失くした夢は碧い海の色…


失くした夢は
碧い海の色…


恋のために
髪を剪る日は
涙はこぶその風が
教えてくれるよ…

安全地帯『碧い瞳のエリス』,1985 年。

通勤の電車のなかで昔の J-POP(当時は,歌謡曲という「ダサい」呼ばれ方を嫌って「ニューミュージック」なんて言ってた。草)を聴いていて,ときおり,その歌詞にふと改めてこころを貫かれ,魂がどこか遠くに行ってしまうようなことがあるものである。

いい歳をして,過ぎ去った若いころの情に,諦めの胸騒ぎ。失くした夢は碧い海の色…。感情のお里が知れてしまう。

韓国ホワイト国除外

8 月 2 日,外為法ホワイト国から韓国を除外する政令変更が閣議決定された。施行は 28 日からとのこと。米国が仲裁をもちかけたとの報道もあったが,予定通りである。

でも,だからといって,韓国への輸出が禁止されるわけでもなく,しかるべく手続きをすればよいのに,日本製品不買運動・排除に韓国世論が動いていて,アホじゃないかと思う。なら,エッチングガスもなにもかも,日本から買わなきゃいいじゃないか? 日本から韓国への輸出禁止は彼らにとっては願ったり叶ったりではないか? 東京五輪をボイコットする? サッカー日韓ワールドカップでのラフプレー・不審な審判裁定以来,世界は韓国のアンフェアを刷り込まれているので,むしろ韓国の東京五輪不参加は,欧州を中心に世界が歓迎するだろう。アホじゃないかと思う。

どうしてここまで韓国(いまや「り地域」とネットでは言われている)は気が狂ったように騒いでいるのか。よくわからない。こういうのを火病というのか。

朝鮮出身労働者請求権問題,慰安婦合意破棄問題,火器管制レーダー照射問題,韓国国会議長による天皇侮辱問題と,昨年から度重なる韓国の約束破り・対日侮蔑行為にとうとう日本がキレて「経済報復」に出たのだ,と思うに足る背景があることは間違いない。韓国だけではなく,海外も概ね日本の「制裁」と受け取っているようである。しかし,わが経産省はあくまで安全保障上の理由による輸出管理の厳格化措置だと公式には説明しているので,仮に昨年来のこれらの日韓事案が日本の望む通りに解決されたとしても,ホワイト国除外を撤回できない。だって問題の理由が違うのだから。それくらい日本の官僚は公言したことは徹底する。経産省はまた,パーティーと会合しかやっていないような外務省みたいな口先集団ではなく,実務責任を持つ役所なので,きっちり決めた物事を進めるはずだ。そして,人間関係の常として,一旦失われた韓国への信頼は,回復のために韓国側の多大な時間と努力が必要となるはずだ。

それにしても,韓国という国はどういう神経をしているのか。まったく呆れる。「経済報復」と決めつけて責任をすべて日本に押し付け,WTO においてまで鼻摘まみの大騒ぎ。なのに直接的な安保問題である北朝鮮のミサイル問題はほとんど放置モード。何よりも,貿易管理の実施内容について日本と実務のコンセンサスをとって改善を約束することで事態を打開するという,当たり前の手順をどうして踏まないのだろうか。問題をすり替えるのか。

徹底的に日本の所為にして国民の怒りを日本に向けさせることに韓国政府は大わらわである。ホワイト国除外は WTO 違反だと主張しながら,韓国も報復として日本をホワイト国から外しかつ WTO に提訴するなんて,論理破綻したことを平気で口にしている。一方で,貿易となんの関係もない GSOMIA を継続しないなどと日本に脅しをかけている。だが,これで米国の怒りを買い米韓同盟を揺るがすことがどうしてわからないのか。俺からみても,まったくアホちゃうかである。ま,おそらく GSOMIA は,中国・北朝鮮よりの現在の韓国であってみれば,むしろ日米の敵国への情報漏洩が心配されるだけに,もはやあまり価値がない。つまり,脅しにもなっていない。

これでは,韓国政府の輸出管理改善が望めず,わが経産省も本当に輸出許可を出さないことになり,結果,韓国経済に大きな影響が出る事態になってしまいかねない。輸出する日本企業側は輸出管理手続きをきちんとやるのでほとんど影響はないと言っているらしいのに。なのに韓国は勝手に騒いでいる。それ自体が墓穴を掘るように思われる。「日本による経済侵略」だと。笑ってしまう。どこまで被害者意識が強いのか。頭の悪いトップがいると本当に国の進むべき道を誤るんだな。

ま,俺からすれば,愚かな韓国指導者のおかげで韓国経済が自滅してくれて,半導体その他,サプライチェーンから韓国が剥がされて,韓国がもっている高付加価値ハイテク市場シェアを米国,日本,台湾で山分けできるのなら,これ以上のことはない。祝杯をあげるのはそのときである。米中貿易戦争でいっしょに中国がつぶれてくれ,その安全保障的・経済的恩恵を日本が受けられるのなら,万々歳である。

ついさっき,為替相場をチェックしたら,韓国通貨危機のボーダーとも言われている1ドル1200ウォンを下回るウォン安になっていた。ほどなく面白いことが起きそうである。

大津皇子の恋歌

『万葉集』巻二に,大津皇子おおつのみこの興味深い恋歌がある。

大船おほぶね津守つもりうららむとはまさしに知りて我がふたり寝し

「大津皇子,石川郎女いしかわのいらつめひそかにひたまへる時,津守連通つもりのむらじとほるの其の事をうらあらはせれば,皇子の作らす御歌一首」との詞書がある。「占へ露は」す,つまり,占いに顕れるとは書かれているが,津守連通というのは諜報・秘密警察のような役割を担った役人であり,密かに探りを入れて知るという意味だろう。

つまり,この歌の意味は「スパイにバレていると知りながら俺はお前と寝たのさ」。反対勢力に取り囲まれる政治的苦境のなかで,そんなのどこ吹く風とばかりに愛欲に身を委ねるその豪胆さに,思わずしびれてしまう。
 
大津皇子は父・天武天皇の崩御後まもなく,謀反の罪に問われ処刑された皇子。二上山にある彼の墓に,俺は高校生のころお詣りしたことがある。それにしても,叛逆の罪に問われた者による,かような愛欲の詩さえも収録する『万葉集』というわが国最大の詞華集には,本当に驚かされる。

令和に御代替りとなり,はじめて国書がその典拠とされたことから,四月以降,にわかに『万葉集』関連の図書が書店の平積みを占めるようになった。俺も令和を寿ぎ,久しぶりに『万葉集』を手にとりつまみ食い。

対韓国輸出規制強化

日本の経産省が 7/4 から韓国に対しフッ化水素などの三品目の輸出管理について規制を強化した。加えてパブリックコメントを経た上で,8/1 から韓国を輸出規制ホワイト国から除外することも発表した。

これに関する 6/30 の産經新聞の報道から,韓国では蜂の巣をつついたように大騒ぎになっている。G20 で韓国の存在感まるでなし,トランプがキムジョンウンと電撃会談,なんてのも吹き飛ぶ勢いである。指定三品目の供給阻害が,韓国の主要産業である半導体,有機 EL ディスプレイの製造に決定的な悪影響を及ぼし,この結果,ただでさえ弱っている韓国経済が破綻するかもしれないからである。朝鮮半島出身労働者問題(いわゆる徴用工問題)の韓国最高裁判決とその後の韓国政府の放置に対する経済制裁と韓国では捉えられているが,日本政府は,そうではなく,韓国の信用が低下したことによる,輸出規制優遇対象からの除外だ,と説明している。

僕自身,韓国最高裁判決に基づく日本企業の資産差し押さえが現金化され日本企業が実質的に損害を被ってはじめて日本政府が報復に打って出るというふうに報道から知らされていたこともあり,現金化の前でのこの経産省の措置はたいへん意外に思われた。日本政府には,単独で他国に対して経済制裁をなす法的根拠も,根性もない,と思っていたからである。

たしかに,この輸出規制強化は韓国を優遇対象から外すというだけで,これがすなわち禁輸に直結するわけでもなくきちんと申請・受査すれば輸出は可能なわけなので,制裁というには甘すぎる話ではあるけれども,韓国の狂騒的反応をみていると恐るべき効果を発揮しているようにも思われる。

経産省の発表によれば,この措置をとった理由は「不適切な事案が発生した」こと。ところが,具体的に韓国の行った何が不適切な事案なのか,まったく説明していない。別の報道によれば,経産省が具体的事案の説明を行わないのは「守秘義務があるから」だそうである。そんなの理由にできるか?

じつは,僕はこの思わせぶり,「俺たちは知ってるぜ」風の物言いにいちばん「日本政府の怖さ」を感じるところなんである。ひと月半前くらいに産經の zakzak で,韓国に輸出した戦略物資がイランに横流しされていた可能性について記事が出ていたのだが,これを読んだときは,ま,産經なんで韓国をディスる記事は当たり前か,程度にしか捉えなかった。しかし,ここにきて,この手の「事案」について経産省が確かな証拠を押さえていて,今後の動向をみながら次なるカードとして隠しもっているのかもしれない,ということに思い至ると,日本政府も恐ろしい戦略をもって韓国に戦いを挑んだものだと考えさせられるのだ。

日本から韓国に輸出されたフッ化水素がイランや北朝鮮のウラン濃縮のために横流しされていたというような事実が仮に明らかになると,米国を烈火のごとく怒らせるのは間違いなく,韓国は日本に限定されず米国からも制裁を受ける事態になりかねない。そもそも情報オンチの日本政府であってみれば,じつは米国からの情報に基づいて米国と議論した上でこの措置に至ったと考えるほうが腑に落ちるところがある。

外務省は相手国と高級ワインを飲んで宴会をしているだけなのだが,経産省は違うようである。日本政府は韓国に対して本当に怒っている。徹底的に韓国ムンジェイン政権を締め上げるつもりのようである。これまで日本政府が産業を直撃しかねないような措置を韓国にしたことがあるのか?と考えるにつけ,韓国はいま恐れおののいているのではないかと,それゆえに狂騒的に日本に噛み付いているのではないかと思う。

韓国は日本の「報復」に対し相応の報復をやると息巻いている。何ができるのか? WTO に訴える? ホワイト国でない他の国と同じ扱いにするのがどうして自由貿易原理や国際法の違反なのだろうか? しかも,WTO に訴えると日本に「不適切な事案」の具体的問題を明らかにされ,逆に自分の首を絞めるのではなかろうか。日本に対して同様に「輸出制限」をかける? 制限されて日本が困る代替不可の品物なんて韓国にあるのか? 関税を上乗せする? それこそ WTO 違反ではないか。日本製品不買? 一般消費者にはムリムリ。日本への旅行自粛? んー…,その程度? 日本への報復として韓国にできることは,せいぜい日本の「不当な措置」を泣き喚いて国際社会に吹き込むことくらいに思われる。

これから日韓の面白いチキンレースがみられそうである。ま,中二病韓国がへこみ泣き喚き吠えまくるのをみるのは一興ではあるが,ここで他人の不幸はどうでもよくて,願わくば,これを機に,わが国が韓国に盗まれた技術と市場を奪い返し,いま再び「朝鮮特需」にあやからんことを。あくまで日本の利益になるように日本政府にはお願いしたいものである。

8/10 付記:ここで「輸出規制強化」と書いているが,経産省は「規制ではなく管理の強化」と明言している。他のホワイト国以外への国と管理を同じにするということなので,たしかに「規制」ではなく,そもそも「禁輸」でもなく,緩い「管理」からきつい「管理」に変更するということに過ぎない。朝日や毎日は政府がいくら口を酸っぱくして説明しても,いまだに「規制」と書いている。朝日や毎日みたいな新聞と同じになりたくないけれども,ま,このままにしておこう。

令和の御代。橿原神宮参詣。

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皇紀二千六百七十九年五月一日,第百二十六代の天皇陛下が御即位され,令和の御代となった。

朝10時半ころから俺もNHKで,即位礼正殿の儀,剣璽等承継の儀,即位後朝見の儀を見た。

剣璽等承継の儀では,八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が継承されるところをはじめて見た。なんで三種の神器のもう一器,八咫鏡(やたのかがみ)がないのか俺は知らなかったのだが,調べたところによれば,この鏡は,天照大神がご自身と思って祀るようにと神勅を下したことから,伊勢神宮に祀られ,他の神器とは別格の渡御すべからざる神性があるゆえ,この儀において取り扱われないという。

特集番組は,天皇御即位と令和の幕開けに関して,国民のお祝いムードを伝えていた。昭和の天皇が崩御された悲痛な雰囲気のなかで平成の時代が始まったのとは,まったく異なる御代がわりである。

受禅践祚はなんと 202 年ぶりだそうで,今回は,現在の皇室典範において譲位の定めがないことから特例法を制定しての儀となった次第である。こういう歴史的な明るい御代がわりを俺もこころから言祝ぎたい気分である。

四月三十日,平成最後の日,奈良県橿原市にある橿原神宮にお詣りした。橿原神宮は,第一代神武天皇とその皇后,媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りする。この地は,神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が初代天皇として即位したところと日本書紀に記された,我が国建国の聖地である。御代がわりに皇統の源に思いを馳せるに相応しいと思ったのである。

大和三山のひとつ畝傍山を望みながら外拝殿に入る。そこから本殿に向けて柏手を打った。他の参詣者を見ていて,皆,二拝二拍手一拝の作法に従ってお詣りしているのに少し驚く。いったい,いつの頃からこうしてきちんとした作法が定着するようになったのか。

俺は神道系の高校を卒業した関係で,神道教科において神社の作法を教え込まれ,そこではじめて二拝二拍手一拝を知ることとなった。毎朝,毎夕,構内の神社の前で,二拝二拍手一拝をさせられたわけだが,その当時こんな作法は一般には誰も知らないのではないかと思っていたし,実際,当時は神社の参拝風景でもほとんど目にすることはなかったと記憶する。

20190430-kashiharajingu.png

recv() is deprecated on :utf8 handles

misimakansiserver: misima 漢詩平仄音韻分析デーモン,misimaserver: misima 旧仮名遣い・旧字変換デーモンのログに,いつのころからか次のようなエラーメッセージが出るようになっていた。

recv() is deprecated on :utf8 handles at /usr/local/lib/perl5/5.24/mach/IO/Socket.pm line 304.

機能的にはなんら支障が出ていないのでしばらく放置していたのだが,ちょっと気持ち悪いので対処することにした。

cpan perldelta によれば,Perl 5.23 あたりから,sysread(), syswrite(), recv(), send() について :utf8 ハンドルが廃止予定になったとのこと。

バークレイソケットインタフェースでクライアントと接続する際に,これまではクライアントのソケットディスクリプタ(ハンドル,通信路)に対し,binmode 関数で UTF-8 デコードするように指示していたのだが,これを行うとワーニングを発するようになっていたのだった。

とりあえず binmode:utf8 フラグをセットしてデコードするのをやめ,読み書きの前後に utf8::decode 関数(ストリームデータを Perl 内部で UTF-8 として処理できるようデコードする), utf8::encode 関数(Perl 内部データを UTF-8 にエンコードする)で変換操作を行うように改変した。コード主要部は以下のとおり。

while ($reqs-- > 0) {
    # クライアントからのリクエストを受信
    my $client = $listen_sock->accept() || last;
    my $readbuf;
    my $clip = $client->peerhost();
    my $ts = [gettimeofday] if ($sopts{'d'}); # タイマ
    print logtime() . " - $$ Chinese Verse Analysis Started.\n";
    # binmode $client, ":utf8";  # 削除
    defined ($client->recv($readbuf, $MAXLEN)) ||
        die logtime() . " - $$ recv error: $!\n";
    utf8::decode($readbuf);      # 追加: UTF-8受信データをデコード
 
    print logtime() . " - $$ Client: $clip; Received Text:\n$readbuf"
        if ($sopts{'d'});
    # クライアントからのデータをもとに処理を実行し,送信バッファにセット
    my $sendtext = kansi_main($readbuf);
 
    # 処理結果をクライアントに送信
    utf8::encode($sendtext);     # 追加: 送信データをUTF-8にエンコード
    print $client "$sendtext\n";
    $client->flush();
    $client->close();
    print tstrip($sendtext) if ($sopts{'d'});
    print logtime() . " - $$ Analysis for $clip Completed.\n";
    print logtime() . " - $$ Elapse: " . tv_interval($ts) . " sec.\n"
        if ($sopts{'d'});
}

これでワーニングを抑止できた。

五月一日の御代替わりの新しい元号は「令和」と決まった。万葉集巻五,梅花の歌三十二首の序文の一節から採られたとのこと。

時に,初春の令月にして,氣く風やはらぎ,梅は鏡前の粉をひらき,蘭は珮後はいごかうくんず。
日本古典文学大系『萬葉集 二』岩波書店,昭和三十四年,73頁。

鏡の前の美女の白粉のように白い梅花,嚢中のお香のように薫る蘭花という,清く美しい和の花の背景が麗しい。なるほど,めでたい元号ではないか。

しかしながら,「令和」という元号に対して,予想通り,左がかったインテリたちは日本の右傾化を象徴していると息巻いているらしく,例にたがわず,このめでたい新元号発表に不愉快な一石を投じてくれている。

欧米メディアには,漢籍の伝統に反し国書から採用したのは,中国に対抗しナショナリズムに傾く日本の国情の現れだというような,独善的な論評をなすものもあるようである。

また,「令」は命令の令であり「和」を強制するとは安倍の独裁も極まった,などというのも見た。「令」は「巧言令色」にあるように悪い意味だ,というバカ左翼もいた。「令」は「気品があって麗しい」という意味(「令嬢」の「令」)があることを,頭から無視している。「令子」という名の女性は数多くいるが,それは「悪い意味」なのだろうか? 人を侮辱していることがわからないのか。

そしてまた,元号は天皇制の時間軸を国民に強制するものだ,と,またぞろ,日本共産党は日本の伝統を否定するのに忙しい。これと同じように,天皇に結びついた元号を押し付けられるのは,国民の基本的人権の侵害であり,憲法違反だ,として裁判所に訴え出たバカな八十ジジイもいた。見境なく人権尊重を振りかざすバカジジイ。1960 年代に学生運動にかぶれた世代は,ホント,傍迷惑な存在である。いったいどこまで日本の老人は愚鈍なのか。もちろん,皆が皆ではないが。おまけに,もっともよい条件で年金を貰っているから,いよいよ頭に来るんである。

これらはすべて,己の Anti-Japan,反安倍政権の立場を説明するか,人権をはき違えているか,もしくは,元号というわが国柄のひとつを貶めたいに過ぎない。おまけに,その主張の過程で,「令子」さんに対してまったく意味のない侮辱的言説をなしていることにすら気づいていない。

もう一方で,今回,元号史上はじめて国書を典拠としたことが大きな話題となったわけだが,「初春令月,気淑風和」という文言は,中国古代の有名な詩文集『文選』にある「仲春令月,時和気清」に淵源があり,万葉集から採ったというのは間違いだ,などと衒学的なことを言うイヤミな野郎もいる。元号を決定した内閣が「万葉集から採った」と公に言うのだから,この出典議論はなんの意味もない,ただのバカ丸出しの学者気取りである。

はっきり言って,日本の古典が中国古典詩のレミニッサンスに満ちているのは当たり前であって,この愚か者の論理がまかり通ると,韓国人の病的なお家芸である「なんでも韓国起源説」と変わりがなくなってしまう。「米国産の小麦粉を使ったからと言って,日本人のパティシエが日本で作った美味しい菓子を米国産だと言うバカがどこにいる?」と,ある人がうがった譬えをしていた。

「初春の令月にして,氣淑く風和ぎ,梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫ず」は明らかに漢文調である。ここから漢文を「再構成」してみると,「初春令月 氣淑風和 梅披鏡前粉 蘭薫珮後香」となるだろう。さらに梅,蘭に対し中国風に梅花,蘭花と花字を補うと,「初春令月 氣淑風和 梅花披鏡前粉 蘭花薫珮後香」。平仄は○○●● ●●○○ ○○○●○● ○○○●●○。対句・平仄も見事な四六駢儷体となる。この序文を書いた人の漢籍の教養を推し量ることができる。

このように,元号「令和」は漢籍の文言に拠るという元号の伝統をもきちんと踏まえている。その上で,万葉集というわが国最古の詩歌集を直接の典拠としたわけである。しかも,万葉集は,天皇,貴族から兵士・乞食・売春婦にいたるあらゆる社会階層の人々の作品から構成されているという,世界に類をみない「国民的・民主的」詩歌集である。まさにその点で,「令和」は,日本国民の統合を象徴するに相応しい,たいへん美しい元号だと思う。こんなクールな元号を発案し決定してくれてありがとうである。

新元号発表直後に讀賣新聞社が行った緊急全国世論調査では,「令和」に好感をもっているとした人は 62% で,国書から採られたことを評価するとした人は 88% に上った。やはり,日本国民は総じて,上記の偽善的左翼,インテリぶったバカども(ホント,頭に来る!)とは違うのだ。安心した。

ここで改めて,典拠となった序文をすべて引用しておきたい。

 梅花の歌三十二首
天平二年正月十三日に,そちおきないへあつまりて,宴會をひらきき。時に,初春の令月にして,氣く風やはらぎ,梅は鏡前の粉をひらき,らんはいかうくんず。加之しかのみにあらずあけぼのの嶺に雲移り,松はうすものを掛けてきぬがさを傾け,夕のくきに霧結び,鳥はうすものめらえて林にまよふ。庭には新蝶しんてふ舞ひ,空には故雁歸る。ここに天をきぬがさとし,地をしきゐとし,膝をちかづさかづきを飛ばす。ことを一室のうらに忘れ,ころものくびを煙霞の外に開く。淡然にみづかほしきままにし,快然にみづから足る。若し翰苑あらぬときには,何を以ちてかこころべむ。請ふ落梅の篇をしるさむ。古と今とをそれ何そ異ならむ。園の梅を賦していささかに短詠を成すし。
同前。

師匠の家に仲間が集い,令月,やわらかな風,白い梅,芳しい蘭,曙光をおおってたなびく霧,蝶,帰る雁,など初春の麗しい暁の風景のもと,酒宴を囲み,各々気ままにくつろぐうちに,ある者がいまのこの快いこころを表して梅の歌を詠もうと提案し,そして仲間が詠んだ歌三十二首を掲載する,というのが要旨である。

安倍総理が令和発表後の談話において「人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べたのも,この序文全体から読み取れる,仲間が集まり美しい自然に喚起されて酒宴を和やかに楽しむなかで詩を生み出して行く,ということを踏まえているのである。

五月一日の御代替わりとともに,令和という新元号を,俺もこころから寿ぎたい。

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2019.4.1 讀賣新聞夕刊
* * *

ところで,四月一日,令和が公にされたわけだが,もう一方で働き方改革法が施行される運びとなった。個人的な意見としては,めでたい新元号発表の影に隠れるように,くだらない悪法が施行された,という感じなんである。

さしあたりは大企業が対象であるが,来年には中小企業もこれに従わなければならない。うちの会社でも,法改正が国会を通過したときから,残業規制の厳しい通達が回って,幹部が口うるさく労務管理を言うようになった。なにせ,この法律に違反する事案がたった三発出たら,その企業は官庁調達において指名停止を食らうのだから。

もちろん,「日本人は働き過ぎ」という国際常識からみた考え方や過労死問題を軽んじることはできないが,法律で雁字搦めにする話かは疑問である。先日,体罰禁止の児童虐待防止法改正案が閣議決定したこともそうだが,共同体が法律とは独立して対処すべきことを,法律で政府なり自治体なりが強制するというのは,共同体が機能しなくなっていることの現れのように思われる。要するに,問題は行政とは別のところにあるのではなかろうか。

俺からすれば,働いて働いて,それで稼いで何が悪い,である。サービス残業の評価基準を決め,対価のない不当労働の強制を取り締まるだけで十分ではないか?

韓国の文在寅政権は,経済状況を踏まえずに最低賃金を上げるという,馬の前に荷車を繋ぐような愚かな政策を推し進めた結果,企業が採用を見合わせ,若年層の失業率を悪化させている。弱き者の味方みたいな政策が,結局弱き者を路頭に迷わしているのである。

それとまさに同じように,働き方改革法は,思うに,サービス残業をより深刻にする。だって,法が認める残業時間上限が下がるのに応じて,支払われる残業代が下がるのは目に見えているからだ。あるいは,真面目にこの法律に従う企業に対しては,生産性向上が果たせないと,必要以上に雇用を増やさせ固定費増大を余儀なくし,収益を悪化させる。これが,ひいては国富を低下させ,日本経済をいよいよデフレ化させることになりはしないか。

ゆとり教育と同じで,結局はよろしくない方向に行くと思われてしかたがない。これで十月に消費増税? 追加教育のゆとりのない家庭の子供の能力をさらに低下させ,経済的弱者をさらに弱体化させる。ふざけんな。

ドナルド・キーン『日本の文学』

本日二月二十四日,ドナルド・キーンが亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。

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高校二年のとき,彼の『日本の文学』を吉田健一訳,中公文庫(昭和 54 年)で読んだ。

高校の古文の授業で日本の古典和歌などを学ぶわけだが,掛詞や縁語,枕詞などのわが国の特殊な文藝手法については,それらが伝統であるということ以上の文藝学的意味論などについてほとんど教えられることはない。「こういうのが伝統」でほぼおしまい。文藝手法,レトリックの観点で,現代文学,世界文学のなかで,どのような文藝的意義や特長があるのか,なんてほとんどまったくスルーされるのが常ではないかと思う。

掛詞なんて,日本語は音の種類が少なく同じ音の言葉が多いので地口,ダジャレが容易であり,日本古典においても面白半分の言葉遊びが文学的手法になってしまったのだろう,程度の想像を個人的にはしていた。

でも,ドナルド・キーンの『日本の文学』を読んではじめて,掛詞や縁語等の日本のレトリックが,西欧文学の知性で捉えても,日本の文学表現を驚くほど豊かに,複雑に,高度に洗練させていることを,「わかりやすく」説明してもらったように思う。高校生のころのその感動を今でもはっきりと覚えている。日本人によってではなく,アメリカ生まれのドナルド・キーンによって,はじめて日本の古典の凄さを教えられたように思う。

[…] 悲劇的な印象をさらに深くするための掛け言葉も発達して,時には,詩人が一篇の詩の終わりまで全く違った二組の影像を並行させて,少しも破綻を来さずにいることもある。例えば,
 
  消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露    定家
 
という歌はそのように二通りに解釈することが出来て,その一つは,自分は死にたくて,心変りしやすい相手にもう飽きられたのが辛くて自分は森に降りた露も同様に弱っている,というのであり,この歌の音を別な意味に取れば,風が吹き荒ぶ森の露は秋の色が変るのとともに消えてゆく,ということになる。そしてこの何れの解釈も完全なものではなくて,それは詩人の精神のうちでは言葉は絶えずこういう二組の影像の間を往復し,そのために,秋風に吹かれてたちまち消えてしまいそうな露は,恋人に捨てられて,自分が何故まだ生きているのか解らない女と一つになっているからである。露は単に女の状態を語るのに(また,女が流す涙を暗示するのに)比喩的に用いられているのではなくて,それは自然現象としての露でもあり,詩人はこの歌でその両方に表現を与え,いわば,何れもそれだけで完全でありながら,互いに離れられるものではなくなっている二つの同心円を,言葉の上で描くことに成功している。
ドナルド・キーン『日本の文学』吉田健一訳,中公文庫,昭和 54 年,16頁。強調引用者。

僕が強調を付したような明解な論理でもって,掛詞の影像の往復あるいは同心円構造の性質を伝えてくれた先生がいただろうか。なんでこのように,「伝統」ですまさずロゴスでもって対象の特長をきちんと日本人が教えてくれないのか。高校生のころ,このように思ったものだった。また別のところで「日本語のこういう性格は時に,そして殊に能楽では,絃楽の三重奏か四重奏を聞いているような効果を生じることになり」云々というような美しい譬で,日本語と日本文学の特性をドナルド・キーンは教えてくれる。

日本の古典の特徴を説明するに際して,欧米の文学観との差異を明確にするために,シェイクスピアの演劇やモーツァルトのオペラとひき比べる比較文学観点もあり,わが国の古典の偉大さを,日本人にとっての単なる自画自賛としてではなく,理解させてくれたのである。

本書の解説を書いているのは,ドナルド・キーンの友人でもあった三島由紀夫である。三島の自己流にして,従って表層的な – 作家であるからには己の美的感覚で古典を解釈しようとするのは致し方ないのかも知れないが – 日本古典文学理解に比べて,ドナルド・キーンの解説は視野もより広くかつ深い,といまだに僕は思っている。日本人ではなくアメリカ人 – その後ドナルド・キーンは東北大震災後日本に帰化したので,名実ともに日本人なのだが – によって日本古典文学の蒙を啓かれた,というのが,思うに,わが国の(わが国らしい)皮肉である。

海外の友人から日本古典文学について何か一冊お薦めの解説書がないかと問われれば,迷うことなく,ドナルド・キーンの本書のもとになった “Japanese Literature: An Introduction for Western Readers ” を上げる。日本人もきちんと理解できていないことを日本人よりも深く理解している欧米人が解りやすく解説した本として。

いまアマゾンで調べたら,『日本の文学』中公文庫版は古書でしか見当たらなかった。ドナルド・キーンは『日本文学史』という大著において,包括的に,詳細に,専門的に日本文学について述べている一方,『日本の文学』は,もともと,西欧の知識人向けに日本文学の美点を明確にかつわかりやすく書いている名著であってみれば,手軽に入手できる版が今のところ古書でしか手に入らない,というのはちょっと残念である。新刊では,新潮社から刊行された著作集第一巻に収録されている。

日本の文学 (中公文庫 M 11-4)
ドナルド・キーン
吉田健一訳
中央公論新社

最近,仕事が忙しくてこのバカブログもほったらかしの状況で,昨年からほとんど更新することがない。

個人生活は仕事と,帰宅してのジム通いにほぼ限定されている。一時間,ウェイトトレーニングと水泳で汗を流し,半時間,サウナと炭酸湯で体を温め,ジムを出る。ぽかぽかした気だるい体が寒風にさらされる心地よさに身を委ねる。そのときの煙草が旨くて仕方がない。そして「煙草やめなくちゃ」と思う。ほとんどそれだけが今の俺の日常である。平成最後の − 今の世の中の,聞き飽きて呆れるセリフなんだが − 正月もこれ以外はなにもなかった。

そうはいっても,昨年下期から,世の中ではいろいろなことがありました。ま,今のところ,俺の個人生活にはまったく関係のない国際情勢のことだ。

朝鮮出身労働者(ニセ徴用工)裁判,レーダー照射事案,慰安婦財団解散(2015 年の日韓合意の事実上の形骸化)と,立て続けの韓国による挑発で,日韓関係が酷寒状態に冷え込んで,楽しい事態(下品ですみません)になっている。日本政府はいつ制裁を課すのかみたいなノリでネットが騒いでいる。ここに来て,韓国の国会議長がわが天皇陛下まで侮辱するような発言をなして物議を醸している。ホント,腹がたつ。

この問題に関し,韓国への経済制裁が検討されている。ビザ免除停止やら戦略物資(フッ化水素等)の輸出制限やらいろいろと案が議論されている。でも,経済制裁なんて日本政府にできるわけがない。日本企業にも経済的被害が多少にせよ及ぶのだから,そんな身を切る根性が日和見の日本政府にあろうはずがない。そして「遺憾砲」を打ち続けるばかりだろう。おそらく韓国政府にもそれを見透かされている。

韓国のしかるべき権力者によって天皇陛下まで侮辱されているからには,俺的には日本政府には「誅殺!」くらいの勢いを見せて欲しいところだが,ま,絶望的に無理だろう。一方で「もはや断交」と騒ぐ人たちがいるけれども,どんな実質的意味があるのかさっぱりわからない。日本と友好的な関係にある台湾とだって,日本は断交状態にあるのを知らないのだろうか。

そんなことより。日韓関係なんかより,なにより,米中貿易戦争のほうが桁違いに深刻である。昨年十月のペンス副大統領の演説は,今後何年にもわたるべき中国敵視政策への方針転換を明確に示した。経済だけでなく安全保障の問題になっている。俺的にはこれこそが昨年のトップニュースである。

ファーウェイをはじめとする中国製通信機器の使用を,日本すらが国家レベルで禁止する方向になった。もう日本も米中貿易戦争,新冷戦に巻き込まれてしまったわけであり,明確な態度で米国と足並みを揃えて行かないと,ただでさえ対日貿易赤字が米国から問題視されている背景にあって,もはや,日本もいつなんどき米国から経済的に敵視されるかわからない状況ですらある。もう,日韓関係なんて,ホント,ハナクソみたいな問題にさえ思われる。

知的財産の不当な窃取をやめよ,自由な資本投資・回収を認めよ,と米国が中国にほぼ無理な要求を突きつけている次第であるけれども,中国に肩入れし過ぎた韓国経済は,米国が中国を虐めれば虐めるほど,中国よりも先に潰れる仕組みになっている,へたに制裁なんてしなくても,米国のおかげで韓国は勝手に潰れてくれる,と俺は考えている。日韓関係なんてのは放っておいてよい。さしあたり,二月末期限を切って米国が中国を追い詰めている状況を注視したいと思っている。

三月一日に韓国は,北朝鮮といっしょに百周年の建国神話(三一運動は,北朝鮮の建国神話と真っ向から対立する韓国の捏造神話なんで,北朝鮮が協調するとはとても思えないが)をブチ上げ,大々的に反日的愛国運動をやる計画みたいだけれど,米国が期限切れを理由に中国に関税爆弾を投下するのとほぼ同時になって,へたすると三月一日に韓国株が大暴落を起こすことさえありうると俺は「期待」している(下品ですみません)。

要するに,対韓経済協力(通貨スワップ等)なんてしなくてすむこの雰囲気のなかで,日本は遺憾砲を打ち,国際世論にわが国の正当性を訴えるに留め,韓国の自滅を待つだけで十分ではないかというのが,俺の思うところである。なにも,韓国にガツンと食らわせてスカッとするなんて大人気ないことを目論む必要はない。韓国・文政権は,公務員増・最低賃金増の政策の失敗で経済がボロボロなのに北朝鮮・中国という敵国寄りの姿勢を変えず,同盟国である米国からさえもすでに愛想を尽かされているので,日本以外に助けてくれる国を想像できない。このまま放置しても,勝手に自滅する。韓国が潰れたときその経済の草刈り場をどれだけわが邦の利にできるかを考える方が,経済制裁などを考えることよりもずっと重要ではなかろうか。

そしてなによりも,米国の中国潰しにどのように関与すれば,米国がこの新冷戦に勝利した暁に日本が米国から利益を山分けしてもらえるか − 日本政府には,これを真剣に,ホント,真剣に,考え,行動してもらいたいと思う。この過程で中国との関係において,日本は,対韓国経済制裁なんて比較にならないレベルで,間違いなく身を切る必要が出てくるはずである。米国はわが身を切ってでも中国を叩く覚悟を決めたのだ。この困難な道を行くに際して,中国に付き従う小国,亡国の韓国のことなどどうでもよいのである。

そんな状況なのに,安倍さんは,中国との関係改善を図り,経団連・財務省の言いなりになって,消費増税を必ずやる,なんてトンチンカンなことをやっているように見える。参院選で惨敗すればよいと思う。いや,あのア●ばかりの野党じゃそれもありえないか。安倍さんのことだから衆参ダブル選挙なんてこともあるかも知れない。

ま,米中貿易戦争による中国経済大失速も近く起きそうで,また一方で英国 EU 離脱問題が世界経済に悪影響を与えるのも秒読み状態で,そうなると日本の株価が大暴落する可能性も高い。リーマンショック級の経済ショックで消費増税どころではなくなるのでは,というのが正直なところである。どう転んでも,今年の日本経済の先行きは暗い。韓国のことなどどうでもよいのである。韓国みたいな小国のことよりも自国を心配すべきなのである。

そんなことより。池江璃花子さんの白血病のほうがもっと心配だ。とにかく治療に専念して,できれば,アスリートとして戻って来て欲しいものである。

やさしいうえにもやさしい…

YouTube でロシアの女性歌手,エレーナ・フローロヴァのギター弾き語りで «Нежнее нежного»(『やさしいうえにもやさしい』)を視聴。この作品は二〇世紀ロシアの大詩人,オシップ・マンデリシュタームの詩に曲を付けたものだ。彼女はほかにもツヴェターエヴァなどの詩をもとに曲を書いている。エンベッドしておくので,お楽しみいただきたい。やさしいうえにもやさしい,いい曲でしょう。

マンデリシュタームの詩の原文と,手元にある峯俊夫の訳を掲載しておく。

Осип Э. Мандельштам    
 
オシップ・マンデリシュターム  
 
* * *  * * * 
Нежнее нежного
Лицо твое,
Белее белого
Твоя рука,
От мира целого
Ты далека,
И все твое -
От неизбежного.
 
やさしいうえにもやさしい
あなたのおもて
白いうえにも白い
あなたのかいな
この世のすべてから,
あなたは遠く離れて
避けがたい世のさだめから
あなたのものすべては遠い。
 
От неизбежного
Твоя печаль,
И пальцы рук
Неостывающих,
И тихий звук
Неунывающих
Речей,
И даль
Твоих очей.
 
あなたの悲しみも
冷えることのない
手の指も
衰えることのない
言葉の静かなひびきも
あなたの目の
遥かなまなざしも
避けがたい世のさだめから遠い。
 
(1909)
 
О. Мандельштам  Сочинения Том I,
М.:«Художественная литература», 1990, с. 67.
(1909年)
 
О. マンデリシュターム詩集『石』より,
峯俊夫 訳,国文社,1976 年,11−2頁。
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О. Мандельштам  Сочинения Том I, М.:«Художественная литература», 1990