『ものすごくうるさくて,ありえないほど近い』

ある人の勧めで,米国映画『ものすごくうるさくて,ありえないほど近い』を観た。Extremely Loud and Incredibly Close。2011 年スティーブン・ダルドリー監督作品。トーマス・ホーン(オスカー少年),トム・ハンクス(父トーマス),サンドラ・ブロック(母リンダ)主演。ジョナサン・サフラン・フォア原作の同名の小説に基づく。

9.11 ワールド・トレード・センターの倒壊で父親を亡くした少年オスカーは,その一年後,そのままになっていた父のクローゼットで,花瓶に隠されていた鍵を見付ける。鍵に合う鍵穴(金庫,扉などなどの何か)を探さなくてはならない。何故なら,「太陽が壊れてもそれから8分の間は光と熱を享受できる」,いまのうちにそれを見出すことが出来れば,父親との最後の8分間を永遠に延長出来る,と直感したからだ。父は生前から息子にニューヨーク第6行政区の調査探索ゲームで,謎を探求する計画力・行動力を教えていた。その探究心・行動力によって,父の遺した鍵に合う鍵穴を探し求める。この過程でオスカーは様々な人々と出会い,彼らの悲しみに接し,とうとう開けられるべき鍵穴に辿り着く。

鍵穴の調査探索に当たってのオスカーの行動,準備する七つ道具が極めて面白い。「ウソその64」— 真に価値のある目的のため(己の保身ではなく)なら自覚をもって(「ウソそのXX」)ウソをついて相手から情報を引き出しても構わない。双眼鏡 — 調査のためにはツールを準備すべし。パニックを抑えるタンバリン — 探索活動には恐怖が付きものだ,それを避けてはならない,恐怖を和らげるのだ。カメラ,ノート — 記録がなければどんな成果も無意味である。本 — 知識と指針は書物にある,それを手元に置いて常に顧みよ。こういう具体的戦術,準備にきっちり映像時間を割くところが,「探求する勇気と英知」という物語のテーマの展開に大いなる現実的根拠を与えている。学術研究にせよ,政策立案にせよ,諜報活動にせよ,米国の知的な強さの依って来る源をシンプルにすぱっと教えられた気分になる。

「何故,パパが死ななければならなかったのか,何故,飛行機がビルに突っ込んだのか,どんなに考えても,わからないものはわからない」— 母リンダの叫びは,テーマ・探求する勇気と英知をもってしても映画では未解決のままである。そういう限界を認識した上も,なおかつ,オスカーは最後に手紙のなかでこう語る:「探し求めた結果,何もないより失望したほうがもっとよい」。おそらくこういう強さによってオスカーは父を越えて行くだろうことが,はっきりと理解出来る。

地べたに寝そべるシーンがたくさんある。ワールド・トレード・センターの高みを目指す摩天楼とはまったく逆の指向である。あたかも神に近づく傲慢から,地のいちばん低いところに立ち戻って,もう一度世界を眺めようとするかのようである。オスカーと母とが地べたに屈み込み,ドアを隔ててお互いを窺うシーンには泣けて来た。

ニューヨーク第6行政区。父の6回目・死の直前の最後の留守録。6という数字に大きな意味がある。それはいったい何だったのか? Are you there? 父は何を言い残したかったのか? 何故,それを聞く勇気がなかったのか?— 探求する勇気と英知。このように,その姿勢を伝えるのが父の子に対する本当の勤めなのだろう。ロシア映画『父,還る Возвращение』では,それは「手を使え」だった。いずれにせよ,私には自分の子供に対して,こういうシンプルなことがどうしてもできない。

この映画の凄さは,9.11 という世界を一変させた大事件の残した傷の克服に関し,その事件を起こした元凶・敵(テロリズム)についてまったく触れることなく,敵愾心を毫も煽ることなく,求めるものを探索する,わからなかったことを明らかにする — そういうモチーフをドラマの推進力にすることで,米国の国情に特化せずに,物語を普遍的な水準に高めているところである。9.11 は 3.11 でもよいのである。大地震も,原発事故も,「ものすごくうるさくて,ありえないほど近い」問題なのである。