地下鉄の赤ちゃん

午過ぎ,仕事の都合で地下鉄に乗っていたら,若い母親が聞き分けなく泣きじゃくる我が子に困り果てる様を見た。公共の場で,しかも電車やバスなどの閉鎖された環境でこの状況になると,親は周囲への迷惑を思ってバツが悪い。私にも経験がある。

そんなとき「ったく,うるせーガキ」と本当に迷惑がっているひともいるはずだ。「たいへんっすよね,母親って」と私の部下。でも,私はもっともっと好きなだけ泣いていいぞ!と元気付けられるほうである。昔,高校生のころだったと思う。その時観たある邦画(タイトルは忘れてしまった)の恐ろしい場面が頭にこびり付いている。その場面が,公衆の面前で泣き叫ぶ子供とその母親を目にする度に,ありありと甦って来るからである。

その映画は太平洋戦争・沖縄戦を描いていた。米軍が,日本兵や民間人が逃げ隠れている洞窟の付近を,火炎放射器を手にして警戒している。洞窟では敵に感づかれないよう皆,息を殺している。その殺気立った雰囲気に怖じけたのか,赤子が突然大声で泣き出す。若い母親は,生涯賭けてのお願いとばかりに,あやして鎮めようとする。周囲の兵隊,民間人たちはもはやこれまでと恐怖に戦いている。「こんなときに大声で泣かれたらあの鬼畜どもに気づかれてしまう。なんとかしろ!」と兵隊さん。母親は乳を含ませたり手を尽くすが,どうしても赤子を鎮めることができない。震えに震える。とうとう我が子を絞め殺してしまう。「ケケ」という最後の声。母親は発狂した。

戦争とは現在の皆のためにもの言わぬ未来を圧殺することだと私は悟ったのである。暗にそそのかした兵隊が悪いのでも,この母親が悪いわけでもなさそうである。いったい誰が悪いのか。いいじゃないか,泣きたいだけ泣いていいぞ。それができるのは,ありがたい世界にいる証拠なのだ。近くにいた,母子とは他人と思しきおばあちゃんがニコニコして,その泣きじゃくる子供に話しかけていた。