病棟に戻ったら,ベートーヴェンの第九が高らかに鳴り響いていた。談話室のテレビで患者たちが長野冬季五輪の開会式を観ていたのである。小澤の指揮による五大陸同時演奏。廊下の窓から光を浴びた冬枯れの樹々を眺めながら聴いたその第九に,魂を揺さぶられた。

そのとき,病床でしこしこ蓄積したロシア語ノウハウやら,プーシキン単語統計コンテンツやらを公開しようと思いついた。人間界との繋がりを取り戻す。それからサイト設計を始め,せっせと一月かけて本サイトの最初のバージョンを準備した。寝て,起きては,飯を食い,病棟裏手の原始林を散歩し,抗結核薬を服用し,看護士にケツを捲られストマイの筋肉注射を打たれ,少し本を読み,たくさん音楽を聴き,談話室からかっぱらってきたエロ週刊誌を眺め,サイトの HTML をコーディングした。夜中に,病棟のモデムモジュラー付き ISDN 公衆電話に ThinkPad を繋いで,DTI スペースにアップロードした。当時はまだ電話回線による数 10 kbps の低速 PPP だったので,ftp にけっこう時間がかかり,イライラさせられたものだった。

macOS High Sierra TeX Live 2017

macOS を使っていると,あるパッケージのインストール時に,OS のバージョンがサポート対象外なのでインストール出来ないという状況がしばしばである。macOS の最大の欠点は,サポート期間が短くかつ上位互換性を平気で無視してくれることである。そのパッケージ使用を諦めるか,「また遅くなるのか」とブツブツひとりごちながら,いやいやながら,OS バージョンアップに取り掛かることになる。そして,バージョンアップ後の様々なアプリケーションソフトウェアの再調整を覚悟することになる。計算機にコキ使われていると実感する時である。

かくして,macOS Sierra を High Sierra にバージョンアップ。そしてやはり,メモリを大食いする macOS の本来的性質のおかげで,かな漢字変換程度でも速度低下が著しく感じられるようになった。メモリを 4GB 搭載していても,Safari,Emacs,ターミナルを起動すると,ほぼ物理メモリを使い切ってしまう体たらくなのだ。さらに,俺の大事な文房具である文書整形システム TeX Live の PDF 生成において,ヒラギノ日本語フォントが拾えなくなってしまった。どうやらヒラギノフォントのパス名などが High Sierra で変わってしまったようである。macOS のもうひとつのダメなところとして,内部構造をころころ変えてくれる。また TeX Live の調整かよ。予想に違わず,計算機にコキ使われていると実感した。俺の残り少ない人生の時間を浪費させないでくれ。

日本の LaTeX ユーザの拠り所となっている TeX Wiki サイトを調べたら,macOS High Sierra での日本語フォント環境の調整の問題について議論がちゃんとなされていた。そこから『macOS High Sierra + Texlive 2017 + ヒラギノフォント』ページを探り当て,この記事に基づいてオペレーションを行うことにより,TeX Live 2017 が以前と同じように使えるようになった。

macOS Sierra においてすでに TeX Live 2017 の導入・調整が完了していれば,このページの cjk-gs-support 及び jfontmaps の項について順次実施すればよい。これによって,High Sierra で変更されてしまったフォントパスを TeX Live から参照できるようシンボリックリンクが張り替えられ,PDF 生成ソフトウェア dvipdfmx のための map ファイルが再調整される。

俺は sudo tlmgr update --self コマンドによって TeX Live システム一式をアップデートしたあとで,これを実施したが,何の引っかかりもなく作業が進み,正常動作も確認できた。LaTeX コミュニティに多謝。

妓王の事 – 平家物語

面白いもので,藝技,遊女,いまで言えば,芸能人というのは,昔から,どんなに出自が卑しかろうと,藝や容色において優れていると,権力者の周辺に招かれ,権力者その人から直接の庇護・援助を得られ,権力に食い込むことが出来る。日本史において,これは武家・世俗政権のみならず,皇室権力についても同様である。アソビ女は,階級・貧富を超え,上下貴賤を往来できる特別な存在だった。

平安末期,後白河院が,娼婦に近い生業を生きていただろう白拍子や傀儡女を邸に招き入れて,今様の研究に没頭し,その成果を『梁塵秘抄』として遺したことはよく知られている。鎌倉時代に成立したとされる『平家物語』にも,『妓王の事』という,平清盛に愛された白拍子・妓王のエピソードがある。

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『平家物語』角川文庫版

仏御前は,当世めでたき入道平清盛に己の白拍子の藝を売り込みもうと清盛の邸に押しかけるも,当然アポなしでは面会も叶わず,門前払いを食らう。平清盛の愛人・妓王は,自分と同じ白拍子である仏御前を憐れみ,清盛に仏御前の藝を観るよう進言する。妓王の望みとあらばと,清盛は仏御前を招き入れ,その今様を聴き,舞を観る。清盛はたちまち彼女の藝と色香の虜となり,仏御前を半ば無理矢理に愛人として迎え入れ,この上は妓王を冷たく追い出してしまう。

妓王は次の歌を遺して,最高の権力者に疎まれた上は,母,妹とともに出家する。

萌え出づるも枯るゝも同じ野邊の草いづれか秋にあはではつべき

この仕打ちに妓王を憐れんだ仏御前も,妓王を追って己自身も出家してしまう。萌え出づるも枯るゝも同じ,という同様の思いからだろう。

『平家物語』は,よく言われるように,「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり」の冒頭が象徴する,栄える者は必ず衰えるという末世の世界観が全編に通底している。語り手は,その客観的な語りの立場を逸脱して,仏法の末世を嘆き,滅びゆく者を憐れむ。『妓王の事』は,このコンテクストにおいて,愛される美女もいずれは飽きられ捨てられるという,諸行無常,盛者必衰のモチーフの変奏といえる。

平安貴族・武家・寺社の政争と戦乱の一大叙事詩に,かくして藝能の女性のエピソードが細やかに挿入されている点は,語りの題材の幅の広さのみならず,日本のアソビの伝統における遊び女(藝技,遊女)と権力との関わりをも象徴的に表しているようで,『平家物語』の極めて興味深いところである。

Japanese Rock on YouTube

年末,恒例の紅白歌合戦を楽しんだ。しかしながら,登場するミュージシャンの顔ぶれには,オリコン,有線放送における人気ランキングよりもむしろ,NHK とその背景にある保守的・事勿れ主義的・予定調和的な力が働いているとしか思われず,現在の日本の音楽がどのような傾向にあるのか,音楽の実力がいかばかりか,というようなことを推し量るに足るものは,どこにも見出せなかった。これは紅白歌合戦のここ十数年の傾向なので,いまさらどうのこうのいうことではないかも知れない。そもそも日本の音楽はいわゆる J-POP,歌謡曲だけではない。

それにしてもだな。音楽的に感心させられるところがひとつもないというのはどういうことか。だから,紅白は,音楽好き若者の絶対に見ない,年寄りの年寄りによる年寄りのための風物詩に成り下がっているように思われる。一言でいうと,藝術に欠くべからざる「毒」の要素がまったくない。だって,そんなの年寄りの健康に障るではないか。もっと言うと,若者は,NHK のみならず,もはや,テレビとは別のネット媒体に本当の音楽を求めている,と俺は想像する。

俺も,会社員なのでテレビやラジオを視聴する時間帯は限れらているし,しかもその時間では,連日のようにモリカケ騒ぎ,松居一代騒ぎ,相撲協会騒ぎ,などなど,くだらないクソ事案に明け暮れていて,もうテレビの良識にはウンザリしてしまっている。「真実」ではなく「扇動」しか感じない。音楽の「真実」をウォッチするには,俺の場合,YouTube が欠かせない。

俺は YouTube で,世の音楽ファンから何年も遅れて,和楽器バンドを「発見」した。和楽器バンドは YouTube に投稿したミュージックビデオ『千本桜』で人気に火がついて,レコードセールス,ライブ観客動員でも成功を納めた。こういうところからも,俺は確信した。一般の若者も俺と同じような行動様式なのだと,俺よりずっと先を行っていると。そして,「真実」はテレビではなくネットにあると。

年明けの休みの日がな一日,どこにも行かず家に引き籠って,一休さんの漢詩集『狂雲集』を読み,YouTube で J-Rock を漁る。陰陽座と妖精帝國に魅せられた。ここではそれぞれ二曲ずつ。いずれも物語性で脚色されたヘビメタ。この期に及んで。やりたいようにやっている日本のサブカルの方が俺の眼に魅力的に映る今日この頃。

陰陽座『青天の三日月』

耀ふ闇と 闇がる光を 草薙の太刀で 慥かみて…
我が眼に 燃ゆる紫電が 閃く…

草薙の太刀の紫電の煌きがポップミュージックの詞で言及されるなんて,俺には想像も出来なかった。こんな詞は,若者はおろか,七十の老人にも理解されないはずである。もっと古い大正時代の右翼モダニストか,ある種の復古的趣向の持ち主にしか響かないと思う。こういう古風な歌詞が若者の心に響くのかはなはだ疑問なわけだが,示威的・攻撃的なまでの古典的和のスタイルこそが陰陽座のアイデンティティになっていることは理解出来る。

女声ヴォーカルのシャープで伸びのある声,男声ヴォーカルの低音声がいい。ツインのリードギターも重厚かつ色彩豊かですごい。キモノで演奏するロックバンドって,見た目にも意外とカッコいい。

和楽器バンドが江戸の歌舞伎風豪華絢爛だとしたら,陰陽座には室町戦乱の荒廃した京都・羅生門の百鬼夜行を感じる。いやいや,いまの若者の目指すところは面白い。

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陰陽座『雲は龍に舞い,風は鳳に歌う』

龍は雲に舞い,鳳は風に歌うということを主客逆転させるレトリックが曲名に働いている。これは倒装法といって漢詩の伝統的技法だ。

松尾芭蕉も漢詩から俳味を取り入れる試みの過程で,倒装法を働かせた「鐘消えて花の香は撞く夕哉」という句を詠んでいる。消えるのは花の香だし,撞くのは鐘なのだが,この関係性を逆転させて,イメージが黄昏のなかで溶け合う味を出している。

このように,陰陽座は,わかる人にはわかる言葉の巧みを見せつけているようで,面白い。音楽とはあんまり関係ないけど,言葉への志向こそが彼らの音楽の根元にあると俺は思う。音楽的には日本の和の語法は感じられず,むしろ,西欧的なクラシカルなオーケストレーションを取り入れた,オーソドックスなロックバラードである。

妖精帝國『Astral Dogma』

妖精帝國 Das Feenreich。なんと。ちょっとイタいオタク色に満ちたゴシックロリータ趣味のヴィジュアル。チェンバロ,教会風女声コーラスが醸し出す異端的いかがわしさ。大正風淫靡。ユダヤ的秘蹟。誇大妄想的雰囲気。たまりませぬ。歪んだ和製バロック,サブカルロック。ご無礼をお許しあれ。

ヴォーカル YUI 様(Wikipedia によれば 325 歳以上とのこと。かなり前から活動しているヘビメタ・バンドのようである)のアニメ声優っぽい痩せた声と,重厚なリズムセクションとの組合せは,それでも,けっこう脳髄を冒されるものがあります。早口のタイトな 4 拍子から,インテルメッツォというのか,テンポを落とした 3 拍子の間奏部に移るところ,音楽的技量を感じた。

空中庭園の古びた羊皮紙は父の遺した 桂花の薫り
滲むインクは今際に認めた最期のメッセージ

妖精帝國『空想メソロギヰ』

Consentes Dii, Juno, Jupiter, Minerva, Apollo, Mars, Ceres, Mercurius, Diana, Bacchus, Vulcanus, Pluto, Vesta, Venus... 早口でローマの神々の名を列挙するラテン語の断片がなかなかでございます。Ju をユ,Ce をケ,Ve をウェと発音しているところも,超クール。クラシカルなストリングス,女声コーラスがファンタスティック。

さあ,Eins, Zwei, Drei! 死を躱して…
【2018.1.19 付記】

その後,妖精帝國『空想メソロギヰ』はアニメ『未来日記』のテーマ曲だった,ということを知った。2011 年後半のテレビアニメだというから,もうかなり前の話である。妖精帝國の誇大妄想的いかがわしさは,そう言われてみれば,アニメファンタジーに相応しいフィクショナルなものであることも納得出来た。

『Astral Dogma』,『空想メソロギヰ』の音楽に魅せられたので,これらを収録した妖精帝國のアルバム PAX VESANIA を購入してしまった。PAX,VESANIA は,ともにラテン語で,それぞれ,平和,狂気,という意味である。PAX VESANIA を文字通り解釈するなら,ともに主格なので,「平和,すなわち,狂気」ということか。「狂気の平和」なら PAX VESANIAE となるはずだ。

平和こそが狂気,というのは,現代日本のリベラル平和主義者の行動を見るに,時代を象徴していて風刺が効いている。軍事大国である米露中が何をやっても知らんぷりなのに,日本政府による集団的自衛権の法制化で気が狂う。武器輸出ランキング上位の米英独仏露中,そして韓国には何も抗議しないのに,日本政府の武器輸出三原則の見直し程度で,「死の商人」だなんだと気が狂ったように大騒ぎする。安倍首相の言動は保守であっても,米国民主党よりも穏健であるにもかかわらず,彼を「極右」と断じて憚らない。それが日本のリベラルである。本丸を放置して重箱の隅に囚われる。狂気である。もちろん平和は尊く戦争は断じて回避しなければならないものなのだが,平和を主張するあまり,他国のことが見えないのが狂気なのである。

PAX VESANIA から,『Astral Dogma』,『空想メソロギヰ』以外でとくに気に入った一曲『葬詩』(はふりうた)のミュージックビデオをエンベッドしておく。葬送のバラード。愛する者の死とこれからの孤独な世界を受け入れようとする意思を,愛する者が一人で逝く姿に変容させるところに,この誇大妄想的ゴスロリバンドにしては意外にも,泣けてくるリリシズムがある。6/8 拍子の優しい旋律線,チェロの朗々たる歌,間奏部のギターの泣きが素晴らしい。

もう僕がいなくても ただ一人で逝くんだ…

妖精帝國は 1997 年の結成という。PAX VESANIA も 2013 年のリリース。俺も齢をとってしまい,世の中に対する反応が何年か遅れてやってくる有様である。若い人には,バカで毒抜きされた哀れな年寄りに気兼ねせず,堂々と,やりたいようにやってくれと,思う今日この頃である。何度でも言う。90 年代以降日本をダメにした 50-70 代は放っておけ,引導を渡せ。

PAX VESANIA
妖精帝國
ランティス (2013-03-27)

二〇一八年,元日

西暦二〇一八年,皇紀二六七八年。一陽来福。

大晦日,大阪に帰省した。母とすき焼きを食べながら,紅白歌合戦。風物詩。やっぱりこれを観なくちゃ。

例によって,ジャニーズ,AKB48,乃木坂46のほかは,五木ひろし,坂本冬美,郷ひろみ,高橋真梨子など,なぜにこの場にいるのかさっぱり飲み込めない,ご老体の面々。それでも,聴かせてくれるところはさすがだと思った。若いのは知らない歌い手が多かった。SHISHAMOなる,おしゃれ感ゼロの普段着のまんまの挑発的でさえあるコスチュームのバンドだけが,いまの若者のシャイな内面を表出しているようで,印象的であった。Perfume,X Japan,椎名林檎を観てもなんとも思わず。松たか子,歌うめえな。今年を代表する歌い手が出ているので当たり前のハズなのに,松たか子の歌唱力に感心せざるを得ないのはなんでだ? トリは石川さゆり&ゆず。俺が高校生のころ石川さゆりのLPを聴いていたという話に,妻がむちゃくちゃ驚く。そうは言ってもこのトリは,申し訳ないが,俺的には,デフレマインド,マックス。紅白は時代を映す。それは確かなようである。

紅白のあと,いきなり静寂に包まれる「ゆく年くる年」で,恒例のしみじみ感を少し味わいつつ,年越し蕎麦を掻き込む。歩いて近所の寺,神社に初詣に出かける。けざやかにして大なる小望月がほぼ中天にあり。亡父の供養をしてくれている稱念寺,氏子の河合神社を訪れた。稱念寺では,墓の管理をしてくれている近所の檀家の方にご挨拶。本尊を拝み,除夜鐘を撞いた。引き続き,河合神社に詣でて,二拝二拍手一拝。妻は「ご縁がありますように」と五円玉の賽銭。俺は「余縁」と一円玉四枚。北朝鮮情勢が不穏でもあり,たった四円で,ついでに,世界平和を祈願。氏子さんの配る甘酒をいただく。ご苦労さまです。

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四天王寺 金堂・五重塔

夜が明けて,亡父の墓参り。そのあと,天王寺まで電車で出て,聖徳太子ゆかりの四天王寺にお詣り。四天王寺は,推古朝の五九三年に建立された,わが国の最古の寺院のひとつである。平安のころから,熊野と同じような浄土信仰を集めて,後白河院が頻繁に参詣なされたことが『平家物語』にも見える。

法隆寺とは対照的に戦火,風雨に幾度となく破壊され,再建されて来た大寺院である。二〇世紀に入っても,戦前の室戸台風で破損し,昭和二〇年三月の空襲でほぼ全焼した。戦後,飛鳥時代当時の様式で再建された。

金堂で,中村岳陵画伯の筆になる,お釈迦様の来歴を表す壁画を眺める。場にそぐわぬエロティックな女性像に心を奪われる。皇国の苦難の歴史に思いを馳せ,救世観世音菩薩を拝む。わが国の安寧を祈念。そして,最悪だった俺の二〇一七年の澱の浄化,悪霊退散,怨霊調伏,厄祓い。年末,血腥い事件のあった深川・富岡八幡宮にこれをお願いしようかと思ったが,年初に四天王寺で済ませた次第。四天王寺も血腥い時代に建立された古刹なんだが…。


そのあと,歩いて新世界。串カツを食いたい気分であったが,妻がパフェを食べたいと言い出したので,昨年娘と入った昭和な薄汚い喫茶店で食事。やっぱり俺は昭和なホットケーキを注文。食っていると,犬を連れた老人が隣席にやって来た。常連のようである。飲食店なのに犬を連れた入店を受け入れているのは,昨年と同じ風景である。このおじいちゃん,「今,店混んでるんで,相席になってもよろしですか?」との店員の問いかけに,ニコニコと「うんうん,アイスコーヒーでええわ」と受け応えしてはった。「アイセキ」言うとんやで,「アイスコーヒー」とちゃうで,おじいちゃん。新世界周辺は犬を連れた老人が目立つのはどうして?

さて,今年はどういう年になるのやら。