映画『濹東綺譚』

永井荷風『濹東綺譚』を再読したあと,この小説に基づく映画も DVD で観た。1992 年,新藤兼人監督・脚本作品である。主演は津川雅彦(永井荷風),墨田ユキ(お雪)ほか。私はこの映画をロードショーで観たのだが,私の現時点での新しい『濹東綺譚』理解を書いたこともあり,現代人の捉え方を再確認したくなったのである。

映画は,小説『濹東綺譚』のモチーフを中心に,荷風の『断腸亭日乗』の記述から玉ノ井の銘酒屋(私娼家)事情の細部を再現しつつ,小説の時間軸を大きく越え,荷風の死に至るまでの半生を描く。そればかりか,お雪のその後(米兵相手の娼婦になっているところが,和風の旧い売笑様式が失われた姿を描いていた)を創造している。小説の主人公はあくまで「わたくし」なのであるが,映画は永井荷風その人として解釈している。映画は新藤兼人の創作というべきである。

恋愛物語としての新藤兼人の『濹東綺譚』解釈は,しかしながら,感心しなかった。私には不自然かつ感傷的だと思われた。

第一に,玉ノ井の私娼・お雪が — こちらの納得出来る理由なくして — 得体の知れない初老に「本気で」惚れた(これが大方の批評家の解釈なのだが)なんて,ここに書いたとおり,私からすると非現実的である。「世の中の底辺に生きながらも清らかな心を持つお雪」と主人公・永井荷風との「ロマンス」を中心とした官能美あふれるドラマ,と映画 DVD 作品ノートにあった。「清らかな心」? 何をセンチメンタルなこと言っているのか。あれはお雪のプロフェショナルな娼婦のフェイクである。お雪はたったひとりの観客(買春客)を前に迫真の恋愛演技で魅惑した素晴らしい「女優」なのである。それこそが小説の現実的解釈かつほかならぬ魅力なのだ。

また,「おかみさんにしてくれ」とお雪に迫られた主人公が結婚に踏み切れない理由として,映画は「自分のような老いぼれではなく前途ある若者こそがお雪に相応しい」と荷風に述懐させている。原作の一部だけを切り取って来ることで,映画は荷風の若いお雪への「思いやり」ばかりを強調している。第二に,この狡さこそが感傷的なのである。

たしかに原作はこの理由をあげている。けれども,原作の「わたくし」が真っ先にあげた理由は「彼女達〔娼妓:私註〕は一たび其境遇を替え,其身を卑しいものではないと思うようになれば,一変して教う可からざる嬾婦となるか,然らざれば制御しがたい悍婦になってしまう」(『濹東綺譚』新潮文庫版,p. 72)からであって,映画の荷風の述懐は第二の理由である。この順番は決定的である。すなわち,原作は「娼婦は妻の立場を得ると嬾婦・悍婦に化けやがる,なんでわたくしがそういう女と結婚しなければならないのか,別のもっと若いやつが引き受ければよい」という自己中心的な理屈を,単なる無責任を表明しているに過ぎないのである。

ま,主人公が「いい人」じゃないと文藝ロードショー作品として成り立たない,ということだろう。でも,それは感傷というものではなかろうか。思うに,新藤兼人の藝術精神は,荷風の本質的エロ(人事は面倒なだけで,文学的表象と女色自体に価値がある,とするエロ)がわからないのだ。

荷風とお雪との愛欲の映像化は,小説においてはそれほど重要とは思われない二つのモチーフが前面に出ている。つまり,老いによる性欲の減退した主人公が,ドブ川そばの最下層の銘酒屋に美しい娼婦を見出して馴染みとなることで,それを回復するというモチーフ。これは『断腸亭日乗』から得られた老いの述懐をうまく取り込んだものと思われる。そしていまひとつは,二人の人間の交歓と幸福とを決定的に壊してしまったのは戦争という国家的論理であるというモチーフ。過酷な時代背景が個の存在を翻弄するさまが大きなテーマになっている。この辺りが荷風の個人主義的反骨精神に惚れ込んだ新藤兼人監督らしい理解だと思われる。「兵隊は嫌いよ」というお雪の台詞は,間違いなく荷風のこころである。

銘仙や浴衣を着けた美女,帽子を被った麻スーツ姿の紳士,流しの艶歌師,袴の女ヴァイオリン弾き,帝国陸軍兵士などなどが入り乱れるところ,映像は,私の酷愛する戦前・昭和のモダニズムが横溢していて,魅力的であった。そうした背景のなかで露になるお雪役・墨田ユキの裸体がきれいであった。藝術的エロスを好む映画ファンは必見である。この女優が本作品一発でほぼ終わってしまったのが惜しい。津川雅彦もイヤらしくない猥褻な演技で光っていた。こうした点だけでも,この映画は私にとって見応えがあった。ま,私はピンク映画の — 藝術的エロスを云々したい人からすれば —「汚らわしいエロ」をずっと好む質なので,これくらいにしておきます。

そうそう,荷風も書いている —「燈火を点ずること能はざれば今宵も浅草公園に往き国際劇場に入り時間を空費す。安藤君所作の『日高川』その他ルヴューを看る。品好くつくりたるものなれば興味少し。オペラ館の通俗卑俚かへつてよろこぶべし」『断腸亭日乗』昭和 12 年 11 月 21 日記事 — エロは「通俗卑俚」に如かず。

 
 

『断腸亭日乗』は荷風の日記である。私の愛読するのは以下の岩波文庫版。浩瀚な『日乗』から荷風の生活が窺われる記録を抽出し,二巻本に纏め上げている。現代の読者が読みやすいように,適宜句読点が補われている(荷風の「原文」には基本的に句読点がない)。『濹東綺譚』の書かれた昭和十一年ころの記述に,玉ノ井の世態風俗の描写がある。玉ノ井のおでん屋から聞いた話として,あそこの娼は尺八専門だとか,またあそこの娼は客が逃げ出すほどの淫乱だとか,警察による検梅(性病検査)の話題もあり,荷風による玉ノ井の地図の図版もあり,じつに面白い。映画は『濹東綺譚』にはない風俗描写をこの書からけっこう借用していた。