2010 憲法記念日

昨日は憲法記念日だった。

朝日新聞朝刊 1 面に改憲世論調査結果が掲載されていた。「9 条改正 67% 反対」とのことだった。それでも改憲不要 39% に対し,必要 47% と改憲賛成のほうが多いのはどうしてか。象徴天皇の条文だろうか。二院制の問題だろうか。朝日には,9 条以外の改憲議論にもう少し光を当ててほしかった。

憲法改正論者には,現憲法が米国押付けによって成立したとでもいうような点に自立精神の欠如を見て,現憲法を否定する人が多いように見受けられる。私には動機でものごとの正否を判断するような馬鹿げた考えに思われる(横道に逸れますが,新字体・現代仮名遣いを否定する人たちもこの手の安直な「自立精神」論者が多い)。そのくせ彼らは,滑稽にも,大日本帝国憲法のようなそれこそ「輸入品」に憧憬を覚えていたりする(横道に逸れますが,「正字正假名」論者も,滑稽にも,明治時代の書き方を「日本の傳統」などと騙る)。

古関彰一は『日本国憲法の誕生』において,米国による憲法「押付け」成立論を否定している。何故,戦後の日本人の決断に意義を見出せないのか。酷い話になると,石原東京都知事などは日本国憲法の「文体」が気に入らないなどと言っている。石原文学の「文体」のほうがその和製マッチョぶりで私にはよっぽど酷いものに感じられるのだが。

私は改憲反対である。保守だからである。戦争放棄も,象徴天皇制も,二院制も,変える必要性をどこにも見出せない。一方で,明らかな憲法違反である自衛隊の存在も,これを認める。言っていることとやっていることが明らかに矛盾していることは承知の上である。最悪の事態に備えることは必要だからである。この中途半端なわけのわからなさこそが,日本という国なのである。

 

※ Emacs-24 on Mac OS X Snow Leopard については,別の記事に分離しました。