さとう好明『アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話』

さとう好明の『アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話』は,ロシアン・ジョークを楽しみながらロシア語会話を学ぶことができる学習書である。さとうには申しわけないが,私は露和対訳ジョーク本として楽しませてもらった。

著者は,長らく商社に勤務し,その現場の経験を踏まえた,活きたロシア語を教えてくれる。通常大学の先生によって書かれるこの種の本にない,現場指向の解説が出色である。トピックにふさわしいジョークだけでなく,ロシア人の生活を交え,ロシア語会話文を肉づけている。例えば,日本人は自分の名前を相手に伝えるとき,「三好と言います,ミは数字の三,ヨシは大好きの好です」などと漢字をインプットして名前を伝えようとするように,ロシア人も人名や地名が聞き取りにくいとき,「ソ連電話託送表」という一定の符牒を用いるそうである。それはロシア人なら聞き間違いようのない人名でアルファベットを明確化する習慣である。「Сато [サトー](ここでひと呼吸おく); Светлана [スヴェトラーナ], Антон [アントン], Тимофей [チモフェイ], Ольга [オリガ] と続け,最後にもう一度 Сато と言うのがよい」([ ] 内は私の付記, p. 25)。さとうは,引き続き,この習慣から生まれる次のようなジョークを掲載してくれる:

Сара вышла на балкон помахать мужу, уходящему на работу. Тот кричит:
- Сара! Иди, спи с богом!
- Не слышу, Абрам!
- Иди, спи с богом!
- С кем, с кем? Не слышу!
- Говорю по буквам: с Борисом, Олегом, Гошей, Олегом, Мойшей
- Абрам, с Гошей и с Мойшей я уже спала. А кто такие Олег и Борис? И почему с Олегом два раза? Он твой начальник?

サラがバルコニーに出て,出勤する亭主に手を振ります。亭主,大声で,
「サラ,ベートーベンでもかけて寝なさい」
「聞こえないわ。アブラーム」
「ベートーベンでもかけて寝なって言ったんだよ」
「誰と,寝なさいですって? 聞こえないのよ」
「あのなあ,ボリース,エヴゲーニイ,チモフェイ,オレーク,ヴィクトル,エヴゲーニイ,ニコライだよ」
「ボリース,チモフェイとはもう寝たわ。オレーク,ヴィクトルって誰なの? どうしてエヴゲーニイとは2回なの? 上役なの?」
さとう好明『アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話』東洋書店, 2005, p. 26.

さとうは原典の「神 бог」を「ベートーベン Бетовен」に読み替えてジョークらしくした(「спать с богом」はロシア語で「神のご加護があるように寝る」の意味だが,「神と寝る」という日本語直訳ではジョークにならないからだ。「ベートーベンと寝る」を「ベートーベンでもかけて寝る」と意訳しないわけにはゆかず,これもジョークとしてちょっとわざとらしさがあるのだが)。このジョークは,ユダヤ人をバカにするようなネタが少し目立つ(上記の例にあるサラ,アブラームもユダヤ風の名前だ)。でもそれはロシア人の感覚を反映しているに過ぎないので,さとうの個人的偏見と受け取らないでほしい。それにしても,здравствуйте(こんにちは)を здгавствуйте と表記することでユダヤ人を記号化するとか(R の巻舌ができず喉にからんでしまう滑稽さを G で示しているのである。フランス語の奥まった R をきちんと発音できない日本人もフランス人から同じようなからかいを受けているのではないかと私は思う。私も日本人の常として R と L の区別がダメで,「плюрализм〔plyuralizm: 複数政党主義,多元論〕」などの発音で舌がこんがらがってしまう。右〔R〕も左〔L〕もわからないというわけだ),外国人の稚拙なロシア語を表現するのに,я(「私は」: 一人称単数主格)の代わりに моя(「私の」: 物主代名詞単数女性形主格)を用い,動詞を常に三人称単数現在形とするとか(日本語に照らせば,「ちゅーごくじん,みな,りょーりとくいあるよ」みたいなスタイルと思ってよい),こんな知識をお行儀の良い他の語学教科書ならば,絶対に教えてくれないはずである。

「知っていなくてはならないが絶対使ってはいけない」としてよく使われる罵倒語・卑語をいくつもあげている。「ホーイとかヒロというのは男性性器をイメージするらしく,日本のコーラスグループがモスクワ公演で『おサルのかごや』を歌ったときに,ホーイ,ホーイという掛声で大爆笑になったというのは有名な話」(p. 27-8)というような,大事な大事な注意事項も書き忘れない(「ホーイ」はロシア語でペニスを意味する「フーイ」に酷似しているのである。ちなみに女陰は「ピズダー」。Пушкин プーシキンは反動的御用出版社のことを「пиздательство ピズダーチェリストヴォ」と罵倒したそうである。「出版社」はロシア語では「издательство イズダーチェリストヴォ」)。こんな半畳は,大学でも,先生と呑みに行ったときにしか仕入れることの出来ない語学の間道なのだが,それを知らずに現地で口走ってしまうと大恥をかいてしまいかねないような,貴重な知識なのである。

こんな話はロシア語にはゴマンとある。昔,ユーリ・海老原というロシア人ボクサーがいたが,ロシア語を知る者からするとこの名はさしずめ「貞夫・マンコフスキイ」とでもいうようなニュアンスがあるのだ(ユーリイはごく普通の名前なので「貞夫」には何の意図もありません)。「エビ」には Fuck の意味があり,「エビハラ」なんて「エビ・ハラショー」なわけで,ロシア人には大受けなんである。エビちゃんは,いかに日本のアイドルとはいえ,絶対にロシアに行ってはいけないのだ(ユリ・マンコフスカヤになっちまうぞ。もちろん冗談である。でも,エビちゃんのファンはこっそり忠告してあげてよいゾ)。逆の話もある。日本大使館はかつて館舎の移転に際しロシア政府からモスクワ・クレムリンにほど近い超一等地を紹介されたが,丁重にお断りした。なぜならその地名がヤキマンコだったからである。20年ほど前,オリンピック陸上で活躍したロシア人選手を NHK の実況アナウンサーは彼の姓ではなく「サーシャ」と愛称で呼んで中継していた。その選手の本当の名がマンコヴィッチだったからである(映像のキャプションには Alexander Mankovich がしっかりと出ていたのだが)。いけない。調子に乗ってお下品が過ぎました。

本書は,現実の会話は語学書に掲載されているような理想的な形式で進むことはない,という認識のもとに「トラブる例」を併載しているところも面白い。当然ながらネイティブスピーカーによる実践編スキットの録音 CD を添付している。

語学の勉強は一冊二冊の参考書をマスターしただけでは,とても自分のものにできたという感覚をもつことはない。だからたくさん読むことになるわけで,ならば本書もその一冊に加えることを是非お勧めする。ロシア語の基本を終えたくらいの学習者なら,大爆笑しながらロシア語会話を磨けること請け合いである。こういう語学書が出てくるのもロシア語の痛快なところである。外国語を学ぶというのはその国民性を学ぶこと,という姿勢に著者が徹しているからこそこういう本を書くことが出来るのだろう。