令和の御代。橿原神宮参詣。

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皇紀二千六百七十九年五月一日,第百二十六代の天皇陛下が御即位され,令和の御代となった。

朝10時半ころから俺もNHKで,即位礼正殿の儀,剣璽等承継の儀,即位後朝見の儀を見た。

剣璽等承継の儀では,八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が継承されるところをはじめて見た。なんで三種の神器のもう一器,八咫鏡(やたのかがみ)がないのか俺は知らなかったのだが,調べたところによれば,この鏡は,天照大神がご自身と思って祀るようにと神勅を下したことから,伊勢神宮に祀られ,他の神器とは別格の渡御すべからざる神性があるゆえ,この儀において取り扱われないという。

特集番組は,天皇御即位と令和の幕開けに関して,国民のお祝いムードを伝えていた。昭和の天皇が崩御された悲痛な雰囲気のなかで平成の時代が始まったのとは,まったく異なる御代がわりである。

受禅践祚はなんと 202 年ぶりだそうで,今回は,現在の皇室典範において譲位の定めがないことから特例法を制定しての儀となった次第である。こういう歴史的な明るい御代がわりを俺もこころから言祝ぎたい気分である。

四月三十日,平成最後の日,奈良県橿原市にある橿原神宮にお詣りした。橿原神宮は,第一代神武天皇とその皇后,媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りする。この地は,神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が初代天皇として即位したところと日本書紀に記された,我が国建国の聖地である。御代がわりに皇統の源に思いを馳せるに相応しいと思ったのである。

大和三山のひとつ畝傍山を望みながら外拝殿に入る。そこから本殿に向けて柏手を打った。他の参詣者を見ていて,皆,二拝二拍手一拝の作法に従ってお詣りしているのに少し驚く。いったい,いつの頃からこうしてきちんとした作法が定着するようになったのか。

俺は神道系の高校を卒業した関係で,神道教科において神社の作法を教え込まれ,そこではじめて二拝二拍手一拝を知ることとなった。毎朝,毎夕,構内の神社の前で,二拝二拍手一拝をさせられたわけだが,その当時こんな作法は一般には誰も知らないのではないかと思っていたし,実際,当時は神社の参拝風景でもほとんど目にすることはなかったと記憶する。

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recv() is deprecated on :utf8 handles

misimakansiserver: misima 漢詩平仄音韻分析デーモン,misimaserver: misima 旧仮名遣い・旧字変換デーモンのログに,いつのころからか次のようなエラーメッセージが出るようになっていた。

recv() is deprecated on :utf8 handles at /usr/local/lib/perl5/5.24/mach/IO/Socket.pm line 304.

機能的にはなんら支障が出ていないのでしばらく放置していたのだが,ちょっと気持ち悪いので対処することにした。

cpan perldelta によれば,Perl 5.23 あたりから,sysread(), syswrite(), recv(), send() について :utf8 ハンドルが廃止予定になったとのこと。

バークレイソケットインタフェースでクライアントと接続する際に,これまではクライアントのソケットディスクリプタ(ハンドル,通信路)に対し,binmode 関数で UTF-8 デコードするように指示していたのだが,これを行うとワーニングを発するようになっていたのだった。

とりあえず binmode:utf8 フラグをセットしてデコードするのをやめ,読み書きの前後に utf8::decode 関数(ストリームデータを Perl 内部で UTF-8 として処理できるようデコードする), utf8::encode 関数(Perl 内部データを UTF-8 にエンコードする)で変換操作を行うように改変した。コード主要部は以下のとおり。

while ($reqs-- > 0) {
    # クライアントからのリクエストを受信
    my $client = $listen_sock->accept() || last;
    my $readbuf;
    my $clip = $client->peerhost();
    my $ts = [gettimeofday] if ($sopts{'d'}); # タイマ
    print logtime() . " - $$ Chinese Verse Analysis Started.\n";
    # binmode $client, ":utf8";  # 削除
    defined ($client->recv($readbuf, $MAXLEN)) ||
        die logtime() . " - $$ recv error: $!\n";
    utf8::decode($readbuf);      # 追加: UTF-8受信データをデコード
 
    print logtime() . " - $$ Client: $clip; Received Text:\n$readbuf"
        if ($sopts{'d'});
    # クライアントからのデータをもとに処理を実行し,送信バッファにセット
    my $sendtext = kansi_main($readbuf);
 
    # 処理結果をクライアントに送信
    utf8::encode($sendtext);     # 追加: 送信データをUTF-8にエンコード
    print $client "$sendtext\n";
    $client->flush();
    $client->close();
    print tstrip($sendtext) if ($sopts{'d'});
    print logtime() . " - $$ Analysis for $clip Completed.\n";
    print logtime() . " - $$ Elapse: " . tv_interval($ts) . " sec.\n"
        if ($sopts{'d'});
}

これでワーニングを抑止できた。

五月一日の御代替わりの新しい元号は「令和」と決まった。万葉集巻五,梅花の歌三十二首の序文の一節から採られたとのこと。

時に,初春の令月にして,氣く風やはらぎ,梅は鏡前の粉をひらき,蘭は珮後はいごかうくんず。
日本古典文学大系『萬葉集 二』岩波書店,昭和三十四年,73頁。

鏡の前の美女の白粉のように白い梅花,嚢中のお香のように薫る蘭花という,清く美しい和の花の背景が麗しい。なるほど,めでたい元号ではないか。

しかしながら,「令和」という元号に対して,予想通り,左がかったインテリたちは日本の右傾化を象徴していると息巻いているらしく,例にたがわず,このめでたい新元号発表に不愉快な一石を投じてくれている。

欧米メディアには,漢籍の伝統に反し国書から採用したのは,中国に対抗しナショナリズムに傾く日本の国情の現れだというような,独善的な論評をなすものもあるようである。

また,「令」は命令の令であり「和」を強制するとは安倍の独裁も極まった,などというのも見た。「令」は「巧言令色」にあるように悪い意味だ,というバカ左翼もいた。「令」は「気品があって麗しい」という意味(「令嬢」の「令」)があることを,頭から無視している。「令子」という名の女性は数多くいるが,それは「悪い意味」なのだろうか? 人を侮辱していることがわからないのか。

そしてまた,元号は天皇制の時間軸を国民に強制するものだ,と,またぞろ,日本共産党は日本の伝統を否定するのに忙しい。これと同じように,天皇に結びついた元号を押し付けられるのは,国民の基本的人権の侵害であり,憲法違反だ,として裁判所に訴え出たバカな八十ジジイもいた。見境なく人権尊重を振りかざすバカジジイ。1960 年代に学生運動にかぶれた世代は,ホント,傍迷惑な存在である。いったいどこまで日本の老人は愚鈍なのか。もちろん,皆が皆ではないが。おまけに,もっともよい条件で年金を貰っているから,いよいよ頭に来るんである。

これらはすべて,己の Anti-Japan,反安倍政権の立場を説明するか,人権をはき違えているか,もしくは,元号というわが国柄のひとつを貶めたいに過ぎない。おまけに,その主張の過程で,「令子」さんに対してまったく意味のない侮辱的言説をなしていることにすら気づいていない。

もう一方で,今回,元号史上はじめて国書を典拠としたことが大きな話題となったわけだが,「初春令月,気淑風和」という文言は,中国古代の有名な詩文集『文選』にある「仲春令月,時和気清」に淵源があり,万葉集から採ったというのは間違いだ,などと衒学的なことを言うイヤミな野郎もいる。元号を決定した内閣が「万葉集から採った」と公に言うのだから,この出典議論はなんの意味もない,ただのバカ丸出しの学者気取りである。

はっきり言って,日本の古典が中国古典詩のレミニッサンスに満ちているのは当たり前であって,この愚か者の論理がまかり通ると,韓国人の病的なお家芸である「なんでも韓国起源説」と変わりがなくなってしまう。「米国産の小麦粉を使ったからと言って,日本人のパティシエが日本で作った美味しい菓子を米国産だと言うバカがどこにいる?」と,ある人がうがった譬えをしていた。

「初春の令月にして,氣淑く風和ぎ,梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫ず」は明らかに漢文調である。ここから漢文を「再構成」してみると,「初春令月 氣淑風和 梅披鏡前粉 蘭薫珮後香」となるだろう。さらに梅,蘭に対し中国風に梅花,蘭花と花字を補うと,「初春令月 氣淑風和 梅花披鏡前粉 蘭花薫珮後香」。平仄は○○●● ●●○○ ○○○●○● ○○○●●○。対句・平仄も見事な四六駢儷体となる。この序文を書いた人の漢籍の教養を推し量ることができる。

このように,元号「令和」は漢籍の文言に拠るという元号の伝統をもきちんと踏まえている。その上で,万葉集というわが国最古の詩歌集を直接の典拠としたわけである。しかも,万葉集は,天皇,貴族から兵士・乞食・売春婦にいたるあらゆる社会階層の人々の作品から構成されているという,世界に類をみない「国民的・民主的」詩歌集である。まさにその点で,「令和」は,日本国民の統合を象徴するに相応しい,たいへん美しい元号だと思う。こんなクールな元号を発案し決定してくれてありがとうである。

新元号発表直後に讀賣新聞社が行った緊急全国世論調査では,「令和」に好感をもっているとした人は 62% で,国書から採られたことを評価するとした人は 88% に上った。やはり,日本国民は総じて,上記の偽善的左翼,インテリぶったバカども(ホント,頭に来る!)とは違うのだ。安心した。

ここで改めて,典拠となった序文をすべて引用しておきたい。

 梅花の歌三十二首
天平二年正月十三日に,そちおきないへあつまりて,宴會をひらきき。時に,初春の令月にして,氣く風やはらぎ,梅は鏡前の粉をひらき,らんはいかうくんず。加之しかのみにあらずあけぼのの嶺に雲移り,松はうすものを掛けてきぬがさを傾け,夕のくきに霧結び,鳥はうすものめらえて林にまよふ。庭には新蝶しんてふ舞ひ,空には故雁歸る。ここに天をきぬがさとし,地をしきゐとし,膝をちかづさかづきを飛ばす。ことを一室のうらに忘れ,ころものくびを煙霞の外に開く。淡然にみづかほしきままにし,快然にみづから足る。若し翰苑あらぬときには,何を以ちてかこころべむ。請ふ落梅の篇をしるさむ。古と今とをそれ何そ異ならむ。園の梅を賦していささかに短詠を成すし。
同前。

師匠の家に仲間が集い,令月,やわらかな風,白い梅,芳しい蘭,曙光をおおってたなびく霧,蝶,帰る雁,など初春の麗しい暁の風景のもと,酒宴を囲み,各々気ままにくつろぐうちに,ある者がいまのこの快いこころを表して梅の歌を詠もうと提案し,そして仲間が詠んだ歌三十二首を掲載する,というのが要旨である。

安倍総理が令和発表後の談話において「人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べたのも,この序文全体から読み取れる,仲間が集まり美しい自然に喚起されて酒宴を和やかに楽しむなかで詩を生み出して行く,ということを踏まえているのである。

五月一日の御代替わりとともに,令和という新元号を,俺もこころから寿ぎたい。

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2019.4.1 讀賣新聞夕刊
* * *

ところで,四月一日,令和が公にされたわけだが,もう一方で働き方改革法が施行される運びとなった。個人的な意見としては,めでたい新元号発表の影に隠れるように,くだらない悪法が施行された,という感じなんである。

さしあたりは大企業が対象であるが,来年には中小企業もこれに従わなければならない。うちの会社でも,法改正が国会を通過したときから,残業規制の厳しい通達が回って,幹部が口うるさく労務管理を言うようになった。なにせ,この法律に違反する事案がたった三発出たら,その企業は官庁調達において指名停止を食らうのだから。

もちろん,「日本人は働き過ぎ」という国際常識からみた考え方や過労死問題を軽んじることはできないが,法律で雁字搦めにする話かは疑問である。先日,体罰禁止の児童虐待防止法改正案が閣議決定したこともそうだが,共同体が法律とは独立して対処すべきことを,法律で政府なり自治体なりが強制するというのは,共同体が機能しなくなっていることの現れのように思われる。要するに,問題は行政とは別のところにあるのではなかろうか。

俺からすれば,働いて働いて,それで稼いで何が悪い,である。サービス残業の評価基準を決め,対価のない不当労働の強制を取り締まるだけで十分ではないか?

韓国の文在寅政権は,経済状況を踏まえずに最低賃金を上げるという,馬の前に荷車を繋ぐような愚かな政策を推し進めた結果,企業が採用を見合わせ,若年層の失業率を悪化させている。弱き者の味方みたいな政策が,結局弱き者を路頭に迷わしているのである。

それとまさに同じように,働き方改革法は,思うに,サービス残業をより深刻にする。だって,法が認める残業時間上限が下がるのに応じて,支払われる残業代が下がるのは目に見えているからだ。あるいは,真面目にこの法律に従う企業に対しては,生産性向上が果たせないと,必要以上に雇用を増やさせ固定費増大を余儀なくし,収益を悪化させる。これが,ひいては国富を低下させ,日本経済をいよいよデフレ化させることになりはしないか。

ゆとり教育と同じで,結局はよろしくない方向に行くと思われてしかたがない。これで十月に消費増税? 追加教育のゆとりのない家庭の子供の能力をさらに低下させ,経済的弱者をさらに弱体化させる。ふざけんな。

ドナルド・キーン『日本の文学』

本日二月二十四日,ドナルド・キーンが亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。

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高校二年のとき,彼の『日本の文学』を吉田健一訳,中公文庫(昭和 54 年)で読んだ。

高校の古文の授業で日本の古典和歌などを学ぶわけだが,掛詞や縁語,枕詞などのわが国の特殊な文藝手法については,それらが伝統であるということ以上の文藝学的意味論などについてほとんど教えられることはない。「こういうのが伝統」でほぼおしまい。文藝手法,レトリックの観点で,現代文学,世界文学のなかで,どのような文藝的意義や特長があるのか,なんてほとんどまったくスルーされるのが常ではないかと思う。

掛詞なんて,日本語は音の種類が少なく同じ音の言葉が多いので地口,ダジャレが容易であり,日本古典においても面白半分の言葉遊びが文学的手法になってしまったのだろう,程度の想像を個人的にはしていた。

でも,ドナルド・キーンの『日本の文学』を読んではじめて,掛詞や縁語等の日本のレトリックが,西欧文学の知性で捉えても,日本の文学表現を驚くほど豊かに,複雑に,高度に洗練させていることを,「わかりやすく」説明してもらったように思う。高校生のころのその感動を今でもはっきりと覚えている。日本人によってではなく,アメリカ生まれのドナルド・キーンによって,はじめて日本の古典の凄さを教えられたように思う。

[…] 悲劇的な印象をさらに深くするための掛け言葉も発達して,時には,詩人が一篇の詩の終わりまで全く違った二組の影像を並行させて,少しも破綻を来さずにいることもある。例えば,
 
  消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露    定家
 
という歌はそのように二通りに解釈することが出来て,その一つは,自分は死にたくて,心変りしやすい相手にもう飽きられたのが辛くて自分は森に降りた露も同様に弱っている,というのであり,この歌の音を別な意味に取れば,風が吹き荒ぶ森の露は秋の色が変るのとともに消えてゆく,ということになる。そしてこの何れの解釈も完全なものではなくて,それは詩人の精神のうちでは言葉は絶えずこういう二組の影像の間を往復し,そのために,秋風に吹かれてたちまち消えてしまいそうな露は,恋人に捨てられて,自分が何故まだ生きているのか解らない女と一つになっているからである。露は単に女の状態を語るのに(また,女が流す涙を暗示するのに)比喩的に用いられているのではなくて,それは自然現象としての露でもあり,詩人はこの歌でその両方に表現を与え,いわば,何れもそれだけで完全でありながら,互いに離れられるものではなくなっている二つの同心円を,言葉の上で描くことに成功している。
ドナルド・キーン『日本の文学』吉田健一訳,中公文庫,昭和 54 年,16頁。強調引用者。

僕が強調を付したような明解な論理でもって,掛詞の影像の往復あるいは同心円構造の性質を伝えてくれた先生がいただろうか。なんでこのように,「伝統」ですまさずロゴスでもって対象の特長をきちんと日本人が教えてくれないのか。高校生のころ,このように思ったものだった。また別のところで「日本語のこういう性格は時に,そして殊に能楽では,絃楽の三重奏か四重奏を聞いているような効果を生じることになり」云々というような美しい譬で,日本語と日本文学の特性をドナルド・キーンは教えてくれる。

日本の古典の特徴を説明するに際して,欧米の文学観との差異を明確にするために,シェイクスピアの演劇やモーツァルトのオペラとひき比べる比較文学観点もあり,わが国の古典の偉大さを,日本人にとっての単なる自画自賛としてではなく,理解させてくれたのである。

本書の解説を書いているのは,ドナルド・キーンの友人でもあった三島由紀夫である。三島の自己流にして,従って表層的な – 作家であるからには己の美的感覚で古典を解釈しようとするのは致し方ないのかも知れないが – 日本古典文学理解に比べて,ドナルド・キーンの解説は視野もより広くかつ深い,といまだに僕は思っている。日本人ではなくアメリカ人 – その後ドナルド・キーンは東北大震災後日本に帰化したので,名実ともに日本人なのだが – によって日本古典文学の蒙を啓かれた,というのが,思うに,わが国の(わが国らしい)皮肉である。

海外の友人から日本古典文学について何か一冊お薦めの解説書がないかと問われれば,迷うことなく,ドナルド・キーンの本書のもとになった “Japanese Literature: An Introduction for Western Readers ” を上げる。日本人もきちんと理解できていないことを日本人よりも深く理解している欧米人が解りやすく解説した本として。

いまアマゾンで調べたら,『日本の文学』中公文庫版は古書でしか見当たらなかった。ドナルド・キーンは『日本文学史』という大著において,包括的に,詳細に,専門的に日本文学について述べている一方,『日本の文学』は,もともと,西欧の知識人向けに日本文学の美点を明確にかつわかりやすく書いている名著であってみれば,手軽に入手できる版が今のところ古書でしか手に入らない,というのはちょっと残念である。新刊では,新潮社から刊行された著作集第一巻に収録されている。

日本の文学 (中公文庫 M 11-4)
ドナルド・キーン
吉田健一訳
中央公論新社

最近,仕事が忙しくてこのバカブログもほったらかしの状況で,昨年からほとんど更新することがない。

個人生活は仕事と,帰宅してのジム通いにほぼ限定されている。一時間,ウェイトトレーニングと水泳で汗を流し,半時間,サウナと炭酸湯で体を温め,ジムを出る。ぽかぽかした気だるい体が寒風にさらされる心地よさに身を委ねる。そのときの煙草が旨くて仕方がない。そして「煙草やめなくちゃ」と思う。ほとんどそれだけが今の俺の日常である。平成最後の − 今の世の中の,聞き飽きて呆れるセリフなんだが − 正月もこれ以外はなにもなかった。

そうはいっても,昨年下期から,世の中ではいろいろなことがありました。ま,今のところ,俺の個人生活にはまったく関係のない国際情勢のことだ。

朝鮮出身労働者(ニセ徴用工)裁判,レーダー照射事案,慰安婦財団解散(2015 年の日韓合意の事実上の形骸化)と,立て続けの韓国による挑発で,日韓関係が酷寒状態に冷え込んで,楽しい事態(下品ですみません)になっている。日本政府はいつ制裁を課すのかみたいなノリでネットが騒いでいる。ここに来て,韓国の国会議長がわが天皇陛下まで侮辱するような発言をなして物議を醸している。ホント,腹がたつ。

この問題に関し,韓国への経済制裁が検討されている。ビザ免除停止やら戦略物資(フッ化水素等)の輸出制限やらいろいろと案が議論されている。でも,経済制裁なんて日本政府にできるわけがない。日本企業にも経済的被害が多少にせよ及ぶのだから,そんな身を切る根性が日和見の日本政府にあろうはずがない。そして「遺憾砲」を打ち続けるばかりだろう。おそらく韓国政府にもそれを見透かされている。

韓国のしかるべき権力者によって天皇陛下まで侮辱されているからには,俺的には日本政府には「誅殺!」くらいの勢いを見せて欲しいところだが,ま,絶望的に無理だろう。一方で「もはや断交」と騒ぐ人たちがいるけれども,どんな実質的意味があるのかさっぱりわからない。日本と友好的な関係にある台湾とだって,日本は断交状態にあるのを知らないのだろうか。

そんなことより。日韓関係なんかより,なにより,米中貿易戦争のほうが桁違いに深刻である。昨年十月のペンス副大統領の演説は,今後何年にもわたるべき中国敵視政策への方針転換を明確に示した。経済だけでなく安全保障の問題になっている。俺的にはこれこそが昨年のトップニュースである。

ファーウェイをはじめとする中国製通信機器の使用を,日本すらが国家レベルで禁止する方向になった。もう日本も米中貿易戦争,新冷戦に巻き込まれてしまったわけであり,明確な態度で米国と足並みを揃えて行かないと,ただでさえ対日貿易赤字が米国から問題視されている背景にあって,もはや,日本もいつなんどき米国から経済的に敵視されるかわからない状況ですらある。もう,日韓関係なんて,ホント,ハナクソみたいな問題にさえ思われる。

知的財産の不当な窃取をやめよ,自由な資本投資・回収を認めよ,と米国が中国にほぼ無理な要求を突きつけている次第であるけれども,中国に肩入れし過ぎた韓国経済は,米国が中国を虐めれば虐めるほど,中国よりも先に潰れる仕組みになっている,へたに制裁なんてしなくても,米国のおかげで韓国は勝手に潰れてくれる,と俺は考えている。日韓関係なんてのは放っておいてよい。さしあたり,二月末期限を切って米国が中国を追い詰めている状況を注視したいと思っている。

三月一日に韓国は,北朝鮮といっしょに百周年の建国神話(三一運動は,北朝鮮の建国神話と真っ向から対立する韓国の捏造神話なんで,北朝鮮が協調するとはとても思えないが)をブチ上げ,大々的に反日的愛国運動をやる計画みたいだけれど,米国が期限切れを理由に中国に関税爆弾を投下するのとほぼ同時になって,へたすると三月一日に韓国株が大暴落を起こすことさえありうると俺は「期待」している(下品ですみません)。

要するに,対韓経済協力(通貨スワップ等)なんてしなくてすむこの雰囲気のなかで,日本は遺憾砲を打ち,国際世論にわが国の正当性を訴えるに留め,韓国の自滅を待つだけで十分ではないかというのが,俺の思うところである。なにも,韓国にガツンと食らわせてスカッとするなんて大人気ないことを目論む必要はない。韓国・文政権は,公務員増・最低賃金増の政策の失敗で経済がボロボロなのに北朝鮮・中国という敵国寄りの姿勢を変えず,同盟国である米国からさえもすでに愛想を尽かされているので,日本以外に助けてくれる国を想像できない。このまま放置しても,勝手に自滅する。韓国が潰れたときその経済の草刈り場をどれだけわが邦の利にできるかを考える方が,経済制裁などを考えることよりもずっと重要ではなかろうか。

そしてなによりも,米国の中国潰しにどのように関与すれば,米国がこの新冷戦に勝利した暁に日本が米国から利益を山分けしてもらえるか − 日本政府には,これを真剣に,ホント,真剣に,考え,行動してもらいたいと思う。この過程で中国との関係において,日本は,対韓国経済制裁なんて比較にならないレベルで,間違いなく身を切る必要が出てくるはずである。米国はわが身を切ってでも中国を叩く覚悟を決めたのだ。この困難な道を行くに際して,中国に付き従う小国,亡国の韓国のことなどどうでもよいのである。

そんな状況なのに,安倍さんは,中国との関係改善を図り,経団連・財務省の言いなりになって,消費増税を必ずやる,なんてトンチンカンなことをやっているように見える。参院選で惨敗すればよいと思う。いや,あのア●ばかりの野党じゃそれもありえないか。安倍さんのことだから衆参ダブル選挙なんてこともあるかも知れない。

ま,米中貿易戦争による中国経済大失速も近く起きそうで,また一方で英国 EU 離脱問題が世界経済に悪影響を与えるのも秒読み状態で,そうなると日本の株価が大暴落する可能性も高い。リーマンショック級の経済ショックで消費増税どころではなくなるのでは,というのが正直なところである。どう転んでも,今年の日本経済の先行きは暗い。韓国のことなどどうでもよいのである。韓国みたいな小国のことよりも自国を心配すべきなのである。

そんなことより。池江璃花子さんの白血病のほうがもっと心配だ。とにかく治療に専念して,できれば,アスリートとして戻って来て欲しいものである。

やさしいうえにもやさしい…

YouTube でロシアの女性歌手,エレーナ・フローロヴァのギター弾き語りで «Нежнее нежного»(『やさしいうえにもやさしい』)を視聴。この作品は二〇世紀ロシアの大詩人,オシップ・マンデリシュタームの詩に曲を付けたものだ。彼女はほかにもツヴェターエヴァなどの詩をもとに曲を書いている。エンベッドしておくので,お楽しみいただきたい。やさしいうえにもやさしい,いい曲でしょう。

マンデリシュタームの詩の原文と,手元にある峯俊夫の訳を掲載しておく。

Осип Э. Мандельштам    
 
オシップ・マンデリシュターム  
 
* * *  * * * 
Нежнее нежного
Лицо твое,
Белее белого
Твоя рука,
От мира целого
Ты далека,
И все твое -
От неизбежного.
 
やさしいうえにもやさしい
あなたのおもて
白いうえにも白い
あなたのかいな
この世のすべてから,
あなたは遠く離れて
避けがたい世のさだめから
あなたのものすべては遠い。
 
От неизбежного
Твоя печаль,
И пальцы рук
Неостывающих,
И тихий звук
Неунывающих
Речей,
И даль
Твоих очей.
 
あなたの悲しみも
冷えることのない
手の指も
衰えることのない
言葉の静かなひびきも
あなたの目の
遥かなまなざしも
避けがたい世のさだめから遠い。
 
(1909)
 
О. Мандельштам  Сочинения Том I,
М.:«Художественная литература», 1990, с. 67.
(1909年)
 
О. マンデリシュターム詩集『石』より,
峯俊夫 訳,国文社,1976 年,11−2頁。
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О. Мандельштам  Сочинения Том I, М.:«Художественная литература», 1990

ジムで水泳

ガキどもが独立し,養育費,教育費からも解放され,そろそろカネを生活感の薄いことに使ってもよかろうと思い,七月から夫婦で最寄り駅すぐにあるフィットネスクラブに通うことにした。ここ数年,ウォーキングもさぼりがちになり,オヤジの体質としてすぐ腹部に脂肪が蓄積されてじつにみっともない体格になり,人間ドックで運動不足を指摘されてもいたので,意を決して,ジムで運動しようということになった。カネを払う以上元を取らねば,に類する貧乏根性も手伝って,少しは効果が出るだろうと期待しつつ…。

もとより健康のためであって,筋骨隆々になりたいとは思わない(そんな齢でもなし)。ダイエット(体重減)というか,体脂肪を減らすことが効果判定の一番の指標である。かねてから体全体を駆使する水泳が健康にもよいと聞いていたので,プールのあるクラブを選んだ。ウェイトトレーニング,水泳のメニューを週に 2,3 回こなすことにした。

泳ぐのは,四十余年ぶりであった。小学校 5,6 年生のころ学校で少し手ほどきを受けてクロールを覚え,当時はガキの有り余る活力でヘタクソながら 200m くらいは平気で泳ぎ続けたものだったが,いまこの齢で久しぶりにクロールで泳ぎ始めたところ,息継ぎのときに水を飲むは,バタ足は無駄に足掻くは,腕のリカバリーは我ながらぎごちないは,やっとのことで 25m を泳ぎきると,息はぜいぜい,腕はガクガク,みたいな激しい消耗のありさまに呆れる始末だった。ガキのころはもっとラクに泳いでいたはずなのに。そう,ラクに。ジム初日,100m 泳いだら疲れ果ててしまい,これを続けりゃ痩せるわいなの前途多難の達成感を覚えた。

ちょっと泳ぎ方を勉強し直して,もう少しラクに,すいすい泳げるように,ガキのころの記憶を取り戻したいと思うようになり,水泳指南の YouTube 動画を漁るようになった。そのなかで,「おお,こんなふうにラクに,優雅に泳げたらなあ」と思える以下の動画を見つけ,その泳ぎのポイントを自分なりにジムで練習することにしたのである。


by Shinji Takeuchi

それから二ヶ月,おかげで,この動画のような優雅な泳ぎはムリとしても,ラクに泳げるようになった。始めは 25m で 35〜40 だったストロークを 20 程度で済ませられるようになった。やみくもにバタバタ足掻くだけだったバタ足も,2 ビートキックで左右のバランスを取りながら腕のストロークに同期できるようになった。ひいこら言いながら一日 100m 泳ぐのが限界だったのだが,1,000m 泳いでも腕や足がガクガクするようなことはなくなった。

体重も二ヶ月で 5kg 減り,体脂肪率も 28% だったのが 24% に落ち,平均的なレベルになった。クロールの METs(運動強度)はジョギングの 3 に対し 8 とかなり高く,つまり,30 分クロールで泳ぐと,俺の体重レベルではおおよそ 8 × 60 × 0.5 = 240kcal の消費となる。ま,白飯一膳分くらいのカロリーでしかないわけだが,食生活が同じでも,ほぼ毎日 3,40 分泳ぐとたしかに痩せるはずである。7,200kcal 消費で 1kg 体重減という目安があり,30 分のクロールだけだと毎日やって一月で 1kg 減ということになるが,その他の日々の活動,食生活での糖質・脂質・炭水化物の減量と合わせ 5kg 減の成果ということだろう。

かくして,いま,ジムで泳ぐのが,無心に,少年のように楽しく,マイブームである。仕事から帰宅したあとであまり時間を掛けられないので,一日 3,40 分,500m 以上泳ぐのをノルマにしている。ウェイトトレーニング,水泳のあとは,スパで体を洗いサウナで汗をかいて家に帰る。この調子だと十分元が取れるな,とやはり貧乏根性は抜けない。

金澤,立秋初候

猛暑,豪雨,台風で疲れる夏。今年二月に息子が嫁をもらった。その可愛い嫁の生家のある金澤で,彼女の親御さんを招いてお食事会を催すことにした。八月十一日,立秋初候。俺にとって金澤は初めてであった。俺も憧れの地・金澤に親戚ができたわけか,と人生の数奇を思わずにおれなかった。

宿は金澤・湯涌温泉の「あたらしや」という,創業二百五十年の老舗だった。当初JR金沢駅周辺のホテルを探したのだが,嫁さんの親御さんのお勧めでこの宿を予約してもらったのである。金澤市内とはいえ,駅から南東に二十キロ以上離れた山手にあり,温泉らしい人里離れて鄙びた趣がよかった。玄関口の石畳に雌のカブトムシが這っていた。やはり地元の人の目は確かである。宿泊施設は平屋で九つしか客室がない。客にちらほら出くわすが,静かでたいへん気品のあるよい旅館だった。風呂に行ってもほかに誰もおらず,朝,夕ともども一時間の間,内湯と露天風呂を独占してゆったりとできた。湯殿の入り口に夢二の絵と見事な加賀友禅が飾ってあった。

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湯涌温泉あたらしや

夜,温泉宿で息子夫婦,嫁さんの親御さん夫婦,嫁さんの甥っこ,姪っこ,俺と家内の八人で夕食会。金澤の地元の美味なる料理,日本酒をいただく。そのあと,湯涌温泉街にある,お義父さん行きつけのスナックに皆で行ってカラオケ。久しぶりに深夜まで歌って,大いに楽しいカラオケだった。

翌日十二日は,嫁さんの案内で金澤市内見物。

まず,湯涌温泉街にある竹久夢二の記念館。妻・たまき,恋人・彦乃の資料が興味深かった。夢二は彦乃とこの湯涌温泉に滞在し,強烈な時間を過ごしたらしい。「湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいふなり」との歌を遺している。彦乃も画家であり,記念館には彼女の筆になる美人画も展示されていて,なかなかだと思った。

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金沢湯涌夢二館/夢二と彦乃(パンフレットより)

そのあと,お義父さんの車で都心部まで送ってもらい,石川県立美術館。ちょうど広重展が開催中だった。金澤で広重の東海道五拾三次シリーズ全点を拝めるとは思ってもいなかった。ゴッホの模写とともに,そのもととなった広重の名所江戸百景・亀戸梅屋敷,花魁美人画も展示されていて見応えがあった。

石川県立美術館内にはル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ KANAZAWA というミュージアムカフェがあり,石川県の有名なパティシエがプロデュースするスイーツで人気があり,嫁さんはそこに俺たちを招待したかったらしい。ところが,残念ながら,さすがに人気店でもあり待ち行列が連なり,待ち時間を想像して,そこでの休憩は諦めることに。また金澤を訪れたときにはきっと来よう。

兼六園を少し散策。加賀百万石の広大な庭園は午前の限られた時間で観て回るのは不可能である。嫁さんの案内で霞ヶ池周辺を歩き,徽軫(ことじ)灯籠で記念写真を四人で撮って,内橋亭の甘味店でかき氷を買い食い。

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広重展/兼六園・霞ヶ池

ちょうど昼食時になり,嫁さんお勧めのフレンチレストランに行こうと店舗のあるしいのき迎賓館(旧石川県庁舎)を訪れるも,お店が予約でいっぱいで,残念ながら,そこでの食事は断念。嫁さんは次の一手と,近江町市場の海鮮丼屋さんへと案内してくれた。昼食時でさすがに人気店は長蛇の行列で,行列の長さで俺が決めたお店に入る。蟹,イクラ,海老,マグロなどなど海産物てんこ盛りの丼に,山葵と胡麻醤油ダレをぶっかけ,半分食ったあたりで次に鰹ダシを追いがけして食い,大満足。日本海の食材の豊かな金澤らしい一品だった。食い物も旨い,酒も旨い,都市景観も最高,女も美人とくれば,なんとも羨ましい地である。

食事のあと,かねがね行きたいと思っていた泉鏡花記念館に寄ってもらった。白い土蔵のある金澤の見事な旧家を改築した建物だった。鏡花は昔からの俺の憧れの作家でもあり,やっと訪ねることができたという感慨がより大きかったけれども,鏡花の自筆原稿やら初版本,遺愛品などの展示物は興味深かった。『天守物語』を巡るイベントのチラシを見たからというわけではないのだが,山本タカトと宇野亞喜良の優美でエロチックな画,戯曲原作と英訳からなる『天守物語』(エディシオン・トレヴィル,二〇一六年初版)を購入してしまった。

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泉鏡花記念館
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『天守物語』エディシオン・トレヴィル刊

記念館をあとにしてさらにてくてく歩いて,東山の東茶屋街を訪れた。ここは昔の殿方が藝者遊びをした茶屋が立ち並ぶ,金澤のなかでもとくに小京都を思わせる街並みで有名なところである。嫁さんのお勧めということで,志摩という茶屋を見学。国の重要文化財に指定された建物である。きらびやかな屏風や,簪・煙管などの藝妓の小物,美人画の掛る床の間に見入る。茶屋というと,永井荷風の小説に毒された俺なんかは,藝者呼んでドンチャン騒ぎしたあとは好みの藝妓としっぽりと床入り,みたいな下品な想像をしてしまうわけだが,ここは神楽坂でも新橋でも麹町でも浅草でもないわけで,もっとお上品・高級で由緒ある遊興だったのだろう。見学の最後に,茶の間で抹茶と繊細な翠の和菓子とをいただいて,古都の和を満喫した。いや,いい経験ができた。

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東山・東茶屋街
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東茶屋街・志摩にて

東茶屋街の入り口にある烏鶏庵で烏骨鶏ソフトクリームを買い食い。濃厚でびっくりするくらい旨かった。烏鶏庵というと,やはり嫁さんからかつてお土産でもらった烏骨鶏プリンに大いなる感銘を受けたものだが,ソフトクリームやカステラなど,プリンばかりがウリではないのがよくわかった。このスイーツは出色。

夕刻になり,帰る前に一目だけでもと,浅野川に沿った主計町(かずえまち)の古い街並みを少し歩いた。そのあと,タクシーを拾ってJR金沢駅に向かい,土産物を買い求め,新幹線で東京に戻る。短い時間ではあったが,嫁さんの案内で金澤を堪能することができた。必ずまた来ようと名残惜しかった。

天守物語 (Pan-Exotica)
泉鏡花
画: 宇野亞喜良/山本タカト
エディシオン・トレヴィル

FreeBSD マシントラブル

暑いですね。ガキのころ,夏の炎天下,練習の途中に水分補給もせず(喉が渇いたからといって水を飲むなんて「根性が足りない」と先輩や指導者から叱られたのだ)野球やサッカーに励んだのだが,いまのこの暑さは当時の比ではないように思われる。根性どころの問題ではない。夏の甲子園大会に向けた地方予選がたけなわのわけだが,テレビを観ながら,この子ら大丈夫かと心配になってくるんである。

うちのファイルサーバとして運用している FreeBSD マシンが,このところなんのエラーメッセージを出すこともせず,いきなり電源が切れて突然死することが多くなった。これも,この暑さのせいか。コンピュータが狂うほどの暑さなのか。不信感半ばであった。エラー情報が残されていないので,ディスク,CPU,マザーボードなど機械が壊れたのか,OS のある領域がどこかのダウンのタイミングで破壊されたからなのか,さっぱり原因がわからない。AMD 製 CPU を搭載した安物ノーブランドマシンなので,もともと俺的にはあんまり信頼の置けない機械ではある。A4-7300 Dual-core 3.80GHz / Turbo-core 4.00GHz / 1MB L2 cache / 4GB DDR3 SDRAM メモリ / 500GB TOSHIBA SATA3 HDD + 1TB Hitachi SATA2 HDD 搭載。

しかし,こうもぽこぽここけられると,ディスク,メモリなど使えるもの以外はシステムを新しくするかとも考えた。で,ちょっと切り分けをしてみることに。FreeBSD を起動する直前の boot: プロンプトのところで止めて様子をみたら,それでもしばらくして電源が落ちていた。要するにディスクやメモリを読むことなしに System Wait 状態で突然死したわけだ。ということは,周辺機器を支えている CPU やマザーボード,あるいは電源そのものの故障ではないかと思われた。じゃ,ディスク,メモリを取り出して,別マシンにでも持って行こうかと。

で,このマシンの蓋を開けてみたところ…,うわ,ホコリが尋常でないほど内部に溜まりまくっていて,冷却ファンや通風孔が目詰まりしているではないか。もしかして,このおかげで筐体内・CPU の温度が上がって保護的に電源が落ちたのか,と,なんとなく問題の在り処がわかってきた。そういや,3 年前に購入してからこのかた,一度も筐体を開けていなかった。ということで,エアスプレー,掃除機でもってむせ返りながらせっせとホコリを取り払い,冷却ファンをはじめ筐体内部,コネクタ部をキレイに清掃した。

こうして再起動したら,それまでは数分のうちに電源ダウンしていたのが,いまのところ丸一日元気に動いている。想定は正しかったようである。このマシン,実はファイルサーバとして使う前に公開 Web アプリケーションサーバとして運用していたんだが,そのときも今回のようにぽこぽこ突然死していたのである。FreeBSD 最新版をクリーンインストールしたところ,しばらくは問題なく稼働していたのでそれ以上の調査をせずにいたのである。ところが,この夏の猛暑のおかげで購入後筐体内の清掃をまったくしていなかったケア不足ゆえの冷却問題が判明した次第である。

このように,何のシステムエラーもなくいきなり電源断が起きるような障害には,筐体内の冷却が効いていないことを疑ってみるのもよいと思う。またマシンをリニューアルするなんてくだらない出費をせずにすんでよかった。

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日本代表がロシア・ワールドカップで 16 強に進出した。ありがとう! おめでとう!

ポーランド戦で 0-1 ビハインドのなか,コロンビアとセネガルの戦況を睨んで,最終ラインでのボール回しに始終し,警告も失点もなくそのまま試合を終わらせた。会場はブーイングの嵐。当然だろう。他力本願ながら,なんとフェアプレーポイントなどという聞いたこともない基準で警告数 2 ポイントでセネガルを上回り,結果的に突破を果たしたわけである。世界のサッカーファンの非難轟々のなか,実を取った。いいね。心をドライにして,「褒められる日本」というプロセスよりも,結果を取った。ここがいいね。

しかも,ポーランド戦で先発 6 人を入れ替えて,決勝トーナメントに向けて主力を温存したうえ,自信喪失していた川島に三度目の正直のチャンスを与え川島もみごとにこれに応えたわけで,いったいどういう計算をしたらこんな采配ができるのかと,半ば呆れるくらい西野さんの思惑は当たったといえる。いかに珍奇にみえようが,結果的に最高の状態で決勝トーナメントに臨めるわけである。

韓国は,なんと前回覇者ドイツを打ち破って大金星を上げ(凄ぇ!),世界の賞賛を集めているわけだが,2 敗が響いて,残念ながら,予選敗退となってしまった。で「韓国は美しく脱落,日本は醜く進んだ」などと韓国のスター選手が口にしている。バカめ。負け犬の遠吠え。「普段汚くかつつまらないテコンドーサッカーをしているのはどこのドイツだ? 同じくつまらないサッカーをしていてもフェアプレーポイントのおかげで日本が生き残ったのは,結果として凄いことじゃないか?」と,ま,こんなことを考えてしまった。

韓国のスター選手のみならず,海外のサッカーファンは「日本に失望した」というんだが,コロンビア戦,セネガル戦,ポーランド戦の順番が逆だったら,おそらく評価は真逆になっていたと思われる。これは,いい人だと思っていた人のウラを見せられて,その人の評価を悪い人に倒してしまう子供じみた見方である。オモテもウラもみて総合的に物事を判断するのが大人である。ま,「日本に失望した,ベルギーにぼこされればよい」なんて抜かす奴らに対して,「バーカ」と心のなかで罵りたくなる俺はダメ人間ですかね? ことほど左様に,ワールドカップにおいてベスト 16 に残ることの凄さがわからないバカは放っておこう!

今回の日本代表は,大会直前の監督交代,代表選考での年寄り偏重,強化試合でのゼロ敗で,批判ばかり浴びて来た。強化試合後のインタビューでの西野監督の取り繕うようなぱっとしないコメントにも,自信のなさばかりが印象付けられた。ところが,フタを開けたら,強豪コロンビアに 2-1 で勝ち,アフリカの最強国セネガルに 2-2 でドローと,誰も想像しなかった結果を残す。そして,敗北しつつも計算された予選突破。正直,今も,俺は信じられない。

6/20 未明からこの 10 日間,日本列島が久々に明るい話題で持ちきりとなった。「西野さん,本田さん,ごめんなさい」の掌返しがキーワードとなった。モリカケのクズネタでいい加減テレビを見る気がしなくなっていただけに,やっと受信機が意味のある装置になったのだ。ま,テレビのニュースバラエティは,「大迫,半端ないって」のルーツだとか,高校時代の乾選手のセクシーフットボールがどうのこうのとか,渋谷交差点が凄いことになっているとか,頭の悪い話題にばかりフォーカスしていて,相変わらず呆れさせられる次第なわけだが。

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コロンビア戦。日本代表の攻守のハードワークに感動した。ハードワークがもたらした勝利ということにつきるのではないか。決勝点をあげた大迫がみごとだったけど,俺的には長友,原口,乾の死を覚悟しているかのような守備の凄まじさにこそ,「これこそ日本人の戦い方だ」と感銘を受けた。くらだないミスに呆れもしたが,いや,いい試合を見せてくれたと嬉しかった。

それでも,香川が PK を前にボールを持って放さなかった姿にいちばんの感動を覚えた。彼が PK を外して敗れたアジアカップの記憶がまざまざと蘇ってきたわけで,それはいちばんに香川自身の脳裏を支配している思いだと考えるにつけ,「オレが蹴る」という強い意志を彼に見せつけられ,こういう緊張した大舞台で人生のリベンジにかける彼の思いをひしひしと感じ,なんてかっこいい男かと涙が出て来た。こういうのをドラマだというのだ。

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セネガル戦では,ハードワークとポリバレントサッカーに感銘を受けた。

西野監督が代表選手選考で「ポリバレントな選手を」と言ったとき,俺はポリバケツでリフティングができるような選手のことかと思った。そりゃ凄いわいと。中島翔哉にはそれができないってか?

セネガル戦を観ていて,後半,セネガルが 4-2-3-1 から 4-3-3 に布陣を変えてきたとき,日本もそれに対してびっくりするくらいの対応をしていたのが,すごく印象的だった。長谷部がセンターバックのポジションに下がりスリーバック気味の布陣を形作ることが多くなり,香川も下がって守備にケアをしつつサイドの選手が前後に流動的に動き,空いた中盤のスペースを柴崎が動き回ってタテに仕掛ける。

この形でセネガルを苦しめたわけで,こういう状況に応じた戦い方ができることをポリバレントというのかといまさらながらに納得させられた。2014の「自分たちのサッカー」ではなく,相手に応じたサッカー。そういうことかと。

* * *

今回日本代表は,ガーナ代表,スイス代表にそれぞれ 0-2 で敗北,ワールドカップ出場を逃しサブ中心のパラグアイにやっと 4-2 で勝利して,ロシア入りした。期待感ミニマムのなかにも一縷の光明を抱きながら,サポーターも固唾を吞んで代表の試合を見守った次第だが,報われた。ほんと,ありがとう,おめでとう,である。

俺的には,グループリーグ三試合でいちばん光った日本代表は,柴崎岳かな。ボランチで起用されて,攻守の切り替えのスイッチになり,タテのフィード,ナカへのクロスでピカイチだった。凄い選手がいたもんだと驚きだった。どうしていままで代表のなかで目立たなかったのか,ホント,不思議だった。

ベストエイトを賭けた決勝トーナメント初戦は FIFA ランキング 3 位のベルギー。対戦相手のあまりの強さにちょっと笑ってしまうんだが,ま,日本はハードワークして正々堂々と闘ってほしいというしかない。それにしても。ポルトガル,フランス,ベルギー,スペイン,ロシア,クロアチア,デンマーク,スウェーデン,スイス,イングランド,ブラジル,ウルグアイ,コロンビア,アルゼンチン,メキシコ。こいつらといっしょに,トーナメント表にわが日本が名を連ねているのである。あのオランダも,イタリアもいないだけに,なおさら,ただひたすら,凄い。