「ロト,ゾアルに至れる時日地の上に昇れり ヱホバ硫黃と火をヱホバの所より卽ち天よりソドムとゴモラに雨しめ 其邑と低地と其邑の居民および地に生ふるところの物を盡く滅ぼし給へり ロトの妻は後を囘顧みたれば鹽の柱となりぬ」。
『創世記』19 章 23−26,罪と頽廃の街・ソドムとゴモラが神の劫火に滅び,ただロトの家族のみが神の救済に与るくだりである。引用は日本聖書協会による文語訳からのものである(『舊新約聖書』日本聖書協会, 1991 年, p. 21)。クライシスとそこからの救済というモチーフ。震災ゆえか,なにか心に迫るところがあり,読み返してみた(もちろん震災被災地はソドムでもゴモラでもない)。
ロトの妻は,後ろを振返るなと天使から諭されていたにもかかわらず振返ってしまい「鹽の柱」と化す。これが恐ろしい象徴として胸を打つ。「後」とは過去のことを言うのだろうか。滅びて行くものに後ろ髪を引かれ,それゆえに己をも滅ぼす。私も振返って己を滅ぼすクチだと思う。それにしても,この後ろを振返ることで本意が遂げられないというモチーフは,オルフェウスとユーリディケーの逸話にもあって興味深い。
泉鏡花の怪異短編小説『黒壁』(明治二十七年)に「予も何となく後顧(うしろぐら)き心地して」という表現が出て来る。「後ろ暗い」が「後ろを顧みるような」と等価の関係で捉えられている。「後ろ暗い」とは「気掛かり,心配だ」のほかに「ふた心がある」という意味もある。つまり,心に覚悟がなく,信念に反する邪念があるの謂いである。神はロトの妻のそういう心の奥底を「振返るな」との命により試したのかも知れない。
『創世記』のこのくだりを教会スラヴ語訳聖書でも読んでみた。「鹽の柱」は «столпъ сланъ»「霜の柱」という訳になっている。拙作 OldSlav 教会スラヴ語 LaTeX パッケージ (See also OldSlav: An extension of SlavTeX for Old Church Slavonic typesetting) を使って,タイプセットしてみた。
LaTeX の原稿は以下のとおり。
% -*- coding: utf-8; -*-
% Ветхая Библия 19:23-26
\documentclass[b5paper]{article}
\usepackage[pdftex]{color}
\usepackage[T2A,T1]{fontenc}
\usepackage[russian,oldchurchslavonic]{babel}
\languageattribute{oldchurchslavonic}{utf8,slavdate}
\setlength{\textwidth}{11cm}
\DeclareFontFamily{LST}{cmr}{}%
\DeclareFontShape{LST}{cmr}{m}{n}{<-> s * [1.12] fslavrm}{}%
\definecolor{bibc}{rgb}{0.40,0.44,0,20}%
\begin{document}
\color{bibc}
\Large
С'олнце вз'ыде над\ъ з'емлю,
л'ѡтъ же вн'иде въ си\-г'ѡръ.
\И г|сдь <ѡдожд`и на сод'омъ \и
гом'орръ ж'упелъ, \и "ѻгнь ѿ г|сда
съ небес`е.
\И преврат`и гр'ады сї^ѧ, \и вс`ю
<ѡкр'естную стран`у, \и вс'ѧ жив'ущыѧ
во град'ѣхъ, \и вс^ѧ прозѧб^ающаѧ
ѿ земл`и.
\И <ѡзр'ѣсѧ жен`а єг`ѡ всп'ѧть,
\и б'ысть ст'олпъ сл'анъ.
\vspace{.4em}
\hfill БЫТЇ`Е ГЛАВ`А \slnum(19).:
\slnum(23).{\selectlanguage{russian}--}\slnum(26).
\end{document}
教会スラヴ語訳聖書の該当部分は以下。節番号ごとにパラグラフになっており,必要に応じて引照(クロスリファレンス)が付加されている。
教会スラヴ語訳の旧・新約はめったに出回らないので,2005 年にロシア聖書協会から出た,この引照付き教会スラヴ語旧約・新約聖書 1900 年リプリント版を古書で見付けたときは,掘り出した気分になったものである。Библія, сирѣчь книги Священнаго Писанія Ветхаго и Новаго Завѣта на церковнославянскомъ языкѣ съ параллельными мѣстами, СПб.: Сѷнодальнаѧ Тѷпографїѧ, 1900.
震災の影響で国産煙草が品薄になっている。一週間ほど前,会社からの帰途にある煙草屋に寄るも,どこもハイライトが品切れだった。帰宅して,近所を探しまわったがやはり品切れ。しようがなく昔住んでいた平間の煙草屋に行ってみるとかろうじて自販機に残があり,店のオヤジにタスポを借りて4箱手に入れた。それ以後,もう入手できない。ま,煙草なんて生活必需品ではないのだから,どうでもいいことではある。
まったく関係ありませんが,麻雀ゲームで清老頭を上がってしまいました。