misima 注意事項

旧仮名遣い・旧字変換支援ソフトウェア misima はたくさんの人にご利用いただいている。ありがたいことである。私自身の課題解決のために作ったソフトウェアが他の人の役にも立っていると思うと,甲斐があったというべきである。

しかしながら,デバッグ目的でごくたまにログの入力内容の変換試験を行って気づくことだが,旧仮名遣い・旧字体で入力される例が結構ある。旧仮名遣い・旧字体で入力するのが困難であるという事情からこのソフトウェアを開発したのに,これはいったいどういうことだろうか? はじめから旧仮名遣い・旧字体で書くことの出来る人なら,misima は必要ないはずである。

こうした旧仮名遣い・旧字体による入力テキストを調べてみると,それが不完全な「旧仮名遣い・旧字体」であることがわかる。例えば「ありがとうと云い,戰いをなすであらう」のような文に類するものである。これは旧仮名遣い・旧字体テキストとしては「ありがたうと云ひ,戰ひをなすであらう」が正しいと思われる。ところが「あらう」だけが「あろう」の旧仮名遣いになっていてあとは現代仮名遣いであり,また「戰」が旧字体になっている。

この中途半端な旧仮名遣い・旧字体テキストを misima に処理させるとどうなるか。「ありがたうと云ひ,戰ゐをなすであらふ」—「戰ひ」となるべきが「戰ゐ」に,「あらう」と入力したのに「あらふ」に誤変換されてしまっている (もともと「戰居を茄で洗う」のつもりだとすればこれでよい...)。これは misima が日本語解析に使用している日本語形態素解析ソフトウェア茶筌が現代仮名遣い,当用漢字テキストで最適化されているにもかかわらず,中途半端な旧仮名遣い・旧字体テキストで語の区切り,語の解釈を誤ってしまったためである。misima のデバッグ機能で確認するとわかるが,「戰い」は「戰」と「い」(「いる」の連用形) に,「あらう」は「洗う」に解釈されている。こうしてもともと正しかった旧仮名遣いテキストをも改悪してしまうわけである。

ユーザはなぜ中途半端な旧仮名遣い・旧字体テキストを入力するのか? 私にはよくわからない。敢えてその真意を忖度すると,「不完全かも知れないテキストを misima によって正しい旧仮名遣い・旧字体にしたい」ということなのだろう。しかし misima は現代仮名遣い・新字の旧仮名遣い・旧字へのテキスト変換機能は備えているが,「半完成の旧仮名遣い・旧字体テキストを訂正する」ことができるなどとはひとことも主張していない。

旧仮名遣い・旧字体で書きたいと思うのは結構であるが,中途半端なことはしないほうがよい。そういう方は辞書をこまめに引いて正しい歴史的仮名遣い,旧字体を特定したうえで書くべきである。misima のようなツールで変換しなおかつ結果が正しいかを見直さないなどという態度では,上記のような誤変換で恥を晒すだけである。それは『misima について』にも,misima 仕様書にも,変換フォーム特記事項にも,口酸っぱく書いたことである。私のツールを愛用してくれるのはありがたいけれども,これを使って誤った日本語テキストを公開して当該ユーザが密かに笑い者になるような結果になるのは,作者として憂うべきことである。私はある程度旧仮名遣い入力を判断できるように misima システムを可能な限り調整してはいる。そうはいっても,文脈の判断をアルゴリズムに組込むことは現実的に不可能である。ドキュメントに記載した注意事項をよく理解いただきたいと思う。

misima は「日常的に旧仮名遣い・旧字体で書きたいけれどもよくわからない」と思うひとのためのお勉強ツールではない。逆に,現代仮名遣い・当用漢字で普段は書いているが,論文等で古い文書を引用しなければならない人,なおかつ歴史的仮名遣い・字体変更をきちんと理解していて自動変換の結果を見直すことのできる人。そういうひと人がラクをするためのツールである。学術的な課題をもつ者こそが misima のターゲットユーザである。そんな利用者がいるのだろうか,と不審に思う方は misima を使うべきではない。いるのである。それは国文学の研究者や俳句・短歌の伝統文芸家など,特殊な課題をもつ少数派である。だから私のささやかなサイトのなかで misima がダントツのアクセスを誇る理由が私にはまったく理解できないのである。

misima ユーザの大半は,残念ながら,どうも私の想定するターゲットユーザから外れる「日常的に旧仮名遣い・旧字体で書きたい」人のようである。そうすると misima 注意事項は,misima を使うな,である。そういう人は,自分できちんと辞書を引いて書くべきである。でないと,ツールの自動変換に足を掬われて恥を晒すことになる。