政府システム調達,失敗の本質

日経BP社『日経コンピュータ』最新の 2012.7.19 号に,題記「政府システム調達,失敗の本質」との特集があり,特許庁システム最適化計画の失敗の記事が掲載されていた。官庁調達の根本的問題にメスを入れる鋭い記事だった。

特許庁のこのプロジェクトは 2004 年に開始され,2006 年に設計作業調達の入札を行い,予定では 2012 年には新システム完全移行を完了させるはずだった。ところが 2006 年の調達で,技術点のもっとも低かった東芝ソリューション(以下「東ソル」)が予定価格 6 割以下の超安値で落札し,設計作業を開始したものの,東ソルは複雑怪奇の特許庁事務処理業務が理解できず,設計工程が泥沼に嵌り込む。2009 年から方針変更・仕切り直しでプロジェクト立て直しが図られたが,2010 年 6 月このプロジェクトの中心にいた特許庁職員とNTTデータ社員とが贈収賄容疑で逮捕され,以降開発が空転する。これを機に技術検証委員会が発足し,2012 年 1 月「開発終了見込みなし」との報告が出るに至って,枝野経産相がプロジェクトの中止を決定した。記事は極めて的確に経緯を整理していた。

この失敗の過程の根源には,ただただ安価であることを重視し「できもしない」業者に国家的システムを任せてしまった特許庁の判断ミス,「できもしない」体力をやっぱり露にしてしまった業者の実力不足があるのは言うまでもない。特許庁は開始直後にプロジェクトが躓いたため,もともとBPR(業務プロセス全面刷新)の調達だったにもかかわらず「現行業務の延長」に戦術を切り換えた。なのに,東ソルは現行システムの設計書も理解できず,それすら頓挫してしまった。技術も体力もノウハウもないベンダーに百鬼夜行システムを担当させるとどうなるか,最初からわかっていたことである。富士通も,日立も,NTTデータも,日本IBMも,大手ITゼネコンと呼ばれるベンダーは皆,この結果を予想していたはずである。東ソルが作った設計書で次の開発工程の調達がなされるはずだったが,皆,「こんな設計書じゃモノ作りはできまへん」と引き合いから逃げてしまったのである。

端から見ていると嗤うしかないのだが,それでも,大規模システム開発の設計・運用支援をもっぱらの仕事とする私など,じつに身につまされるものがある。東ソルが一時 1300 人体制を敷いていたというだけで,担当者は地獄の苦しみを生きていた,ということがよくわかる。おそらく,あたかも死体がごろごろ転がり「万骨枯る」の様相を呈していたに違いない。要するにメンタルヘルスを病んで会社を辞めてしまう若者がゴマンと出て,なかには自殺者も出たに違いない,と想像してしまう。しかも「一将功なりて」のない,企業にとって最悪の地獄。また,1300 人も掻集めた以上は,兵隊を抜かれた他のプロジェクトでも火を吹いたはずで,業界全体で東ソルの評判を落としたに違いない。

枝野経産相によるプロジェクト中止の決定。これは官僚にとってはもっとも忌避すべき恥ではなかろうか。実務において矜持ある官僚が実務を知らない政治家に己の仕事を否定されたのだから。日経コンの記者は書いている —「プロジェクトの破綻は明らかだった。だが『開発中止』を認定・判断するプロセスがなかった」。中止には政治的決断が必要だったということである。こういう分析を読むと,ホント鋭い記者だと私は感嘆する。私たちメーカー・システム技術者にとって,官庁の調達案件は一度お上が決めたことなので何があろうが必ず「成功裡に」プロジェクトを終了させなければならないという暗黙の了解がある。そのためメーカーは大赤字を出してでもシステム開発を「破綻なしに終わらせる」ことに社運を賭ける。でないと「出入り禁止」にさらされるからである。

ここから現場にいる者として強く感じるのは,官庁の大規模案件はときとして旧帝国陸軍の闘い方に酷似するということである。かのインパール作戦のように,司令部の大将がいかに間抜けで無能で無責任でも,勝つまでは闘いを終熄させる考えが頭っからない戦略構造のため,隊長以下の部隊が無限地獄に陥ることがある,ということである。受託したメーカー側は当然プロジェクトを停止できない。発注する側は「何やってんだ,帝国を何だと思っている,オレに恥を掻かせる気か,行けー,突撃ぃー」を言い続ける。で,負けるとわかっている闘いをずるずる続け,玉砕。これと同様に,特許庁プロジェクトは停止判断ができず,ずるずる担当者を苦しめ,ずるずる税金を無駄遣いした挙げ句,政治判断で事切れた。日本軍は昔も今もまったく変らないというわけである。

でも,システム開発に携わる者の職業意識としては,今回の特許庁の失敗について,特許庁の判断ミスを追及する気持ちが — 日経BPの記者とは違って — 私にはあんまりない。国税を使っているからには,安くあげるのは公務員として当然の発想だからである。また,「停止できない」構造は日本国の政府調達の根本問題,帝国陸海軍以来の伝統であって,いまさらそれを変えるなんて現実味がないからである。ベンダーがそれを踏まえて,調達を「破綻なしに終わらせる」ことが必要なのである。特許庁はプロジェクトの進展を見て方針変更をし,システム設計の難易度のハードルを大きく下げ,東ソルを言わば「転進」させたにもかかわらず,それでもダメだった。私には徹頭徹尾,東ソルのだらしがなかったとしか思われないのだ。そう,やっぱり民間が頑張るしかない。これこそ日本国のあり方だと思う。