Japanese Rock on YouTube

年末,恒例の紅白歌合戦を楽しんだ。しかしながら,登場するミュージシャンの顔ぶれには,オリコン,有線放送における人気ランキングよりもむしろ,NHK とその背景にある保守的・事勿れ主義的・予定調和的な力が働いているとしか思われず,現在の日本の音楽がどのような傾向にあるのか,音楽の実力がいかばかりか,というようなことを推し量るに足るものは,どこにも見出せなかった。これは紅白歌合戦のここ十数年の傾向なので,いまさらどうのこうのいうことではないかも知れない。そもそも日本の音楽はいわゆる J-POP,歌謡曲だけではない。

それにしてもだな。音楽的に感心させられるところがひとつもないというのはどういうことか。だから,紅白は,音楽好き若者の絶対に見ない,年寄りの年寄りによる年寄りのための風物詩に成り下がっているように思われる。一言でいうと,藝術に欠くべからざる「毒」の要素がまったくない。だって,そんなの年寄りの健康に障るではないか。もっと言うと,若者は,NHK のみならず,もはや,テレビとは別のネット媒体に本当の音楽を求めている,と俺は想像する。

俺も,会社員なのでテレビやラジオを視聴する時間帯は限れらているし,しかもその時間では,連日のようにモリカケ騒ぎ,松居一代騒ぎ,相撲協会騒ぎ,などなど,くだらないクソ事案に明け暮れていて,もうテレビの良識にはウンザリしてしまっている。「真実」ではなく「扇動」しか感じない。音楽の「真実」をウォッチするには,俺の場合,YouTube が欠かせない。

俺は YouTube で,世の音楽ファンから何年も遅れて,和楽器バンドを「発見」した。和楽器バンドは YouTube に投稿したミュージックビデオ『千本桜』で人気に火がついて,レコードセールス,ライブ観客動員でも成功を納めた。こういうところからも,俺は確信した。一般の若者も俺と同じような行動様式なのだと,俺よりずっと先を行っていると。そして,「真実」はテレビではなくネットにあると。

年明けの休みの日がな一日,どこにも行かず家に引き籠って,一休さんの漢詩集『狂雲集』を読み,YouTube で J-Rock を漁る。陰陽座と妖精帝國に魅せられた。ここではそれぞれ二曲ずつ。いずれも物語性で脚色されたヘビメタ。この期に及んで。やりたいようにやっている日本のサブカルの方が俺の眼に魅力的に映る今日この頃。

陰陽座『青天の三日月』

耀ふ闇と 闇がる光を 草薙の太刀で 慥かみて…
我が眼に 燃ゆる紫電が 閃く…

草薙の太刀の紫電の煌きがポップミュージックの詞で言及されるなんて,俺には想像も出来なかった。こんな詞は,若者はおろか,七十の老人にも理解されないはずである。もっと古い大正時代の右翼モダニストか,ある種の復古的趣向の持ち主にしか響かないと思う。こういう古風な歌詞が若者の心に響くのかはなはだ疑問なわけだが,示威的・攻撃的なまでの古典的和のスタイルこそが陰陽座のアイデンティティになっていることは理解出来る。

女声ヴォーカルのシャープで伸びのある声,男声ヴォーカルの低音声がいい。ツインのリードギターも重厚かつ色彩豊かですごい。キモノで演奏するロックバンドって,見た目にも意外とカッコいい。

和楽器バンドが江戸の歌舞伎風豪華絢爛だとしたら,陰陽座には室町戦乱の荒廃した京都・羅生門の百鬼夜行を感じる。いやいや,いまの若者の目指すところは面白い。

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陰陽座『雲は龍に舞い,風は鳳に歌う』

龍は雲に舞い,鳳は風に歌うということを主客逆転させるレトリックが曲名に働いている。これは倒装法といって漢詩の伝統的技法だ。

松尾芭蕉も漢詩から俳味を取り入れる試みの過程で,倒装法を働かせた「鐘消えて花の香は撞く夕哉」という句を詠んでいる。消えるのは花の香だし,撞くのは鐘なのだが,この関係性を逆転させて,イメージが黄昏のなかで溶け合う味を出している。

このように,陰陽座は,わかる人にはわかる言葉の巧みを見せつけているようで,面白い。音楽とはあんまり関係ないけど,言葉への志向こそが彼らの音楽の根元にあると俺は思う。音楽的には日本の和の語法は感じられず,むしろ,西欧的なクラシカルなオーケストレーションを取り入れた,オーソドックスなロックバラードである。

妖精帝國『Astral Dogma』

妖精帝國 Das Feenreich。なんと。ちょっとイタいオタク色に満ちたゴシックロリータ趣味のヴィジュアル。チェンバロ,教会風女声コーラスが醸し出す異端的いかがわしさ。大正風淫靡。ユダヤ的秘蹟。誇大妄想的雰囲気。たまりませぬ。歪んだ和製バロック,サブカルロック。ご無礼をお許しあれ。

ヴォーカル YUI 様(Wikipedia によれば 325 歳以上とのこと。かなり前から活動しているヘビメタ・バンドのようである)のアニメ声優っぽい痩せた声と,重厚なリズムセクションとの組合せは,それでも,けっこう脳髄を冒されるものがあります。早口のタイトな 4 拍子から,インテルメッツォというのか,テンポを落とした 3 拍子の間奏部に移るところ,音楽的技量を感じた。

空中庭園の古びた羊皮紙は父の遺した 桂花の薫り
滲むインクは今際に認めた最期のメッセージ

妖精帝國『空想メソロギヰ』

Consentes Dii, Juno, Jupiter, Minerva, Apollo, Mars, Ceres, Mercurius, Diana, Bacchus, Vulcanus, Pluto, Vesta, Venus... 早口でローマの神々の名を列挙するラテン語の断片がなかなかでございます。Ju をユ,Ce をケ,Ve をウェと発音しているところも,超クール。クラシカルなストリングス,女声コーラスがファンタスティック。

さあ,Eins, Zwei, Drei! 死を躱して…
【2018.1.19 付記】

その後,妖精帝國『空想メソロギヰ』はアニメ『未来日記』のテーマ曲だった,ということを知った。2011 年後半のテレビアニメだというから,もうかなり前の話である。妖精帝國の誇大妄想的いかがわしさは,そう言われてみれば,アニメファンタジーに相応しいフィクショナルなものであることも納得出来た。

『Astral Dogma』,『空想メソロギヰ』の音楽に魅せられたので,これらを収録した妖精帝國のアルバム PAX VESANIA を購入してしまった。PAX,VESANIA は,ともにラテン語で,それぞれ,平和,狂気,という意味である。PAX VESANIA を文字通り解釈するなら,ともに主格なので,「平和,すなわち,狂気」ということか。「狂気の平和」なら PAX VESANIAE となるはずだ。

平和こそが狂気,というのは,現代日本のリベラル平和主義者の行動を見るに,時代を象徴していて風刺が効いている。軍事大国である米露中が何をやっても知らんぷりなのに,日本政府による集団的自衛権の法制化で気が狂う。武器輸出ランキング上位の米英独仏露中,そして韓国には何も抗議しないのに,日本政府の武器輸出三原則の見直し程度で,「死の商人」だなんだと気が狂ったように大騒ぎする。安倍首相の言動は保守であっても,米国民主党よりも穏健であるにもかかわらず,彼を「極右」と断じて憚らない。それが日本のリベラルである。本丸を放置して重箱の隅に囚われる。狂気である。もちろん平和は尊く戦争は断じて回避しなければならないものなのだが,平和を主張するあまり,他国のことが見えないのが狂気なのである。

PAX VESANIA から,『Astral Dogma』,『空想メソロギヰ』以外でとくに気に入った一曲『葬詩』(はふりうた)のミュージックビデオをエンベッドしておく。葬送のバラード。愛する者の死とこれからの孤独な世界を受け入れようとする意思を,愛する者が一人で逝く姿に変容させるところに,この誇大妄想的ゴスロリバンドにしては意外にも,泣けてくるリリシズムがある。6/8 拍子の優しい旋律線,チェロの朗々たる歌,間奏部のギターの泣きが素晴らしい。

もう僕がいなくても ただ一人で逝くんだ…

妖精帝國は 1997 年の結成という。PAX VESANIA も 2013 年のリリース。俺も齢をとってしまい,世の中に対する反応が何年か遅れてやってくる有様である。若い人には,バカで毒抜きされた哀れな年寄りに気兼ねせず,堂々と,やりたいようにやってくれと,思う今日この頃である。何度でも言う。90 年代以降日本をダメにした 50-70 代は放っておけ,引導を渡せ。

PAX VESANIA
妖精帝國
ランティス (2013-03-27)