本日の一冊。一休宗純『狂雲集・狂雲詩集・自戒集』,中本環校註,新撰日本古典文庫第五巻,現代思潮社,1976 年刊。一休禅師の漢詩集である。偈,頌,賛という禅詩ジャンルが主をなしている。複数の伝本を校合し,校註して,狂雲集,狂雲詩集,自戒集のすべての詩を収録しているよい版だと思う。
風狂々客起狂風 風狂の狂客狂風を起こす
來往淫坊酒肆中 淫坊酒肆の中に来往す
具眼衲僧誰一拶 具眼の衲僧誰か一拶
畫南畫北畫西東 南を画し北を画し西東画す
一休宗純『狂雲集・狂雲詩集・自戒集』,
中本環校註,新撰日本古典文庫第五巻,
現代思潮社,1976 年,151 頁。
中本環校註,新撰日本古典文庫第五巻,
現代思潮社,1976 年,151 頁。
これは『自賛』と題された詩。風と狂という字が同字重出の禁則を犯しているが,それこそが風狂とでも評することのできる,平仄の正しい七言絶句である。
俺は女を買い酒をくらう風狂者だが,いくら眼力を備えた高僧でも俺に問答できる者はおらぬ,俺は自分勝手に方角を決める(ただ己のやり方で思量するばかりだ)。大意はそのようなものである。破戒と大悟とが拮抗する,一休禅師らしい詩と言えよう。言語道断の認識のもと言語に基づく詩をなす,という究極の矛盾が一休禅師の思想的緊張感を示す,そういう公案(禅問答)のような凄さがある。
『狂雲集』に憧れて,俺は自作漢詩文集を『狂溟集』と名付けた。雲ではなく溟(暗い海)。
ところで,ふと思う。交戦権は日本国憲法違反である。国際法において交戦権はあらゆる国家の有する権利である。日本国自衛隊は日本国憲法に規定されていない存在である。では,日本国自衛隊は交戦権を有するか。さあ,言え,言え。日本はこの現代においても,禅思想が国家の基盤なのかと呆れる。憲法を巡る議論がかくして禅問答のようになるわけだ。そして,禅問答に終始する間に,既成事実でなし崩しとなって流されて行くということなんだ,と俺は思う。