大阪帰省

父の体調が優れないというので,この土日ちょっと様子を見に帰省した。大阪・河内の松原というところである。しばらくぶりで大阪駅で環状線に乗り継ぐ際,大阪駅の大規模構造改修に感動した。コンコースでディズニー・オン・アイス『アナと雪の女王』のデジタルサイネージに見入る。俺はこれまで『雪の女王のアナ』だと勘違いしていた。

電話の母によれば,老齢で骨が曲がったことが原因で背中の神経が圧迫され,首やら腕やら手の甲やらが痛い。おまけに「唇がサザエさんに出て来よるオッチャンみたいにえっらい腫れてたいへんやねん」とのことだった。行ってみると,医師からもらった抗生物質のおかげで唇の腫れはすでに引いていた。体の痛みのほうは,医師からは寄る年波でもうしようがないというようなことを言われているらしい。通風と同じような日常的苦痛かと察するに,不憫である。耳もほとんど聞こえない。大声で怒鳴るように伝えるとようやく合点が行くような体である。

それでも,テレビでプロ野球の巨人・阪神戦を観ながら,「鳥谷,なにやっとんねん! いまの阪神,たよりになるんは福留くらいや」とか,なんとか,ひっきりなしに,元気にぼやいているところは相変わらずで,少し安心した。「医者いうのんはな,ほんま信用でけん。金使わそう使わそうとしか思とらん」。父はどうも水戸黄門に出て来るような悪代官と悪徳商人の悪巧みというような「固定観念」的ストーリーに支配されているようで,医者や警察や政治家が大嫌いである。「医者の言うこと聴かへんと直るもんも直らへんで!」と俺は怒鳴りまくる(怒鳴らないと聞こえないからだが)。ま,永い生活の過程で形作られた老人の世界観については,いまさらどうこう言ってもはじまらない。生きているうちに,父を川崎に招待して,ストリップにでも連れて行ってやるかと思う。

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今回の帰省で,松原の地元や,叔母の住む東大阪市・花園を訪れたわけだが,町の寂れようが酷い。曲がりなりにも大阪市周辺のベッドタウンであるにもかかわらず,叔母の言うには,じいさん,ばあさんばかりで,近所の店も軒並み店じまいしてしまっているという。大阪の景気はここのところダメダメとの話も聞いている。確かに,大阪の町並みの典型は降りたシャッターである。今回初めて話題のアベノ・ハルカスを見上げたのにつけても,こんな摩天楼を造っている余裕がよくもあるものだという気がした。ま,カネはあるところにはあるっ,てなもんや。

阿倍野橋から近鉄南大阪線で河内松原まで行く車中,あべのアポロシネマ(俺も中学生くらいからよく行った,昔からある阿倍野の映画館。新世界,飛田新地などの色町も近所にある,中学・高校生にしてみればちょっと危ない — いま現在はどうか知らんが — エリアにある)の,昔懐かしい吊り広告が出ていて,むちゃくちゃ驚いた。映画が決定的に衰退したこの嘆かわしい時代,現金な東京の映画館が電車に吊り広告を出すなんて想像もつかない。ここ大阪では,出し物一覧という文字だけの素っ気ない,昔ながらの映画館の広告がいまだに健在であることに,大阪人の,なんというか,一種独特のアナクロニズムを目の当たりにした気分になり,いたく感心してしまった。

俺が帰省して親父のボヤキを聞いている間,妻は出版社の付き合いで岐阜に出張していた。俳句結社の会合だったそうだが,長良川の鵜飼を見せてもらい,名古屋に寄って古川爲三郎記念館のシックな日本庭園の茶室でお茶をいただき,と優雅な二日間だったらしい。夫婦そろって不在だったので娘が猫の世話をした。

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