さとう好明『アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法』

前に,さとう好明の『アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話』を取り上げた。今日はその文法編。本書は普及版に類する語学書だと思われるのに,正直,私はその質の高さに驚いた。会話編よりも内容は深く濃い。

屈折語に分類されるロシア語は,その名詞,代名詞,形容詞の性(男性・女性・中性)・数(単数・複数)に応じた格変化(主格,生格,与格,対格,造格,前置格),動詞の人称変化,時制変化が多様な言語である。まずこれにぶちあたって,初学者はうんざりする(ロシア人にとって神聖なる教会スラヴ語に至っては,格変化においてさらに所格,呼格があり,数も「単数」・「複数」のほかに,二つ・二人の場合の「両数」がある。ギリシア語,サンスクリット語と同じように,古典語ほど精密になるわけだ)。現実では辞書の見出しである単数主格形,不定形で現われることはまれなので,この変化を覚えなければ,辞書を引くことさえできないのだ。ヤー・ミニャー・ムニェー・ミニャー・ムノイ・ムニェ,ガヴァリュー・ガヴァリシ・ガヴァリット・ガヴァリーム・ガヴァリーチェ・ガヴァリャート,と何度も何度も唱える一方で,辞書を壁に投げつけることになる。また,数の概念に驚く。1 は可算名詞の単数主格と結合するのはよいが,2,3,4 では単数生格,5 以上で複数生格と結合する,2,3,4 の場合でも斜格では複数形を支配する,数詞に付く形容詞は 2,3,4 の場合でも複数生格で,女性名詞では複数主格が普通,となるとそのキテレツさにびっくりして,とてもこの言語の習得はできないと溜息をつく。英国の諜報機関 MI6 は,ソヴィエトで活動するエージェントにロシア語を習得させる際,この数量表現を徹底的に叩き込んでボロが出ないようにしたという。

しかし,じつはこれらは少し慣れれば大きな壁ではなくなる。というか,ロシア語にはさらなる大きな壁がある。ロシア語の本当の難しさは,思うに,完了体/不完了体,定動詞/不定動詞という動詞の用法の理解にある。ロシア語には,例えば「話す」には сказать(完了体)— говорить(不完了体),「歩いて行く」には идти(定動詞: ある方向・目的に向かって行く)— ходить(不定動詞: あちこち歩き回る)の対があり(日本語の古典語にも,同じような用法として,「あゆむ」と「ありく」というのがある),その使い分けを誤ると通じないのである。「死ぬ」という意味の動詞 умереть(完了体)-- умирать(不完了体)がある。Он умирал(不完了体過去形)は「彼は死んだ」ではなく「彼は瀕死の状態だった(死ぬ過程にあった)」なのである(「彼は死んだ」なら Он умер と完了体でなければならない。英語の He was dead と He was dying との違いがある)。「行く」: 定動詞 идти,不定動詞 ходить についても,Он шел в школу は「彼は学校に行く途中だった(шел は идти の男性三人称単数過去形)」,Он ходил в школу は「彼は学校に行って帰って来た(ходил は ходить の男性三人称単数過去形)」であって,示す意味がまったく変わって来る。これを単に「彼は学校に行った」と訳してしまうと日本語としてレアリアがまったく通じないわけである。

ロシア語の文法書には『体の用法』という完了体/不完了体を詳説したものまであり,ロシア語専攻女子大生の本棚に並んでいたりすると,事情を知らない者は顔を赤らめかねないのだ。本書はまさにこうした動詞の使い分けにフォーカスしている。この点が実践的にロシア語を追究してきた著者らしい戦略だといえる。

大学で第二外国語としてロシア語を選択した文学畑の学生は,まず文学書,学術書を「読む」ためにロシア語を習得しようとしたのではないだろうか。薄い教科書を一通りさらうと,いきなり原書に立ち向かわせられる。とにかく辞書を引き引き,プーシキンやドストエフスキイの原文をできるだけたくさん読む。そのようにして「読む」のはそれなりのスピードが付いてくる一方,日常会話などが疎かになり,生活においてごくごく当たり前の表現をも「考えすぎて」しまうことが起こる。また,とにかく新しい作品,論文を読むことに専心するあまり,文法については,文章のキモになる部分の文法的根拠を Виноградов の文法書の該当部分で確認する程度である。こうしてロシア語文法を体系的に整理する機会を逸してしまう。私の場合はそうだった。

本書で個人的に面白かった記述をあげる ... 運動の不完了体動詞には приходить など過程(進行形)を示すことができないものがある。定動詞の否定は不定動詞を使う。想定外・新規の事柄に関る動作は完了体が基本。命令も新しい事柄の動作は完了体が基本だが,状況から動作が明らかな場合は不完了体を用いる(「入ってよいか Можно ли войти?」は完了体で問い合わせるが,それへの答えは動作がお互いわかっているので不完了体で「入れ Входи!」とする)。— などなど。本書の詳細な解説を読んで,動詞の使い分けについて膝を打つような思いを何度もした。動詞以外についても,数量生格の説明で「выпить водки ウォトカを飲む」において「водка ウォトカ」を数量生格 водки とすべきところで対格 водку にしてしまうと,世の中すべてのウォトカを飲むニュアンスを帯びる,といったような説明は出色である。「小遣いをせびる спросить деньги」では「金 деньги」が複数対格なので一定額が取り決められているニュアンスがあると教えられる(漠然と金を所望するなら生格 денег とする)。外国語はたくさん読み・書き・聞き・話すだけでなく,文法知識を自分のなかで整理しなければいけないのだと改めて思い知らされた。また,文法を知ると,ロシア語は(どの言語でもそうなのだろうが)よくできた言語なのだと改めて感心させられるわけである。

本書はロシア語の鬼門ともいえる動詞に焦点を当てていることもあり,総合的なロシア語文法の解説書とすることはできない。しかし,総合的文法書を別に一冊読むことを前提とした上で,実践的文法書として本書は必携の書である。アネクドートというロシア人の国民性の宝庫をテキストとしているところも,ただの語学書にはない大きな長所である。ここまで細やかな解説に感心したいま,ロシア語の語順など日本人にとって難しい統辞論をも取り扱った総合的参考書を,さとうに是非書いて欲しいと期待してしまう。

本書には欠点がないわけでない。第一は,アクセント位置など,あまりに誤植が多いことである(会話編ではアクセント印刷がなく,初学者には不親切な本だと少し不満だった)。次の増刷で訂正されることを望む。辞書できちんと単語を確かめつつ精読することをお勧めする。第二に,文法に関する本なのだから,インデックスをきちんと作るべきである。内容が素晴らしいだけに,本作りにおいて雑なところが残念である。