人間とは何か,と問われてどう答えるか。愛の存在である,こころをもつもの,理性的なるもの,などなど,まっとうな人ならその類いの答えを返すのではなかろうか。
学生時代の俺のある友人は「ヨクモエルモノ」と言った。彼は,こちらを異界に誘い込むような雰囲気をもった男だった。彼はいつも不思議な女を連れていたものである。女は共産党のシンパで,長い黒髪のぞっとするような白皙の美人だった。いつもダサい紺の adidas ウィンドブレーカーを着て,セブンスターを吸いながら,学生集会でメガホンを持って意味不明なアジをがなり立てていた。
「ヨクモエルモノ」。欲情が萌すくらいに魅力を覚える謂いの「萌え」などという言葉は当時なかった。まさにそのまんまの「燃える」である。人間とはよく燃えるもの。「燃える」は激しい愛欲を露にすることの比喩としても定着しており,「人間とは激しく愛を表すもの」とも受け取れる。否,この友人の言はやはり,そのまんま,人間は発火すればぼーぼーと燃焼するものだ,という意味であろう。
俺の友人にせよ,その共産党女にせよ,世の中にはよくわからない人がいるものである。その女のこころに仮託して詠んだ歌をふと思い出した。
清明の雨の夜,Johann Sebastian Bach の Das Musikalisches Opfer に針を落とす。Gustav Leonhaldt の 1974 年の SEON アナログ盤。スコアを眺めながら,あの幾何学的にしてかつ謎めいた KONTRAPUNKT に耳を傾ける。
少し妖しい気分になる。昨夜,色付きの奇妙な夢を視たのである。俺は,誰かに命を狙われ,追われる恐怖のなかで,共産党員の女と性交していた。女は激しい吐息とともに,俺の眼を視て何かを訴えていた。「人間とは…よく…燃えるもの…」。