航空幕僚長の論文問題

防衛省制服組のトップである航空幕僚長・田母神俊雄氏が「わが国の侵略国家は濡れ衣」という主旨の論文を個人的に発表して,更迭された。どうして「個人的な」意見を発表してその責めを負わなければならないのか。別によいではないか。この論文問題をめぐって「列強による帝国主義的侵略の弱肉強食の時代に日本の行った行為が悪だったか,そうでなかったか」という古典的な議論が白熱しているようである。私にはどちらでも,どうでもよい。田母神氏の信念がどのようなものであれ,個人的なことである。彼は「憂国の士」なんだと思う。問題はもっと別のところにあると私は思う。

私も田母神氏の論文『日本は侵略国家であったのか』を読んでみた。「俺たちは共産主義による謀略に陥れられたんだ」という負け犬の遠吠え,昔から言われていることの繰り返し,というのが私の正直な感想である (タイトルの「〜であったのか」から想像される結論「〜でない」からして,なにか建設的論証があるとは思われませんでしたが)。これは「論文」などと銘打っているが,自ら一次資料を収集しこれを批判し自分が立てた説を論証するという姿勢がまったくなく,渡部昇一や櫻井よしこなどの,とても「文献」なり「研究」なり「学術論文」とは呼べないただの煽動本の,しかも単なる受け売りでしかなかった。それなら渡部昇一と櫻井よしこを支持するとだけコメントしてくれればよいのだ。なのにどの『文藝春秋』を開いても出て来そうな古くさいセンチメンタルなナショナリズムを,航空幕僚長という肩書きを付して,堂々たる論文として提示してくれるわけである。だから本論文はとても「真実」などではなく,ただの「右よりの主観的主張」としてしか受け取られない。「論文」としてはただのXXである (ひとのこと言えんの?)。だからといって,更迭されるのは田母神氏には可哀相である。論文という「公的な形式」で「個人的な愚痴」を世に問うたという二枚舌が,世のXXXとなることはあっても。いや,税金で得た肩書きで,XXでしかないこの「論文」を飾り立てたことが,それで懸賞金まで受け取ったことがまずかったのか?

この論文の問題は,しかしながら,このように論文の態をなしていないということにあるのではない。田母神氏は防衛省制服組のトップの立場にある。このような,「あの戦争は侵略だったかどうか」という国家の政策の動機的問題について自己正当化する職務にはない。なのにそれをやっている。自分の仲間内だけで信念としてしゃべっておればよかったのに。ここに本論文の危険性がある。これが私の嫌悪感の源である。軍服を着るトップならば戦術を研究すべきであって,政治的判断をなすべきではない。ガチンコでは負けることがわかっていた米国に対し日本軍はどういう戦術で臨むべきであったのか,究極には,どうすれば戦わずして勝てたのか,そういう戦術について冷静に論ずべき立場に彼はある。あなたは政治家ではない,軍人なのである。国家が正しいかどうかを公的に主張する立場にない。国家の命ずるミッションを受けて「うまく戦って勝つ」ことが職務である。

「どうしてあいつも,こいつもやっていたことを俺がやって悪いんだ? 同じようにやらないと俺もやられていたかも知れないんだ! 最初は仲良くやろうとしてたんだよ! それでヤツが得したところもあるんだよ! なのになんで俺だけが責められるんだよ!」というのが田母神論文の骨子である。こういう認識が危険だと思われるのは,不良少年集団に属する者の,暴力行為に対する哀れな自己正当化衝動に近いからである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」日本人丸出し。なのにどうやら彼だけが信号無視で捕まったらしい。「やってるのは俺だけじゃないんだよ,俺だけ捕まるなんて不公平だよ」という者に誰が同情するものか。私の思いは「そんなことは知ってるよ! あんたから聞きたいのは手を出した理由なんかじゃない,どうすれば周りから非難されずに喧嘩に勝てたのか,その反省を教えてくれよ! それがあんたの仕事でしょ!」ということである。

試合に負けたサッカー選手がインタビューで「負けたけど僕は気合いが入っていた,そこを評価してほしい」というような愚にもつかない自己正当化をしてくれることがある。田母神論文はこの哀れなサッカー選手の言い草とまったく同じではなかろうか。サッカーファンは「あのコーナーキックのときにディフェンダー皆がA選手に陽動されたために結果的にB選手にしてやられた。個人のそれぞれのマークの再徹底が修正点だ」というようなコメントを彼に期待しているのに。あんたの気合いなんてどうでもよいから,次は勝てるんだということを示してくれよ。

田母神氏は書いている:「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」(本論 8 頁目)。憲法の規定に基づく世論を「マインドコントロール」などと軽々しく扱う態度。「政治家」として眺めてみても,どうやら田母神氏はなにもわかっていないようである。

軍人が職務を逸脱し了見の低い政治的発言を行っているということがこの論文問題の核心である。法規に由来する考えを「マインドコントロール」などとしたり顔して言う,ルールを軽んずる政治的軍人 — それは五・一五事件,二・二六事件,宮城事件を主導した精神論だけの軍人とまったく同じ精神構造である。戦前なら軍法会議で裁かれた口である。更迭は不当だけど,軍法会議よりはましか。ルールが間違っているから正すのは軍人の勤めではない。ルールに従う政治家の命令で戦うのが軍人である。おそらく,それを理解しないこういう「政治的な」軍人が多かったから,兵力を税金と同じように扱い,自力を過信し精神論(これこそ「マインドコントロール」)で戦いに挑み,結局日本は先の大戦で負けたのだ。

兵家なのだから,クラウゼヴィッツ,孫子の現代版を目指してくれよ! 自衛官なのだから,状況にブツクサ文句ばかり垂れないで,憲法の規定に則っていかに安全保障を実現するのか,平和憲法を戴くからこその国際軍事戦略を真剣に考えてくれよ! そしてその理論のフィージビリティを論文として問うてくれよ! 私は自衛隊を否定しないし,国防問題を真面目に議論すべきだと思う。憲法第九条を尊重しつつこの難しい問題に取り組むことこそ,防衛省の真に尊敬に値する役割があると思う。しかし,この論文を読んで,いまこの現代にあっても日本国の軍人の体質はなにも変っていないということがわかり,歴史は韻を踏むことがあるという危機感が否が応にも高まったのである。

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上を認めて一日経って,もうひとつ別の可能性が頭に浮かんだ。つまり,彼は政治的「軍人」なのですらなく,ただのタカ派高級「官僚」でしかないのかも知れないということ。政治的発言は誰にも思いつきでできるが,戦術を考究するのはそうではない。将官ならば戦術を考えるはずであるが,官僚となると机で書類を書いているのが仕事である。銃はなおのこと,鉛筆より重いものを持たず机に座ってばかりなのに「突撃セヨ」などと唆すタカ派官僚なんて噴飯モノではないか? これは最悪の可能性だ。とはいえ平和な日本である。ありそうなことである。政治的了見は子供じみて,軍人としての技術は怪しい,それで税金で食っているとしたら「官僚」以外のなにものでもないだろう。

田母神氏は見たところ気骨のありそうな厳しい風貌をしていらっしゃる。自衛官なら,この日本の平和を維持するための戦術をぜひ考えていただきたいと思う。自己正当化なんてしないで。