岩波『荷風全集』から大正・昭和初頭の小説を読んでいる。
滅び行く江戸芸能とその心酔者を描いた『雨瀟瀟』(大正十年)は,荷風の漢詩文学教養が詩情豊かに現れていて,荷風作品のなかでもとりわけ私の好みのものである。
『つゆのあとさき』(昭和六年)は,淫乱のカフェヱ女給・君江の奔放な生き方をニヒリスティックに描く作品である。彼女の女陰周りに黒子が三つあるという秘密事項がゴシップ誌(いまの東スポの風俗欄みたいな)にすっぱ抜かれたり,留守の間に猫の屍骸を家の内に捨てられたり,と誰の悪意の仕業か怪しむところから作品がはじまる。まるで現代のストーカー・ネタのような怖さもある。君江,その女友達の藝者,老人の三巴の狂態(いまの性風俗用語でいえば二輪車)が語られていたり,かなり際どい性描写が頻出するので,発表当時は伏字だらけだったようである。
この二作品以外にも,全集六,七,八巻あたりには,色事に懲りない男たちが,藝者・女郎・私娼・街娼・カフェ女給に翻弄され,時代に取り残される,悲哀の滲む佳作がたくさんある。現代人が読むと,風俗が遠い過去に霞んでしまっているので,往時の攀柳折花の世態風俗知識がないと荷風小説の面白みは半減してしまうのだけど。
男女の性に関しては,男はつねに感傷的で幼稚であり,女のほうが冷静,肚が座って大人びている — 荷風の小説はこれを江戸情緒をもって描いたところ,私は却ってニヒリスティックな諧謔を感じる。『濹東綺譚』についても,買春客と可憐な心をもった娼婦との抒情的恋愛潭なんぞではなく(こういう解釈こそ男の幼稚な感傷である),娼婦の端倪すべからざる恋愛フェイク・演技を描いた傑作なのである。詩情のウラに諧謔あり。『濹東綺譚』解釈についてはここに書いた。
荷風『雨瀟瀟』を読了し,リヒャルト・シュトラウスの『メタモルフォーゼン — 二十三独奏弦楽器のための習作』を聴く。Richard Strauss - Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher, Christoph von Dohnányi (Dir), Wiener Philharmoniker, 1992 年, 英国 DECCA 輸入盤。
荷風は戦時中,筆を折り,軍国主義的時代において公的には沈黙を守り,特高警察による摘発に恐々としつつも「後世の歴史家のために」『断腸亭日乗』に軍部の横暴や愚政策,戦捷に湧く国民の田舎者ぶり(この「田舎者」根性は現在に至るも日本人の国民性として変わるところがない)を書き遺した。日独伊三国同盟への嫌悪を露にし,欧州開戦の報に接して,ドイツが英仏に破れることを切に願った。「八紘一宇」のペテンを嗤った。昭和二十年八月十五日の敗戦のときは,なんと「祝杯」を挙げている。東京大空襲で家財・蔵書を焼き尽くされても,なおも敵国ではなく同時代の日本を憎悪する。戦後の日本国憲法発布についても米国製憲法嗤うべしとにべもない。ここまで個人主義が徹底しているのには,半ば呆れるばかりである。明治以降滅びはじめた荷風愛する江戸文化は昭和の軍国主義によって決定的に消滅してしまった。荷風にとって,江戸の滅びを詠うことが唯一の書く動機であり,美の滅んだ国への愛国心なんてのは疾うにどうでもよいことだったのだろう。
これに対し,リヒャルト・シュトラウスはナチス・ドイツ政権の要請に応じた音楽活動を行ったとされている。日独伊三国同盟に関するところでは,日本の 1940 年の紀元節のために『日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲』を作曲した。『メタモルフォーゼン』はドイツ敗色濃厚の 1945 年の三月から四月にかけて作曲された。八十歳を越えた老大家が「習作」と題したこの曲は,滅びへの悲しみに満ちている。それは,思うに,第三帝国のみならず,ロマン主義の滅びでもある。それでも「変容」という表題によって示されるように,新たな何かに変わりゆく指向の,どこか黎明を予感させる感動的な響きがある。「習作」という初々しい副題はそれを暗示するかのようである。
荷風とリヒャルト・シュトラウスとは,同時代の権力に対する態度こそ対照的であるが,滅びの美の表現者として相通じるものがある。その政治的姿勢は,二人の藝術家としての本性からすれば,傍系的なものである。神のものは神に,皇帝のものは皇帝に。政治的態度で藝術家を判断するのは失礼というものである。
Wiener Philharmoniker
Polygram Records (1992-06-16)