柔肌マサニ是レ些ノ隔リモ嫌フベク… ― 江戸のエロティック漢詩

江戸の小説は艶笑物語が多くて楽しいのだが,江戸漢詩にも遊郭を題材にしたエロティックな作品がかなりある。しばらくぶりに江戸漢詩,江戸時代後期の文化・文政のころの秋田藩家老・匹田松塘(1779-1833)の竹枝(エロティック漢詩)を楽しむ。

みちのくの田舎侍がこんな艶っぽい詩を書いていたということにこそ,江戸文藝の広がり・深さを感じてしまう。二首あげておく。僕の解釈を付けておく。旧表記で気取っているが,そこは容赦を。

 
 雲鬂髼鬆亂欲飛   雲鬂ウンビン髼鬆ボウソウ,亂レテ飛バント欲シ
 花簪錯落散珠璣   花簪クワシン錯落,珠璣シユキヲ散ラス
 柔肌應是嫌些隔   柔肌マサニ是レイササカノ隔リモ嫌フベク
 閑却盈盈一架衣   閑却ス,盈盈エイエイタル一架衣
 
豐麗なる髮が型も崩れ千路に亂れるまでの情事。花簪が一つまた一つと亂れ落ち,珠飾りが飛び散る。少しの隙も嫌ふかのやうに柔肌を密に重ね合はせる。衣桁にはゆつたりと溢れるやうに華やかな長襦袢が掛かつたまゝ。
 

激しい愛欲図を直截に描いた珍しい詩である。エロな動的シーンを三つ立て続けに投げ出して,衣裳のポツンと忘れ去られた静止画で突き放す。起承転結もぶっ飛んだかのような結構である。一句の「雲鬂」(うんびん:雲のように豊かで美しい女髪)と四句の「盈盈」(えいえい:水が満ちるようにゆったりと美麗な衣裳のさま)とが,水に縁のあるイメージで詩を取り囲むかのようになっていて,何とも心憎い「濡れ濡れ」の情事の絵を造っている。読む者は最後の長襦袢になったつもりにさせられる。

 
 翠帳春深歡未央   翠帳スイチヤウ,春深ク,タンイマダナカバナラズ
 粉脂和汗滴蘭牀   粉脂,汗ニ和シテ,蘭牀ランシヤウニ滴ル
 東扶西倒無憑在   東扶西倒,ルナク
 螓首纔擡喚小娘   螓首シンシユワヅカニモタゲテ,小娘ヲ喚ブ
 
娼妓の帳の内,春は深みを增し,淫樂もまだまだこれから。女の白粉と汗が混じり,芳しい牀を濡らす。いまや女は正氣を失ひ,こちらが抱き起こしては倒れ,所在も覺束ないありやう。やうやつと首をもたげて,お禿を喚んだ。
 

情交で何回も気をやり,疲れ果て,正体を失った娼妓の図。翠帳とは,直接的な意味は青みどりのとばりのことだが,遊郭を青楼というように,遊郭の娼妓の部屋を謂うのだろう。女と交わりながら「春深シ」と感ずる男もなかなかである。底なしにいい女のようである。

ただ,娼妓はプロとして女陰を鋼鉄のごとくに鍛えているものであってみれば,買春客に正気を失い腰が抜けるまでに気をやるなんてのは,はっきり言ってウソ臭い。ま,詩人は己の精力絶倫ぶりを誇りたかったのだろう。男は昔も今もこのようなフィクションに忙しい。「粉脂,汗ニ和シテ,蘭牀ニ滴ル」は誇張も甚だしいわけだが,いい句である。白粉に混じた汗やらなにやらで床をしとどに濡らしたということ。

ところで,吉原遊郭では位のある娼妓は,お禿というお付きの少女を抱えていて,身の周りの世話をさせた。まさにこの詩のとおり,用事を言いつけるために「小娘ヲ喚ブ」わけである。喚べば聞こえるところに畏まっていたわけだから,客と情交する娼妓の声はおそらく少女にも筒抜けであり,こうして次世代の娼妓が培われていたのかと思うと,苦界の日常的非日常性に呆れるしかない。閨房に第三者が空気のように侍っているのは,王侯貴族の様式でもある。

江戸漢詩
中村真一郎
岩波書店 (1998/01)