Л. ミローノヴァ『色彩論』

先日,ベラルーシ在住の大学教授レニナ・ミローノヴァさんからその著書『色彩論』が国際郵便で届いた。プーシキン詩における色彩知覚をめぐるメールのやりとりのなかで,私の求めに応じて著書をくださったのである。

この本のロシア語原題は "Учение о цвете"。1991 年に 1,000 部刷られたうちの一冊で,463 頁の堂々たるモノグラフである。色彩に関する人類の関心の歴史と,芸術における色彩の現われとが本書のテーマである。日本の色彩伝統についても,一章が 16 頁にわたって割当られている。そこには題銘として芭蕉の句「鎖あけて月さし入よ浮み堂」(のロシア語訳) が掲げられ,日本の詩や絵巻物等にみられる色彩の扱いについて論じられている。日本人の芸術的心性として言霊信仰から語りはじめ,それを日本人における色彩の魔術的観念に結びつけてゆくアプローチは,さすがとしかいいようがない。ソヴィエトの日本研究の精華を受け継いでいるのだ。

本書出版の年は,ソ連邦が解体し CIS に国家体制が変わり,ロシアとその周辺の諸国民が自由主義経済への破滅的変化にさらされた時代である。ミローノヴァさんは,私が贈った日本の図書と比べてか — その二冊の本についても,知の糧になりかつ眺めて楽しいと満足してくれた —,メールのなかで,その厳しい時代の紙事情による満足のゆかぬカラー図版についてこぼしていた。しかし実物を見ると,マレーヴィチの絵画や源氏物語絵巻の図版など,それには当たらない素晴らしい印刷であった。同一紙面で図版に地の文章を回り込ませたレイアウトはとても美しく,粗悪な文字紙面と紙質を変えて図版だけの頁をまとめる組版よりも私の好む印刷方法なのである。

本には,なんと彼女が教鞭をとっているベラルーシ国立芸術アカデミーの図書館の蔵書印が押されていた。私はこれが非常に気になって,本書を本当に受け取ってよいものか,不安な気持ちを彼女に書き送った。これに対し,図書館と交渉して,同じくらいの価格,内容の書籍と本書を交換してもらったとのことで,堂々とお受け取りくださいとの説明があった。それよりも,自分の著書が色彩について豊かな伝統を有する日本人の目に留まり,読んでもらえるのが真に誇らしく嬉しいという。熱心に勉強しようとする者を認めると方々に走り回って便宜をはかってくれるロシア人気質をみた気がした。でもそうはいっても,読んだら東大とか早稲田とかのロシア研究のさかんな大学図書館に寄付すべきかなとも思っている。

私はここのところ論文の見直しに余念がなかったため,本書を読み進めることができていない。早く読んで,得たところの感想をきちんとミローノヴァさんに書き送らなければ,失礼である。

それにしても,日本人はロシア文化に対して一般に無関心で,ロシア人に対しては憎しみすら抱いているが,ロシア人が日本人・日本文化に大いなる尊敬を払っていることが,本書の記述などから,本当によくわかる (面白いことに,日本人はフランス人・フランス文化に昔から大海のごとき憧れを抱いているのに,フランス人はというと,パリを訪れる金満日本人を見て「金歯をはめたドブネズミ」扱いなんである。悲しいかな,フランス人の感覚のほうが当たっていると私には思われる)。ロシア人は,国家体制としてどんなに敵対関係にあっても,相手国の製品,文化が自分の目で素晴らしいものと判断されれば,心からの尊敬を表に出すことを躊躇わない。それはトヨタであったり,ソニーであったり,芭蕉であったり,北斎であったり,武満徹であったり,黒澤明であったり,北野武であったり,中島みゆきであったり,松田聖子であったりするわけである。この態度は,ソヴィエト時代から変わりがない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなる日本人とは大違いなのである。いや,袈裟が憎けりゃ数珠まで,坊主まで憎くなるというほうが適切か。

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