3 月 7 日,本サイト NOX INSOMNIAE を開設して 20 周年。Movable Type を使ったこのバカブログも開設 12 周年を越えてしまった。
1998 年ころは,IBM ThinkPad 560E に FreeBSD を入れて,UNIX アプリケーションでロシア語をどのようにして扱うかに血道を上げていた。テキストエディタ GNU Emacs をはじめ,仮想端末,グラフィックソフトウェアにおいて,キリル文字を入力する,表示・出力する,程度のことですら,当時の日本では「研究」しなければならなかった。とくに文書整形システム LaTeX を覚えてからは,Babel 多言語パッケージのロシア語言語定義ファイル,ハイフネーションパターンファイルを解析し,CTAN から様々なキリルフォントを取り寄せては,ロシア語文献の高品質な再現に情熱を傾けていた。
そのころ,仕事で肉体がボロボロになり,肺結核などという古風な病を得て,東京瀬田の隔離病棟に収容されてしまった。世の中から隔絶され,世界に悪意を抱いていた。やることといえば,寝て,起きては,飯を食い,病棟裏手の原始林を散歩し,抗結核薬を服用し,看護士にケツを捲られストマイの筋肉注射を打たれる。少し本を読み,たくさん音楽を聴き,談話室からかっぱらってきたエロ週刊誌を眺める。大塚寧々や菅野美穂のエロチックなグラビアで劣情に苛まれる。そして,Russian on FreeBSD の営み。プーシキン全集テクストの CD からデータを抽出し,単語解析プログラムを書き,Web CGI アプリを書いて,単語統計・コンコーダンスシステムを構築した。
あるとき,原始林の散歩から病棟に戻ったら,ベートーヴェンの第九が高らかに鳴り響いていた。談話室のテレビで患者たちが長野冬季五輪の開会式を観ていたのである。小澤の指揮による五大陸同時演奏。廊下の窓から光を浴びた冬枯れの樹々を眺めながら聴いたその第九に,魂を揺さぶられた。
そのとき,病床でしこしこ蓄積したロシア語ノウハウやら,プーシキン単語統計コンテンツやらを公開しようと思いついた。人間界との繋がりを取り戻す。それからサイト設計を始め,せっせと一月かけて本サイトの最初のバージョンを準備した。寝て,起きては,飯を食い,病棟裏手の原始林を散歩し,抗結核薬を服用し,看護士にケツを捲られストマイの筋肉注射を打たれ,少し本を読み,たくさん音楽を聴き,談話室からかっぱらってきたエロ週刊誌を眺め,サイトの HTML をコーディングした。夜中に,病棟のモデムモジュラー付き ISDN 公衆電話に ThinkPad を繋いで,DTI スペースにアップロードした。当時はまだ電話回線による数 10 kbps の低速 PPP だったので,ftp にけっこう時間がかかり,イライラさせられたものだった。