蟷螂生ず芒種初侯,梅雨入り宣言も出た少々蒸し暑い 6 月 9 日金曜日,妻と二人で,上野の東京藝術大学奏楽堂で第 381 回藝大フィル定期演奏会を聴いて来た。指揮とヴァイオリン独奏にドミトリ・シトコヴェツキーを招いたロシアプログラムだった。演目は,チャイコフスキー作曲・「なつかしい土地の思い出に」から「瞑想曲」(A. グラズノフ編),スラヴィンスキー作曲・バレエ音楽「妖精の接吻」より「ディヴェルティメント」(D. シトコヴェツキー編),チャイコフスキー作曲・交響曲第 6 番ロ短調作品 74『悲愴』。
シトコヴェツキーの名はヴァイオリンソリストとして世界に轟いている。バッハのゴールドベルク変奏曲の弦楽三重奏版とショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第 1 番のシトコヴェツキーによる録音は,私にとってもっとも大切にしている愛蔵の盤になっている。現在もっとも高く評価しているヴァイオリニストの一人である。Facebook つながりから,彼が最近は指揮もしていることを私も知ってはいたが,今日はじめて演奏を耳にすることとなった。
哀愁の漂う瞑想曲,ストラヴィンスキー曲としては珍しいくらいに抒情的なディヴェルティメントは,超絶技巧ではなくシトコヴェツキーのリリシズムで魅了する名品であった。
それでも,なんと言っても,今夜のメインプログラムであるチャイコフスキーの 6 番こそが圧巻であった。耳にタコができるくらい聴いて来たこれだけの名曲になると,自分の好みのフレーズ,断片をどのように演奏してくれるのかが楽しみになるわけだけど,第一楽章のヴィオラの入り方,第三楽章終了から第四楽章開始の間の具合,などなど,どれも私の納得のゆく造形であった。テンポやアーティキュレーションにヘンな個性を付けない,四楽章全体を通してバランスのとれた,感動的演奏だった。
『悲愴』の生の演奏会では,かつて調布のホールで,ヴラジーミル・フェドセーエフ指揮,モスクワ放送交響楽団の管弦楽でこの曲の演奏を聴いて感銘を受けたのだが,今夜のシトコヴェツキーの演奏は,フェドセーエフの荒削りの豪快さ(それもひとつの魅力なんである)はなく,呼吸を精妙に整えるような丹精を感じさせてくれた。この曲本来の憂愁に打たれたんである。
弦楽のパートの配置は,第二ヴァイオリンが右最前列,ヴィオラが左側,最前列にいる第一ヴァイオリンの奥になっていた。ちょっと珍しい配置ではないだろうか。『悲愴』の第四楽章のテーマは第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンとの掛け合いによる複合的な旋律となっているのが特徴であり,これを第一・第二ヴァイオリンの左右対称配置によって前面に出そうとしたのかと想像され,心憎いと思った。
この演奏会は妻のコネで招待券を入手したのだが,一般の入場料は 3,000 円とのことだった。シトコヴェツキーを招聘してこの金額で,これだけ感動的なオーケストラが聴けるのは,藝大ならではなかろうか。最近は奏楽堂演奏会ばかり聴いている次第である。
最後に,ドミトリ・シトコヴェツキーの名盤のアマゾンリンクをあげておく。
G. コセ(Vla)
M. マイスキー(Vlc)
ORFEO (1996-01-10)
Virgin Classics (2005-03-01)