四月二日は娘の大学の入学式だった。この日は終日寒々として,雨瀟々。JR 横須賀線で最寄りの新川崎駅から武蔵小杉まで行き,JR 南武線に乗り換え,登戸まで行き,小田急線に乗り換え,小田急多摩センターで多摩モノレールに乗り換え,ってな具合の面倒を経て,一時間半くらいで東京八王子のキャンパスに到着。染井吉野,枝垂桜,山桜,学内のさまざまの桜が,静かに雨に濡れ,散りはじめの風情も凛として,しめやかな趣きがあった。
途中,小田急線車内で,芸能ネタに強い妻が面白いことを言った —「この路線の終点の唐木田には多摩ニュータウンがあるよね。昔,この辺りは『金妻』(キンツマ — 三十年近く昔の人気テレビドラマ『金曜の妻たちへ』)の舞台になってた。古谷一行とか,篠ひろ子とか出てたわね。多摩ニュータウンって,いまはお年寄りが多いそうよ。昔の金妻もいまは銀妻ってわけね」。
ギンツマ...。『金妻』の主人公たちは俺たちより一世代ほど上の団塊世代。いまや髪が白くなったか,なくなったか,である。
『金妻』は,ちょっとハイソな三十代の「不倫」が流行する端緒となったドラマといってよい。放映当時,俺はテレビを持たない貧乏学生だったので,このドラマはまったく観たことがない。それでも,1980 年代の浮ついたバカ世相を反映した作品だったに違いないと想像する。「金妻」というのは,すなわち,ピンク映画の定番「団地妻」(学生時代,テレビドラマはまったく観なかったけれども,こういうのは映画館でたくさん観た)を少しハイソに「トレンディー」にしただけだろうと。
なのに,団地妻なら安っぽい淫らな浮気となり,薄汚いピンク映画館で金を払わないと拝めない一方,ちょっとハイソな奥様ならおしゃれな「大人の恋」,不倫となり,スポンサーが付いてテレビのゴールデンタイムにお出ましである。
こじゃれた不倫に密かに憧れた小金持ちのかつての金妻は,いまはみんな年を取って銀妻になり,夫の退職金でヨン様の追っかけをしている,ってわけか? 昭和は遠くなりにけり。
ギンツマのさらに一世代上だって,褒められたもんじゃない。『金妻』がヒットして何年か経ち,就職してまだペーペー,家にも帰られないくらい仕事でキリキリ舞いしていたころ,俺は『金妻』不倫男より一世代上のオヤジたち相手の接待に勤しみ,錦糸町のいかがわしいパブで若くピチピチしたフィリピーナ,ルースカヤ,ウクラインカを彼らに宛てがい,たんとお触りをさせ,待合いにご招待してやった。当時フィリピンにナニしに行くこの世代のオヤジの団体旅行が盛況だったものである。日本男子は女を買うにも群れをなす。
ストリップ,ソープランドならまだしも,ランジェリーパブ,ノーパンしゃぶしゃぶ,刺身の女体盛,エトセトラ,エトセトラ,「ハイハイー,5番のお客はん,おいどに手ェいれたらあきまへんでぇー」— ここまで来ると,一体何が面白いのかさっぱりわからなかった。それでも,俺は歓んでこうした桃色接待に明け暮れた。当時は店に「お食事代」と書かせて,領収書をじゃんじゃん切って経理部に回すことが出来た。
人事代謝アリ。そのころに比べれば,いまの日本人は,オヤジも,オバンも,若者も,なんとマジメに,慎ましくなったことか。中国人って奴らは躾が悪い,民度が低いなどと言う,躾のよい潔癖性の人たちが増殖した。俺などは,胸に手を当ててつい二十余年前までの日本人の振舞を思い出して,吹き出すばかりである。日本人は己の行動についてはホント物忘れが酷い,と。呆れる。
俺がかつてさかんに接待したスケベジジイどもが年金でも一番トクをしている世代であるのをみるにつけ,マジメでケッペキで折れやすい若い世代が「失われた二十年」のおかげでカスミを食わされているのにこれらバブル・スケベジジイ世代やギンツマ世代を支えないといけない立場にあるのをみるにつけ,世の中とはなんと皮肉なものか,不公平なものか,と呆れ果ててしまう。日本は間違いなくヘンな国である。
ん? ええと,あ,そうそう,娘の入学式。
式が執り行われたのは壮大な三階建て体育館だった。「行動するグローバルな知性として育って欲しい」との学長の式辞は,堂々たるものだった。そういや,この学長も金妻世代とお見受けした。
大学の管弦楽団がシベリウスの交響詩『フィンランディア』を演奏した。ロシアに虐げられたフィンランド国民が愛国心を震い起こす名曲だから,ということだけれども,日本はどちらかというと他国を虐げて来た国らしいので(そう教育されてきただろ? そんな日本に輪を掛けて他国を虐げて来た国家によって,そのケタ違いに倍する報いをわれわれは受けさせられているわけだけど),俺はハレの式典でのこの曲の選定の意味を推し量りかねた。エルガーの『威風堂々』あたりのほうがより似つかわしくないか。ま,虐げられし弱者たちを支持するという正義感は理解できないこともない。
それにしてもこの大学は学生の数が多い。でもって,入学式を午前・午後の二回に分けているそうである。娘の入った法学部だけで新入生が 1,500 人もいるらしい。
俺の卒業した大学は,学生・教員・職員合わせて一万人いるわが国有数の総合大学だったのに,もともと理科の大学だったためか,わが文学部系統(入学時に「文I系」という枠で学生を取って,教養課程修了時に学部・学科を確定させる仕組みだった)はたった 110 人くらいしかいなかった。その後,同じ学科に進んだのはたった 4 人。大学院に進んだときは,学科の修士課程の学生は俺一人しかおらず,教授と俺のたった二人っきりの演習という,いまにしてみれば信じられない光景があった。
娘は 1,500 人のなかに埋もれて,式場のどこにいるのやらさっぱりわからない。これだからこそ,想像するに,東京のマンモス私立大学の学生は,頭角を現すのに必死になり,逞しく,頼もしくなるのだろう。これに比べると,地方の国立大学の学生は,秀才だなんだと地元でチヤホヤされ,温々と学生時代を過ごして社会に出て来るためか,優しく,叱責されるのに弱く,ヤワなんである。これ,社会人としての実感。