CNN 尖閣ビデオ破棄,三島自決 40 年

CNN,SDカード配達認める…『廃棄した』』(讀賣配信),『CNNに無視され尖閣ビデオ『ユーチューブ』に投稿』(スポーツ報知配信)をみた。匿名男がズルしてアップした尖閣諸島沖中国漁船衝突の暴露動画について,私はこれを「国辱」だとさえ思っている。sengoku38 は日本代表たる政府を世界の笑者にしたという意味で,心情右翼である私からすれば「国賊」である。彼を英雄視しているバカ(多分,普通の会社員ではないんだろう)が多いけれども,海保をクビになった彼を雇おうとする企業はないはずである。何故なら,まともな組織人ならば「裏切り者」だとわかっている人物を信用しないからである。

「声明や広報担当の説明によると,SDカードが入った封筒には差出人名が書かれておらず,データの内容も明記されていなかった。このため,同社は安全性が明確でないと判断し,データを読み込まずに廃棄したという」(讀賣)。sengoku38 さん,やっぱりここでもご丁寧に,差出人も何も書かずに CNN に映像データを送りつけたんですね,海保をクビになるのを怖れて。この差出人不明のいかがわしいビデオの取扱いについて,CNN のような態度こそが「健全なる社会」のご意見番としてのマスコミに相応しいのである。匿名野郎は門前払いに限る。組織への裏切りに基づくズル行為は,たとえニュース・バリューが高かろうと低かろうと相手にしない,という立ち位置を象徴している。「警備上の指針に従って廃棄した」という理由はズルを認めないという一貫した姿勢なのである。この記事を読んで,「不正」に対する感覚では,やはり米国が日本より一枚も二枚も上を行く「先進国」であることを私は痛感した。

CNN の行動様式は,「勇気ある行動」などと囃し立てるどこかの国の「民度の高い」報道とは天地の懸隔がある。これに対して,この sengoku38 のおかげでわが日本政府が世界への恥晒しになっていることがわからない日本人が多過ぎるように思う。スポーツ報知(三流新聞社だから致し方ないんだけど)の記事なぞは「放送に使用していれば大スクープ映像となったことは間違いない。[ ... ] 映像が放映されていれば,世界的に波紋を広げたことは間違いなさそうだ」なんて書いている。こういう勘違いを堂々と書くのが日本のマスコミなんである。海外のメディア界の人たち(良識ある大人)は,だいたい想像がついたこの映像が匿名ズル男に晒されたこと自体に対してはただ失笑するだけで,一方「大スクープ」になるというスポーツ報知の判断にはただ呆れるだけだろう。マッカーサーは日本人を「12 歳の子供」と評したらしい。その通りである。
 

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今日の朝日新聞夕刊社会面に「三島さんを恨んではいなかった」という記事が載っていた。三島由紀夫が陸自市ヶ谷駐屯地で割腹自殺してから,今日 11 月 25 日で 40 年。ということで,そのとき人質になった総監の長男が胸中を語ったというものである。「恨んではいなかった」というのは人質にされた上,この事件の責任を問われた(駐屯地でこんな事件が起こるなんざ軍隊としては恥晒しともいえるわけで,この総監がクビになったのは当然)ことに由来する。

三島由紀夫はなによりも我が日本文学史上の輝ける才能である。私は高校生のころ『仮面の告白』,『金閣寺』を読んで一時は三島の虜になってしまった(『憂国』において,自決を決意した夫婦の前夜のセックス描写を読んだ妻は,「謙虚な腹」という表現などに,失笑すべきエロティシズムの印象しか覚えなかったらしい。どうも妻と私とは文学の趣味が合いませんが,この意見はもっともなところがあります。三島の美学には,少し斜めから見ると笑いを催すものがある)。いまも戦後の日本文学者の名を挙げようとすれば,谷崎,川端,三島,開高,大江,安部,... と真っ先に出て来る作家である(こう考えるにつけても,1930 年代よりあとに生まれた世代のだらしなさといったらない)。しかし一方で,この割腹自殺事件など,彼のプライベートというか政治信条には,ただの「世間知らずのお坊ちゃん」的独善に囚われた人物像しか思い描くことができない。彼の文学的成果とはなんの関係もない事故としか思われない。

この割腹自殺ゆえ右翼にとって三島は神になった。私はただ鼻で嗤うだけである。自決を前にぶった三島の演説に,「なにワケのわからんことを言ってるんだ」と笑いながらヤジを飛ばす自衛官がいたのを,私はニュース映像で知っている。これこそ地を這う生活を強いられた社会人のものの見方というものである。当時,三島の「盾の会」を皮肉に茶化したオカモト・コンドームの CM があった。三島由紀夫の『楯の会』と同じ軍服を着た男たちが叫ぶ:「立て,立て,立て,立て,タテの会。使用感などさらになし」—「使用感などさらになし」というのは,『盾の会』の主張する「使命感」云々をアイロニカルにこきおろしていて大笑いなんである。頷ける。こういうふざけた CM が成り立った時代の日本という国は,清潔感が偉そうにしているだけのいまの国情とはまったく異なり,凄かった(壮絶な下品も横行していたわけだが)。

朝日の記事は次のように結ばれていた:「最近の官房長官の『暴力装置発言』には絶句したが,『軍事集団が大手を振って歩く時代』は来てほしくないと願う」。『軍事集団が大手を振って歩く時代』を率先して囃し立てたのはどこの誰か,この記者は知っているのやら,知らんぷりを決め込んでいるのやら。ま,こんなことは三島とは関係ない。それにしても,三島由紀夫の文学遺産はやっぱり私の心の中に生きているんである。