映画『終わってる』

映画『終わってる』を DVD で観た。今泉力哉監督・脚本,2011 年,アートポート製作作品。女優・しじみ(主人公・川瀬まき役)の演技の光る,優れた青春ラブストーリーだった。ただし,あくまで成人指定のピンク映画であり,性交場面 — 描写は控えめではあるが — が何度か出て来るので,誰かと一緒に観るなら注意が必要である。本作品は今年の 3 月,映画館・ポレポレ東中野のみで公開された。今日は,少しネタバレになってしまうかも知れないが,大いに興を覚えたので,この映画についてしるす。

晋助(関口崇則)は,他の男の子供を身籠ったまき(しじみ)と結婚した。それを承知でまきを好いたゆえの決断だったが,赤子が自分の子供ではないことにだんだん嫌気がさして来て,まきとの夫婦関係に亀裂が入る。その一方でまきの親友・町子(篠原友希子)への恋心も募って来る。晋助はまきと別れる決心をして家を出る。町子は,同棲する恭介(松浦祐也)が彼女を独占したいあまり事毎に拘束的であることに耐えられなくなり,晋助へのほのかな横恋慕もあって,恭介に別れてくれと言い放って家を出る。晋助は親友・ババケン(前野朋哉)のもとに身を寄せるが,ババケンに説教された晋助は悪態をついてババケンの家からも出て行く。ババケンは,片思いのまきが晋助と一緒になってからも他の女性と恋愛することなく童貞を守って,日々悶々としている。こうして五人の登場人物は皆それぞれの形で「終わってる」事態を呈している。さて,この五人,これからどうなるのか?

この映画の見所のひとつは,この「終わってる」五人がよりを戻すあるいはその状態から抜け出す契機が,ほんのちょっとした相手の心遣いであったり,己の考えの変化であったりするところである。それは一杯の熱い紅茶であったり,死んだ友人の幻との心の対話であったり,素股セックス — いちいち説明はしません — であったり,その形の機微が心憎い。

しかし,いちばんの見所は主人公・まきの人間造形である。まきは,晋助と別の男とで二股を掛けた挙句に妊娠し,そのことを正直に告白した上で晋助と結ばれる。晋助が赤子を巡って嫌気がさし別れようと迫っても,彼女は「絶対別れない」と断言する。その一方で晋助が出て行くのを強く引き止めるわけでなく,また晋助がババケンと喧嘩して戻って来た時ご飯を食べさせ「行く所が見つかるまでここに居ていいよ」とあっさりとしたことを言う。またその一方で,晋助が町子のアパートに行くと知るや,その面当てに,自分はババケンのところに泊めてもらいに行くと言い出す。晋助に見捨てられそうになった煽りで,自分に思いを寄せるババケンに色目を使い,裸で彼と抱き合っても,「ババケンは好きだけど,そんなん(一緒になりたいというわけ)じゃないの,ゴメンね」と残酷なまでに正直な文句をズバっと口にする。

ここで,執着,嫉妬,面当,誘惑,残酷を,同じような冷淡な微笑で表現し分けてしまうまきの図太さ,わからなさが,堪らなく魅力的なんである。全編翻って考えてみると,最初から最後までまったく己の立場・意思を変えずに「終わってる」状態を脱したのはまき一人であったことに,呆れてしまうんである。何でこの女はこんなに強いのかと。それこそ「終わってる」といえるかも知れないと。これこそが「子を持つ女」の強さなのかと。そして,この強さはあっと驚く打算的狡猾さでもある。それは二股を掛けたもう一人の男とまきとのやりとりのシーンで明らかになるが,ここではしるさないでおこう。ぜひ本作品を観てください。

執着,嫉妬,面当,誘惑,残酷,打算,狡猾の入り混じった怪しい微笑。まき役女優・しじみのこの微笑がぞくぞくするくらい魅力的なのである。これこそがこの映画の最大の見所である。最後のシーンでまきが見せるこの微笑は,映画のカバーショットにもなっている。これこれ。二股掛けておいて,どちらが男親なのかわからない子供を軽率にも身籠っておいて,子供がありながら夫の親友・童貞男とセックスしておいて(好きでやっているんだから,「身を任せる」なんて男尊女卑はなし),さらにそのウブな男を即座にアッケラカンと振っておいて,最後に見事に己の思うところに納まる女 — こんな勝手な女には吐気がする,などとアプリオリに思ってしまう直線的なマジメ男には,この微笑のぞくぞく感はわからないだろうけど。この微笑をまきが見せる晋助とのセックスシーンは,赤ちゃんがワンワン泣きわめくそのすぐそばでの営み。生活の憂愁と諧謔で痺れさせてくれるいい絵だった。願わくば,まきと晋助が将来において子供を虐待するなんてことだけはないことを。

作品公式サイトによれば,主演女優・しじみは「元AV女優」とある(貝のしじみを芸名に使うそのエロさが理解できる)。何でこれほどの絵,これほどの演技力をもつ女優が,おそらくは予算一千万円に満たない「低俗」なピンク映画でしか観られないのか。これは現代日本の劇場映画・テレビ事情の根本問題であって,「低俗」が好きな私にはどうでもよいことである。トヨタや東電に気を遣っているお行儀のよいメディアには,こんなにもいやらしくはつらつとした魅力的な青春・恋愛映画は撮れないってこと。子供は,草食男女たちの感傷的恋愛ドラマ,陳腐なお笑いバラエティ,古くさい純愛韓流ドラマを観ておればよい。ロードショーやテレビの嘔吐を催させるバカな恋愛ドラマに呆れ果てた大人は,すべからくピンク映画を観るべし。
 

 

製作のアートポートは,もっぱらピンク映画製作会社であるけれども,いわゆる成人映画の,何分間かに一回必ず濡れ場を挿入しなければならない強迫観念から解放された,ストーリー主体のポルノグラフィを提供している。青春Hシリーズと題し,現代の若者の姿を描く作品群を公開中である。『終わってる』はそのシリーズの第 8 作目に当たる。
 

2011.1.13 付記

その後女優・しじみについてちょっとネットで調べてみた。Wikipedia にも記事があった。彼女が 50 本以上もの映画(ほとんどすべてエロ映画)に出ていたなんてことは知らなかった。私はこれまでゴマンとエロ映画を観て来た。記事の一覧には「あ,これ観たなぁ」というのもあった。なのに,まったく彼女には気づかなかった。

ピンク映画は,ストーリーも,絵も,つまらないのが多い。エロシーンだけで成り立っているものがほとんどである。アダルトビデオに毛の生えたような部類に属する。予算が厳しくて充分な作品構想・設計ができないし,観ている方もたいがいはエロを求めているに過ぎないのが,その背景にある。それはそれで私は好きなんであるが。そんなピンク映画でも,たま〜にこの『終わってる』のような,監督の意志を感じさせる,びびっと来る作品がある。しかも,絵や感情表現,俳優の匂いのような点で,ジャリタレによるロードショー・クズ映画,テレビドラマを凌駕していることが多い。前にも書いた『煙が目にしみる』もそのようなものだった。

このしじみさんという女優,「平成不況にみまわれた映画界で予算一千万以内の作品では既になくてはならない存在」(Wikipedia 記事)だそうである。ちょっとこれから注目したい。