されどペット

先月 25 日にやって来た雄猫は先住の雌猫に受け入れられたようである。友人から聞いたところでは,猫は古株と新入との間で激しい縄張り争いをし,トイレ,器の共有すら難しく,場合によっては新入がオシッコをがまんするあまり膀胱炎になってしまうほどらしい。でも,ウチの二匹は同じ母親から生まれた姉弟だからか,一日二日程度で,寒い夜に寄り添って眠るようになった。こういう姿を眺めると,ただのペットとはいえ,強烈な慈しみを覚えるものである。

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若者の貧困問題,晩婚化,少子化,幼児虐待事件の増加など,身の毛のよだつ世相にあって,子供に対する無条件の慈しみが失われている。一方で,ペットを飼う人は増えているのではなかろうか。人間よりもペット。何も考えていないペットは,これに対して何も忖度せずにすみ,これの肚を読まずにすみ,無条件にこれの生そのものを愛おしむことが出来る。面倒くさい人間よりもペットのほうが可愛いと思う人は増えているのではなかろうか。

ちょうど4年前,元厚生事務次官宅連続襲撃事件が世間を震撼せしめた。新聞は,愚かにも,「年金テロか?」と大真面目に報道した。テロ集団による犯行声明もなかったのに,である。ところが実際は,46歳の偏執狂的中年オヤジが「34年前に保健所に飼い犬を殺された仇討ち」をしたということだった。私と同い年の中年の愚者,さらに,事件を根拠もなくテロに結びつけてしまう,地に足の着かない軽率なマスメディア — 成熟しているべき者たちの底抜けのアホぶりに,日本社会の精神がいよいよ腐りはじめたとの思いに駆られたものである。一方で,ペットを失った悲しみが何十年たっても癒されず,酷薄な世相を背景に,その怒りが凶悪犯罪として噴出するさまには,「愚か」で済まされないものを感じた。テレビ朝日の人気ドラマ『相棒』シーズン2(2003 年)で,小木茂光扮する弁護士が妻のわがままで飼いはじめた犬に対していつしか妻よりも愛着を覚えるようになり,離婚を契機に愛犬を失う危機感から妻を殺害してしまう話があった。フィクションが現実に先んじたような驚きとともに,人間とは単純ではないとつくづく思い知らされたものである。人間よりもペットってか?

たかがペット,されどペット。私はもともとペットを飼うことには反対だった。子供二人の心配事すら絶えないのに,そのうえ動物を飼って病気にでもなったら面倒見切れんというマイナス要素ばかり考えてしまうのだった。でも,一匹飼うと,子供と同じで,もう一匹,二匹,と思ってしまうわけである。
 

Post Scriptum。

子供に対する無条件の慈しみの欠如。電車やバスで赤ちゃんが泣き止まずに母親が困り果てているさまはよく目にする。私にも子供が幼かったころ経験がある。これに対して「理屈を付けて」公然と迷惑を主張する人がいる。「迷惑」なのだからクレームを付ける権利は当然にある。それを悪とは思わない。しかし,私はこのような大人が「大嫌い」である。幼い子供とは,そもそも本質的に,周囲に迷惑をかける存在なのである。それを公共性の理屈を付けて「迷惑がる」人を憎たらしいくらいに思う。こういう奴は,歳をとって子供に還るとき,世の中から「迷惑」がられて酷薄な扱いを受けるがよい,とすら思う。赤ちゃんは何でも許されるのである。何故か。その思いはここにも書いた気がする。

私は会社のメールアカウントで日経BPのメールマガジンを購読しており,先日そこからの外部リンクで「JALの機内で起きたブチ切れ事件で問う“現場の力”」という記事を読んだ。これによれば,漫画家のさかもと未明さんが JAL の機内で乗り合わせた赤ちゃんが泣き止まないのに苛立って,「『もうやだ,降りる,飛び降りる!』と,着陸準備中にもかかわらず席を立ち,出口に向かって走った。そして,その途中で赤ちゃんの母親に『あなたのお子さんは,もう少し大きくなるまで飛行機に乗せてはいけません。赤ちゃんだから何でも許されるというわけではないと思います!』と告げたのである。着陸後も,さかもとさんは怒りが収まらず,地上係員にクレームを言い続けた」。

私はこういう奴が大嫌いである。大の大人が「赤ちゃんだから何でも許されるというわけではない」と公共的理屈を付け自分で「飛び降りる」と主張しているのだから,CAはジェット機からさかもと未明さんを「飛び降りさせてあげれば」よかったのに,とさえ思う。私がその場に居合わせていたら「CAさん,本人がそう言っているんだから飛び降りさせたらどうか。あなたがきちんと説得したのにバカな女が無理やり飛び降りたって証言してあげますよ」と言ったかも知れない。赤ちゃんは何でも許されるのである。

最近は「幼児連れお断り」などと平気で掲げる飲食店がある。大人が楽しむためのクラシックコンサート会場ならまだしもである。私はこういう飲食店には絶対に入らない。家族連れで食事を楽しむような店なら,幼児が泣き叫ぶ事態になれば親が外へ子供を連れ出してあやすはずだ。なのに,わざわざ最初から幼児連れを拒まずにおれない店主の人間性ってどういうものか。赤ちゃんは何でも許されるのである。

未来ある赤ちゃんの迷惑は大いに結構。そのうち社会に蔓延するであろう,年寄りの子供還りの迷惑の末世ぶりに比べたら,恋人に頬をつねられるくらいの迷惑である。赤ちゃんは何でも許されるのである。