湯島聖堂ニ游ブ

今日,東京都文京区の湯島で,某省庁のマイナンバーシステムのデザインレビューがあり,久しぶりにJR中央線・御茶ノ水駅に降り立った。うちの会社の本社ビルは,以前はここ御茶ノ水の聖橋のたもとにそそり立っていたのだが,リーマンショック後の不況の煽りで,数千億の赤字を出し,その清算の一環として売却されてしまった。その後取り壊されていまでは新しい高層ビルが建っていた。でも,そこからわが社は文字通りV字回復を果たした。俺たちは,結果的に中国系企業に買い叩かれているシャープとは,— 経営トップの哀れな自己保身ゆえに最悪の道筋を辿っている関西企業とは,— 違うのだ。と,ま,俺の実力とは何の関係もないことをついつい考えてしまった。

二十分ほど時間的余裕をもって事務所を出たこともあり,聖橋を渡ったところで,湯島聖堂をちょっと散歩することに。湯島聖堂は徳川五代綱吉の家塾に始まり,その後,名高い昌平坂学問所としてわが国の高等教育の魁となった施設である。付近には東京大学,東京医科歯科大学があり,カルチェラタンの雰囲気の横溢した一郭にある歴史的建造物に相応しい。来歴はかくのごとくあくまで学問所であったにもかかわらず,いまでは学問成就の願かけをなすお社のような信仰を集めていて,訪れる人々によってたくさんの絵馬が奉納されている。

敷地内には大紫羅欄花(おおあらせいとう)— 中国名は諸葛菜 — の薄紫の群生がいたるところに広がり,晩春の午下がりの時が静かに流れていた。観光客がほとんどおらず,ちょっと東京の繁華喧噪の陥穽に入り込んだかのような,長閑な気分だった。

20160419-yushima-sanpo.png

会議は弊社顧客省庁担当プロジェクトのプロジェクトルームで開催されたわけだが,それは,本郷通りに面した,築五十年くらいかと思しき古くて狭くて汚らしい雑居ビルにあった。コンピュータシステム開発というよりはむしろ,トイチの町金融業に向いたたたずまいだった。エレベーターは,三人も乗るときちきちでお互い照れてしまうくらいに狭い,三菱の古色蒼然とした古いロゴの付いた年代物であった。よくもまあ,よりによってこんなところをみつけたもんだとヘンに感心してしまった。湯島,本郷というと,新しい建築物の裏手に大正風情のいわゆる看板建築も数多く残っていて,これはモダン都市・東京の面白い特色でもある。

会議のあと,帰社する前に,蔵前橋通り沿いのおりがみ会館,駿河台にあるニコライ堂に寄り道した。帰宅して万歩計を確かめたら,10,780 歩,歩行距離約 7.8km であった。けっこう歩いたものである。

 
    湯島聖堂ニ游ブ, Apr. 20, 2016.
 
  暮春晡下聖堂陰  暮春ボシユンノ 晡下ホカ 聖堂セイダウノ カゲ
  諸葛紫叢周暢林  諸葛シヨカツノ 紫叢シソウ アマネク リンニ 
  老學難成猶惑命  老イテ ガクガタク ホ メイニ マド
  有閑良日是惺心  カンレバ 良日リヨウジツ レ シヅカナルココロ
 
 
 暮春の夕方 聖堂の日陰
 諸葛菜の紫の叢が 暢び暢びと林に広がっている
 老いて 学は成りがたく いまだに天命に惑う
 でも 閑有れば よき日 それは 澄んで静かな心
 
(1) 詩格: 七言絶句平起式平韻正格
(2) 韻字: 陰・林・心(韻目: 下平聲十二侵)
(3) 平仄スキーマ:
 
* * *

道道無常道,天天小有天(絶対不変の道,真理などというものはない,でも,毎日ささやかな別天地というものはある — 開高健『珠玉』より)。日日是好日。一歩一歩来。學成リ難ク猶ホ命ニ惑フ。学んだような学ばなかったような。四十にして惑い,五十にしてなお天命を知らず。湯島聖堂の孔子様のようには参りません。

例によって,LaTeX で組版。拙作漢詩集『狂溟集』(文集版漢詩のみ版)にも収録した。組版結果とその原稿を掲載しておく。

20160420-yushima-kansi.png
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% 狂溟集 - 湯島聖堂ニ游ブ
% 2016(c) isao yasuda, All Rights Reserved.
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% 作詩年月日
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\vspace{2zw}
% 現代語訳
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暮春の夕方 聖堂の日陰\\
諸葛菜の紫の叢が 暢び暢びと林に広がっている\\
老いて 学は成りがたく いまだに天命に惑う\\
でも 閑有れば よき日 それは 澄んで静かな心
\end{quote}
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\end{document}