鈴木しづ子『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』

本阿弥書店刊行の俳句雑誌『俳壇』に「まんが・夭折俳人伝」という連載があり,2017 年 3 月号の題材は鈴木しづ子だった。村上護の原案,長谷部徹の作画である。

鈴木しづ子(1919-不明)は「娼婦俳人」という異称をもって語られる。戦中・戦後の混沌とした時代背景のなかで,恋に破れた果てに米兵相手に体を売りながら,作句を続けた女流である。俳壇史のなかで異色の昏い輝きを放っている。

『俳壇』に彼女の伝記が掲載されたことと彼女の作風とを妻に教えてもらってはじめて,鈴木しづ子の名を知るところとなった。妻が会社蔵書から鈴木しづ子『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(2009 年,河出書房新社刊)を借りて来てくれた。書の題名は彼女の一句である。彼女が世に問うた二冊の句集『春雷』,『指環』を収録する。

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俳句を詠む女は珍しくない。体を売る女は,同様に,珍しくない。ところが,この二つの珍しくない属性の集合が重なるところは,どうもエキセントリックらしい。鈴木しづ子は,戦後まもない時代に性愛を詠う句集で当時かなりの評判をとった。そもそも売れない句集というジャンルにおいて,重版されたこと自体がそれを物語っている。そして現在では彼女の名は伝説的扱いを受けている。

スキャンダラスな文藝はただそれだけで読者を呼び寄せるところがあり,当時の彼女の名声もある意味でその性質が濃いと思われ,また彼女自身もそれを意図してフィクショナルな俳人像を作り上げたのではないかとも考えられる。

何はともあれ,どういう句を残したかということ。次にあげるような,みちならぬ情事,性愛の透けて見える句が,鈴木しづ子の代表句としてしばしば引用される。

肉感に浸りひたるや熟れ石榴 (101頁)
まぐはひのしづかなるあめ とりまく(105頁)
裸か身や股の血脈 あをく引き(106頁)
情慾や乱雲 とみにかたち変へ(106頁)
黒人と る手さきやさくら散る(116頁)
花の夜や異国の兵と指睦 び(116頁)
菊白し得たる代償 ふところに(117頁)
娼婦またよきか熟れたる柿うぶ(117頁)
霙れけり人より ふ銭の額(117頁)
葉の蔭にはづす耳環 や汗ばみて(121頁)
夏みかんつぱしいまさら純潔など(138頁)
句集『指環』より ― 鈴木しづ子『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』河出書房新社刊,2009 年。

「乱雲とみにかたち変へ」という表現からもわかるとおり,抒情的主体は自ら乱脈を自覚していた。だが,「娼婦またよきか」であって,そこには倫理的後ろめたさなどはない。「いまさら純潔など」という昏い自嘲がほんのりと混じるが,女性らしい慎み,恥じらいはない。ましてや明るさもない。「葉の蔭にはづす耳環」とは,「あんた外でも客を取ったんですかみたいなところがある。「熟れ石榴」などという女陰の比喩は,むしろグロテスクであって,間違いなく男性的視線によるものだ。

つまり,スキャンダラスなモチーフを扱うにおいて,女性の内面からというよりは,男性の外からの視線を感じるのである。頽廃の女性というよりは,どちらかというと職業男性の視線を感じる。「徹宵にのぞむ手袋はめにけり」― 仕事で「徹宵にのぞむ」ときの手の一瞬の動作に眼を留めるのは,職業人のリアリティだろう。実際,彼女は「みづから堕ち」る前は,戦中の若い女性としては極めて珍しく,工場の設計技師であった。「炎天の葉智慧灼けり壕に佇つ」― 終戦を迎えて宮城の「壕に佇つ」句の情景には,女性というよりはむしろ,闘いに敗れた兵士こそが相応しい。陛下の勅語に聴き入る一般的な女性像は,おそらくは正坐である。「防諜と貼られ氷室へつづく廊」― 工場の廊下に貼られた「防諜」の注意喚起の張紙から日常が裂けてゆく俳味は,女人の領域とは思われない。

女性的嫋嫋のエロティシズムではなく,男性的視線に支えられた俳味。設計図面を引く白皙の手(「徹宵にのぞむ手袋はめにけり」)が黒人米兵との愛欲の営みの手(「黒人と踊る手さきやさくら散る」)に入れ替わる,そういう目眩くダイナミズム。こうしたことこそが鈴木しづ子の魅力だと思う。好きな句をあげておく。

夜半さめて障子の に匂ふあめ(28頁)
かげる梅まろき手鏡ふところに(29頁)
つゆざむのみなぞこ のゆるるのみ(42頁)
防諜と貼られ氷室 へつづく廊(49頁)
(昭和二十年八月十五日皇軍つひに降る)炎天の葉智慧 灼けり壕に佇つ(51頁)
あきのあめ図面 のあやまりたださるる(61頁)
菊活けし指もて消しぬねやの燈を(65頁)
徹宵にのぞむ手袋 はめにけり(73頁)
暖房のおよばぬ に着更へする(73頁)
たんたんと降る月げよ玻璃きづつく(89頁)
凍蝶にきて日蔭を出でにけり(132頁)
暦日やみづから堕ちて向日葵 黄(143頁)
同書

鈴木しづ子は,終戦直後の混乱のなかで二つの句集を出して,俳句だけが「この世の未練」と言い残して,忽然と姿を消した。