田母神氏の論文『日本は侵略国家であったのか』をめぐって,サラリーマンとして実はどうでもよい問題について好き勝手なひとりごとを書いてしまった。私は自身の仕事をどうすべきかに勤しむがよい。しかしその後,この問題についてネットの情報を閲覧したりして,私が選挙で投票したわけでもない田母神氏という軍人の政治的論文とその影響について思えば思うほど,不愉快になってくるのだった。子供が大人になる数年後すらとても心配になってくるのである。それで,サラリーマンとして実はどうでもよい問題についてさらに好き勝手なひとりごとを書いてしまい,あんまり長くなったものだから,記事を分けることにした。
「先の十五年戦争は侵略戦争などではなく八紘一宇の正義の戦争だった。これが歴史的誤謬であったなどとするのは自虐にほかならず,戦争に命を捧げた兵士に対して失礼極まる。いまの日本は平和憲法ゆえに軍事的脅威に目をつぶっている」などという主張を政治家が宣うのを見ても,私はなんとも思わない。「世界は日本を中心に回っているわけでないのに頭悪っ!」というほかは。別によいではないか。それが国民に支持されるかどうかである。
ところが今回,現にいま自衛隊を指揮すべき立場にある者がこんなセンチメンタルな「歴史問題」にかかずらっていままさに目の前にある己の職務 — 遵法精神に基づく国際軍事戦略の追究 — から逸脱した発言を行い,己の飼い主 (選挙で選ばれた防衛大臣) に噛み付くような真似をして,なおかつ「憂国の士」を気取っている。私はこれを目の当たりにして,幕僚長がこんな身の程知らずで暢気なんじゃ米国に見放されたら日本の安全保障も確かに終わりだワナと愕然としたのである。つまり,またぞろ二・二六事件を主導したような頭の悪い (戦術というものを考えないという意味で) 政治的軍人に国を仕切られ,同じ轍を歩むのかと想像すると身の毛がよだつ。私はよっぽどこのことで憂国の情にかられる。
しかし,最近の若い日本人は — ネットでの発言を見るにつけ —,中国や北朝鮮に対するマスコミのプロパガンダに踊らされ,それで煽られた反感から逆ギレ的に,そうしたアジアの国々に進出した先の大戦に対して肯定的な見方をするひとが多いように思う。その現われとして,この論文問題についても田母神氏に同情的であることがあげられる (例えば『Yahoo! 意識調査 — 航空幕僚長の論文発表は問題あり?』を参照)。
小泉さんの靖國問題で火が点いて以来,米国の飼い犬だった安倍元首相が「美しい日本」などと堂々と宣言してくれたおかげで,レベルの低い「強がり」・「逆ギレ」ナショナリズムが浸透してしまったように私は思う。「美しい日本」構想のなかで,安倍さんは「隣国である中国,韓国,北朝鮮,ロシアに,日本として言うべきことはきちんと言う」などと宣言し,あたかも主体性を尊ぶかのような「強い」日本のイメージを掻き立てた。ところがいまひとつの「隣国」であるはずの米国は「言いたいことを言う」リストに入っていないのはなぜ? 米国には無条件に従います?
米国は最近の日本のこうした愚かな「対外的 — ただし米国除く — 強がり」ナショナリズムを大歓迎している。靖國参拝問題は東京裁判の歴史的評価と直接結びつき,米国をも苛立たせずにはおかないにもかかわらず,これで騒いでいる国は中国と韓国・北朝鮮だけで,米国は沈黙を守っている。そのほうが米国の国益に適うからである。なぜなら中東で絶体絶命にあるいま,米国は日本国民のナショナリズムを焚き付け,自主防衛意識を高め,防衛力を強化させ,「六カ国協議主催者中国さん,よろしく!」とばかりにアジアの安全保障から身を引きたいからである。北朝鮮に対して譲歩路線を敷くのもその現われだと思う。核兵器さえ放棄してくれれば,拉致問題など米国の国益にとってはどうでもよい。それで日本人が怒りに駆られて,軍備増強のため米国から高価な兵器を買ってくれるならなおのことありがたい。
安倍元首相の哀れなのは,そういう米国の意図にまんまと乗せられながら,中国・ロシア・北朝鮮に対する主体性を唆して強がる — また,マスコミを使って反中・反露・反韓を煽る — 一方で,日米同盟万歳を叫び,米国にとって疎ましい,未練がましい元カノの役回りを演じ続けたところである。だから訪米時にブッシュから冷たくあしらわれ,米国下院からは従軍慰安婦対日非難決議で — 首相ともあろう者自らが,「記録がない」などと当事者の記憶をまったく無視した,常識的に受入れられない底の浅い舌足らずな反論をしたものだから,第三者をも敵に回し — からかわれ,ついに放心状態でリセット辞任の醜態を晒す結果となってしまったのである。
日本人は安倍晋三化していないか? 自分のことを美しいと慎みもなく公言する (「日本人は慎み深い」と言っているだけに,なおさら笑ってしまう),他人の苦痛に対する想像力の欠如した,周りをよく観察しない強がり。なのにつれなくする強者にしがみつき,進んで隷属しようとしている。「日本人」たる前に「人間」としていかがなものか。私はよっぽどこのことで憂国の情にかられる。