三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』は現在三巻まで出ている。私が娘に買い与えた本を今度は私が借りて読んだ。一息に三巻。古書を巡る人生のドラマをビブリア古書堂店主・篠川栞子が本の知識と観察力で推理する,しみじみとした味わいのある物語。古書には読んだ人の人生が詰まっている — 物語にも出て来る文言である。

第二巻に『時計じかけのオレンジ』にまつわる話がある。バージェスのこの小説には版が二つあり,篠川栞子はその解釈の差異に基づいて登場人物のウソを見抜き,そのウソの背景にある生の暗黒を思いやる。こういう書物のちょっとしたエピソードから抜き差しならぬ関心を読者に掻立てることの出来る三上延という作家の,人間を見つめるたしかな目に唸らされる。殺人,強姦,詐欺,ヤクザ,刑事,大企業,政治家,芸能界,などなどの推理小説の道具立ての紋切型とはまったく無縁でも,人生の謎とその解明に強い関心を抱かせ読ませる作品は,そうざらにあるわけではない。

本書はベストセラーといってもよい。三巻ともにアマゾンでは現在 200 位以内にランキングされている。作者は四巻目を執筆中と書いていた。しばらくはこのシリーズが楽しめそうである。この人気を獲得した最大の要因は,思うに,謎を秘めた主人公・篠川栞子の「見た目」である。本書カバーのイラストである。これは間違いない。本書を手に取っているのは,多く,この作品に出て来る五浦大輔のような,普段は本を読まない人だと私は想像する。だからこそマンガ本並みに売れているのである。本書で言及されている作品がいきなり書店から消えたという話も理解できる。本が売れないいま,出版社はこうでもしなければならないのである。それでも,本書は物語の質としては決して悪くないので,それもありだと思わないでおれない。

北鎌倉という歴史風土性に満ちたトポス,その目立たない一画に,書物に囲まれてひっそりと古書店を営む,細身の体なのに実は巨乳の,眼鏡をかけた美女,しかも己の美しさに気付いていないかのような,控えめでもの静かな美女,しかも秘められた過去,陰のある美女 — こういう主人公の人物像は,まったくアニメ・オタク好みである。ツンデレ系眼鏡っ子。「神じゃね?」ってわけである。私のような皮肉な中年オヤジからすると,あまりに「理想的」で,出来過ぎていて,素人臭い。決して嫌ではない。けれども,このような人物像を前にすると文学的ないしアニメ的「理想像」の「ウソ臭さ」がまず鼻に付いてしまうのである。「趣味の諂い」に映る。何,オタク野郎に媚びていやがるのか,と考えてしまうのである。

目の前にいる生身の人間ではなく,己の勝手に思い描いた「理想」でないと,しかも「勝手に思い描いている」はずなのにその実ただ単に文学的・藝術的・マンガ的・アニメ的・その他もろもろ的「タイプ」でしかない「理想」でないと,対象を愛せない人がいる。『ビブリア古書堂の事件手帖』の主人公はそのような,目の前でこちらを向いている人間にあまり興味を抱かない,精神的に幼い人たちが好む紋切型だと思う。書物は,現実世界と目には見えない心・感情の世界とはもう一次元別の所にある世界である。そこでは何でもあり。自分の思想や趣味とは合わないものがそこにあったって構わない。書物の想像力溢れる世界,「理想」を私も酷愛する。それでも,目の前にいる人間のほうが好きである。篠川栞子のような「絵」のように美しい女も好きだが,パンツを引ん剥くとちゃんと三つ穴があってしかるべき臭いのする女のほうがもっと好きなのである。下品ですみません。

本書は古書をテーマにしたフィクションである。私は本書を古本ではなく新刊書店で購入した。支持したい作家なら,その作品は,品切れ・絶版でない限り新刊で買って読むべきである。それが著者に対するしかるべきサポートなのだ。