御用納め,川村カオリ『Helter Skelter』

昨日は平成二十三年の御用納め。納会のあと子分と少し呑み,ラーメンを食って深夜帰宅。

今年は仕事でもあんまりパッとしなかった。ウチの会社は,福島原発事故対応で電力事業部は損得なしで大童,コンピュータ事業においても東北地区の自治体システムの復旧で休み無し,と大震災の余波をまともに被った。気仙沼市の震災時システム対応の美談なども聞こえて来た。国難をモロに受ける会社にいると,日本を代表する企業にいるプライドが疼くものである。とはいえ,私の職場は震災の影響はあまりなく,大口顧客の仕事で坦々と稼がせていただきました。

今日から年末・年始のお休み。昼くらいに起きて来て Facebook をボッと眺める。それから,最近顧みることのまったくなかった Web サイトを少しメンテナンス。映画・芸能関係のブログ記事を一覧するインデックスを掲載した。題して『КИНОはけふの物語』。この 6 年間で書き散らした映画評は,いまさらながら,ピンク色が目立って情けなくなる。文学関係の一覧『文学についてのあれこれ』ともどもエロ話が多くて恥ずかしくなる。おヒマなら来てよね。
 

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アマゾン古書店から本が届く。勝見洋一『餞』,映画『終わってる』と,このところまたぞろポルノグラフィについてばかり書いているからか,妻から「またエロ本買ったの?!」と白眼の視線に晒された。違います。ロック歌手・川村カオリの自叙伝『Helter Skelter』。芸能人の本はおそらくはゴーストライターが感動的に纏め上げたものがほとんどなんだろうけど,また一方で「自伝」というものはその本性としていいことしか書かれていないわけなんだろうけど,それは別に構わない。書かれてあることから何が得られるかが問題である。

川村カオリは 2009 年に乳癌で亡くなり,いまや伝説的ロッカーになろうとしている。本書には,片方の乳房を切除した傷跡を晒し管が体に刺さった彼女の半身写真が掲載されていて,痛々しかった。しかし,それよりも,かねてからの私の関心は,彼女が日本人とロシア人の混血であるということだった。日露戦争にはじまり,第二次大戦時の満州侵攻(国際法違反),それに続く日本人捕虜のシベリア抑留,北方領土問題,戦後の東西冷戦と,日本人の民族意識としてロシアは「伝統的敵国」となってしまった。ロシアに関係する日本人はすべからく冷たい目で見られて来た。私は自身がロシア文学を専攻する学生だったので(何かに付け「左翼」のように言われた)それがよくわかるし,その意味でロシアと関係する日本人について無関心ではおれないようになってしまった。そして,ロシア関係に関心をもつものだけが理解できる要素を,本書に認めることができたのである。

彼女はモスクワに生まれ,ソ連の日本人学校に 6 年間通った。ここでは,図書室で伝記シリーズを読むのが好きだったし,個性的な先生から太宰治の『人間失格』を勧められた,それほど平穏な(日本では珍しいくらい文化的な)日々だった。当時のソ連社会の彼女の素描もいい面,悪い面をきちんと見据えている。私は米原万里に感じたソ連育ちの日本人の冷静な視線を,川村にも確かに認めたのである。

 この頃のソ連はこんなふうに外国の製品などあまりなかったけれども,色とりどりのケーキやら果物,洋服や家具,必要な物は全て日本の 10 分の 1 の価格で手に入った。それに社会主義国はみんな平等(軍人やお役人は別ね)だったため,競争心や猜疑心がなく,人々の心も穏やかで豊かだった。知らない人でも喜んで家に招く,そんな国だった。[ ... ]
 今思うと母は一人でどんなに悲しい思い [ 私註:川村の母もまた日本人と結婚したことでソ連官憲から謂れのない差別を受けたことがこの前にしるされている ] をしたことだろう。国への不満や思想を唄や詩にして逮捕される国である。祖父や祖母も仕事場ではいいことだけではなかったという。私の知らない話もまだあるに違いない。
 あの頃はなぜロシア人がみんなウィソツキーという唄い手を愛すのかわからなかったが,最近は日本でも買うことができるようになり,聴き直してみてやっとその理由がわかった。みんな,笑顔の下には涙を隠していたのである。
 ソ連には私服警察がいて,思想的危険分子とされる人はよく連れて行かれたらしい。だから不満があってもみんなそれを言葉にできなかった。ウィソツキーという人はそんな国民の心をギリギリの表現で唄っていた。見た目はアル・パチーノ,声はトム・ウェイツのような唄うたいだった。
川村カオリ『Helter Skelter』宝島社,2005 年,pp. 17-9。

ウィソツキーの名に出くわすとは思ってもいなかったので,懐かしさで溜め息が出た。このシンガーソングライターはギター一本で弾き語りをするソ連時代の魂の詩人であり,1980 年代のロシアを知る者にとっては,知らぬ者のない名前である。そしてウィソツキーをロシア人の「笑顔の下に隠した涙」に結びつける川村の感じ方に,私は数少ない同志を見つけたような感動を覚えたのである。

1982 年に川村家が日本に移住してから,平穏だった川村カオリの人生は一変する。ロシア人のハーフであったためか,日本の子供社会(それはすなわち大人社会の縮図である)のルールに適応出来ず,激烈なイジメに晒される。その契機をこう分析する。

 [ ... ] クラスの中が細分化され,いくつかのチームがあり,みんなどこかに属さなくてはならないことを私はまるで知らなかった。教室の移動やら休み時間など,誘われるがままに付いていった。[ ... ] なんとなく一緒に遊びながらも,これまでのような自然の中ではなく,ゲームに熱中したり,誰かの悪口を言ったり,男の子の話題ばかりだったりする遊び方に違和感を感じていた。ついこの前までトム・ソーヤーのような生活をしていたのだから無理はない。[ ... ] 少しでも違う意見を言うと一瞬で空気が凍るのを感じた。違う意見を言うことは許されないと気づくと,愛想よく付き合うことにすぐに疲れを感じ始めた。しかし疲れようが合わせるほかにない。[ ... ] ところがその甲斐もむなしく,転校して数ヶ月でどうやら私はリーダーの機嫌を損ねてしまったらしい。あからさまにみんなの態度が変わり,無視されるようになった。[ ... ]
 まわりは,あぁやられてる,という顔でただ遠くから見ているだけだった。みんな先生の前では問題などないふりをするので,もちろん先生は気づかない。誰も助けてはくれない。6 クラスもあるのに誰も何も言わない。
 毎日隠される上履き。破かれる教科書,泣きたくなるような机の落書き,黒板に書かれた中傷。ロシアに帰れ。ブス。気持ち悪い。バカ。
 川村死ね。
 死んだ方がどんなに楽だったろう。
同書,pp. 26-7。

ま,誇張があるにせよ,よくある話である。異質な人間が日本で自分を保って生きて行くのは至難の技なのである。Кому на Японии жить хорошо?(誰にニッポンはすみよいか?)。千葉という中途半端な「田舎」だからこんなことになる? 「先生は気づかない」— いよいよよくある話である。「イジメがあったという認識はありません」と生徒がイジメを苦に自殺してしまった学校の記者会見はいつもこうですね。1983 年のソ連による大韓航空機撃墜事件のあとは,社会の授業中に教師にまで「この外道が!」と罵られた,とある。このように,集団主義的イジメは日本の「国民性」である。イジメているのに自分ではその感覚がない。この社会科教師も,ソ連の非道ぶりを許せないとの正義感を振りかざしているわけで,なんの罪悪感もないようだ。帰国子女は耐えるしかない。川村カオリは,その反動からか,その後万引きの常習犯になり,イキがって街を歩き,逆に弱いものイジメを始めるようになる。なんか彼女は学校環境ゆえに落ちて行く人間の典型だったようである。

そんななかでパンク・ロックに出会い,救われる。「わけのわからない服を着た彼ら [ 私註:セックスピストルズ ] は,ハーフである異端児の私と同じに見えた。でも胸張って堂々と自分のやりたいようにやっている強さを感じた。いじめられてもいいんだ。ケガしてもいいんだ。だって PUNK だもん。わけのわからない大義名分が私を守っていた」(p. 30)。

この自伝でもっとも感動的なのは,日本人とロシア人,イジメる側とイジメられる側,どちらにも属した「ハーフ」ならではの複眼的なものの見方である。イジメる側にしか立ったことのない者は何も変わらないが,両方の立場に立った者は「人としてあるまじき行為をした場合,それは一生,自分に付いてまわる傷になる」(p. 33)との深い認識に至ること,罪を自覚することができる。その間で引き裂かれた果てに「私は自分にふるさとが 2 つあることに感謝」(p. 223)できるということ。これこそが,あらゆる尊敬すべき日露関係知識人に共通する属性なんである。日本人がロシア人を憎んでいる激しい緊張感ゆえにこそ行き着くことのできるバランス感覚だと思う。彼女はソ連で成長した方が文化的にも人間的にもおそらくずっと幸福だったろうに,閉鎖的で他人の顔色を窺わないと生きて行かれない日本という劣悪国に帰って来てしまったばっかりに不幸になった。しかし,日本に来て日本人とロシア人の両方の血筋を見つめなければ「川村カオリ」は成らなかったに違いない。
 

 

P.S.

本書にさらりと書いてあってびっくりしたんだけど,川村カオリの両親の国際結婚の仲人は,なんと,杉原千畝だった。父の当時の上司だったそうである。杉原千畝は第二次大戦中のドイツ在住日本国大使館勤務のなかで日本国通過ビザを発行し 6,000 人以上のユダヤ人を救った。イスラエルの英雄になっている人物である。

日本人にも『シンドラーのリスト』のような偉人がいたのだと誇らしげに言う日本人が大勢いる。まったく,バカというか,偽善者というか,私は呆れてしまう。この行為は「日本人の優しさ」がなしたものでは決してなく,杉原個人のロシア正教徒としての魂(神の前に己の行動を問うことの出来る魂)が命じたところに依るものなのである。当時の新聞が杉原の行動を知ったとしたら,まず間違いなく同盟国ドイツへの反逆行為として彼を国賊・売国奴扱いしたはずで(なにせ日本は,大マスコミ毎日新聞が「百人切り」なんて恥ずかしい「武勇伝」を何の疑問もなしに新聞記事にしていた国なのだ),杉原千畝は,川村カオリ同様,日本的な集団的イジメに晒されたであろうことは想像に難くない。つまり,日本の国民性は杉原の行動についてこれっぱかしも与り知らぬところなのである。

日本は今年東日本大震災を経験し,被災地でもパニックが起きず略奪もなく,日本人は極めて冷静で己よりも共同体の和を尊ぶ,と世界から絶賛を浴びた。私もこれは確かに日本人の誇れる美徳であるとつくづく思ったものだった。本書を読んで,しかし,それは日本人が中で閉じているゆえの美徳であって,世界のボーダレスに晒されたとき同様の落ち着きと互助精神を発揮できるかと問うてみると,正直,心もとない。集団的弱者イジメを無意識にやる人間は,すぐに化けの皮が剥がれる(現に,東北大震災からの復興の大前提であるガレキ処理に対し,ほとんどの自治体は非協力的である。「助け合おう」なんて口先ばかりなのである)。

文化的にもニセモノだらけではないか。いきおい海外ないし過去に目を向けるしかない,てなもんや。川村カオリも「日本の音楽界もジャリタレばかり」と手厳しいことを書いていた。そう,いまの日本のメジャー文化はあらゆる面で「ジャリタレ」文化である。でも,マイナーな世界とはいえホンモノも必ずいる。川村はそれに救われたのである。