レンタル DVD で映画『父,帰る』(原題:Возвращение) を観た。近年稀にみる優れた人間ドラマである。ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督作品。
この映画は観るひとによってはそのショッキングな結末のために,主人公の父親同様,疎ましいものと思うかも知れない。しかし,真面目な物事というのは,それを注視することに,ある種の勇気を要求するものである。この映画は,父親とは不在であるがゆえにこそ,その存在感・影響力を子供たちに発揮するのだ,というのだろう。父親は目の前にいるときは厳しさゆえに疎ましい存在でしかない。
旅の途上,泥濘に嵌り込んだ車を進ませるために,父 (コンスタンチン・ラヴロネンコ ) は木の枝を子供たちに集めさせタイヤに噛ませようとする。長男 (ヴラジーミル・ガーリン) が「どうすればいい?」と問うと父は「手だ,手を使え!(Ручками, ручками! ルーチカミ,ルーチカミ!)」と怒鳴りつける。この少し頼りない長男は,のちに父が不在となった瞬間,弟 (イワン・ドブロヌラヴォフ) が同じように「どうすればよいか」と問いかけるのに対し「手を使うんだ」と厳しく言い放つ。子供だけのシーンなのに厳粛このうえないのだ。
十二年ぶりにふらりと帰ってきた父の眠るベッドを,兄弟が覗き見るシーン。足の側から透視する,その眠れる父の構図は,間違いなく,マンテーニャの『死せるキリスト』を引用していると思う。死して (不在になって) はじめてわかる,その背負ったものの重みと教えの厳粛さ。父が手で千切り配った食物をワインとともに食する家族の食事の場面も,キリスト教的アレゴリーが非常に濃い。静かに張りつめたこの場面にあって,母 (ナターリヤ・ヴドヴィナ) が美しい。イングマール・ベルイマンの映画をちょっと想起した。
これはまず父親が観る映画ではないかと思う。「手を使え」— こんなシンプルなことをきちんと伝えられる大人こそが父親に相応しい。