2017 大阪帰省 — 道明寺参詣/ミナミ・新世界を歩く

あけましておめでとうございます。


富士

娘と大阪に帰省した。往きの新幹線から見えた富士はきれいだった。年末年始,日本列島太平洋側の地方は例年,好天気に恵まれるものだが,今年もこれに違わず晴やかな日和だった。冬青空という季語は,この時候の澄んで穏やかに晴れた青空の謂いかと思う。大晦日は老父母,娘とすき焼きを喰らい,俺ひとりビールを呑み,紅白を観るともなく観,ゆく年くる年もまた観るともなく観て,新年の言祝ぎならぬ不景気な一句を捻る。

  あきらめをひとつ加へて除夜の鐘

どういう風の吹き回しか,娘がNHK大河ドラマ『真田丸』主人公ゆかりの道明寺に行きたいと言っていたので,実家・松原市のすぐ隣,藤井寺市にある道明寺,そして道明寺天満宮にお詣りすることに。珍しく夜更かしせず元日の朝八時に起きて,娘,父と三人で出かけた。

近鉄南大阪線の道明寺駅。この近辺は昔から土師(はじ)の里と呼ばれ,道明寺天満宮ゆかりの菅原道真も土師氏の出身である。古代の古墳に納められた埴輪を作る人たちだったことから土師と呼ばれたそうである。そして,まさにそのとおり,この地の周辺には,古代の前方後円墳がたくさんある。有数の大規模古墳である誉田御廟山古墳(応神天皇稜)や市野山古墳(允恭天皇陵),仲哀天皇稜,仁賢天皇陵,日本武尊の白鳥陵など,古代史が大好きな方には格好の散策地ともいえるんである。


道明寺・土師ノ里周辺 GoogleMaps

道明寺は六世紀建立の古刹。真言宗の尼寺である。太宰府に流される途上の菅原道真が,この寺にいた叔母を訪ねて別れを惜しんだという逸話が伝えられている。明治五年の神仏分離により道明寺天満宮から現在地に移転された。建立当時は五重塔,七堂伽藍を擁する大寺院だったらしいが,今はその面影はない。俺は小学校の遠足以来四十余年ぶりにここを訪れたのだが,思い出す風景は何もなかった。

道明寺といえば,世阿弥能楽の一曲『道明寺』の舞台である。僧・尊性(ツレ)は土師寺(道明寺)の木槵樹(もくかんじゅ)の実で作った数珠で念仏を唱えることで往生する夢を見る。能『道明寺』のその件に出て来る木槵樹が本堂の左手に植えられてあった。

道明寺では,娘のお目当ての真田丸の史跡らしきものには行き当たらず,道明寺駅舎横にあった大坂夏の陣・道明寺合戦記念碑を眺めた程度だった。縁起物売り場のおばはんに真田丸ゆかりの場所を聞いたら,「そんなんあんの? その辺歩いとったらあるんとちゃうか〜」と言われ,娘は呆れ返っていた。それがカンサイや。


道明寺・本堂

道明寺天満宮はその名のとおり菅原道真をお祀りする。天神様のお使いである神牛の像がたくさんある。道真公が道明寺に立ち寄る際に,白牛が藤原時平の遣わせた暗殺者から道真公を守ったとの伝説があり,道明寺では白牛が信仰されているという。ちょっと古代エスピオナージュが想像されて,興味深かった。


道明寺天満宮・拝殿

大阪ミナミ・道頓堀

道明寺天満宮で柏手を打ったあと,老齢の父を帰宅させ,俺と娘はミナミに遊びに行くことにした。近鉄で阿倍野橋まで出て,地下鉄・御堂筋線に乗りなんば駅で降りて,御堂筋を歩いた。戎橋から有名なグリコの看板を見た。道頓堀では,道頓堀川に沿った目抜き通りの飲食店が元日から大行列。並ぶのも面倒なので,比較的列の短いたこ焼き屋でたこ焼きを買い,路上のテーブルで腹ごしらえをした。ごくごく普通のたこ焼き。

「お父さんが小学生くらいのころは,四個入り十円でたこ焼きが食えた。お好み焼きなんて,戦争で旦那さんを亡くしたやもめのおばさんがやっている近所の店で,一枚二百円くらいで食えた。きつねうどんは七十円。粉もんで八百円,千円取るなんて,アホかと思う」。大阪に来るとガキのころの思い出を娘にしてしまうものである。「でもそのころはアコギな商売をするたこ焼き屋が多くて,三十個焼けるたこ焼き鉄板に二十くらいのたこの切り身をばらまいて作る店があって,たこが入っていないものにもかなりの確率で出くわすんだな。たこ入っとらんのに何がたこ焼きや,みたいなところがあったな。いまそんなアコギをやろうもんならすぐ客が逃げてしまうだろうね」。

俺は松尾芭蕉が客死した地を見たい気もしたが娘が嫌がるかと思い,そのあと,心斎橋駅から天王寺に戻ることに。まだ昼の一時である。天王寺の歩道橋から通天閣を遠望し,新世界に行こうと思いつく。降りたばかりの地下鉄をまた乗り継いで行く元気も失せ,会社の経費でしか乗らねえぞと普段は思うのだが,この際タクシーを拾う。運ちゃんは通天閣の麓まで連れて行ってくれた。


通天閣

新世界というと,俺なんかは大阪でもガラの最悪の部類に属する歓楽街の印象があった。中学二年のとき,友人と二人で電気の街・日本橋に行ったついでに,新世界に寄り道したところ,不良高校生とおぼしき三人組に囲まれて「おまえらどこの学校や?」と訊かれ金をせびられ,友人と二人して天王寺まで逃げて事無きを得たことがある。逃げるは恥ならず。そのころの新世界は人相の悪い労務者風,ヤクザ風ばかりが徘徊するところで,若い女性などほとんど眼につかなかったと記憶する。

それがいまや大阪を代表する観光スポットである。俺の記憶にある昔の面影はほとんど失われた。坂田三吉ゆかりの土地柄であり,賭け将棋の店がかつてはたくさんあったのだけれども,いまはそれらはどうなったのか,俺の眼につくところには認められなかった。可愛らしい女の子のグループ,若い恋人たちが平和に歩いている。自撮棒をもった,中国語のうるさい観光客で満ち溢れている。若い女性をターゲットにしたクレープなんかも売られている。

韓国人もいっぱいいるみたいね,と娘が言う。「へぇ,なんでわかんの? お父さんは話している言葉を聞かないとわからんね」—「韓国の男の子はみんなマッシュルームカットしてるから」—「そして女は整形して,どいつもこいつも皆同じ顔ってわけか」。でもって,皆が皆,一様に,ひとえに大学不正入学への怨ゆえに(朴槿恵大統領の壟断がどうのこうの言っているが,朴槿恵の汚職はこれまでの大統領と比べていかがなものか。こう考えると,一般人の怒りは,国家機密漏洩などという難しいことに対してではなく,厳しい受験戦争の環境下でズルをした奴へのやっかみである。だからこそ小中高生のような政治に無関心な大衆があれほどまでに集結するのである。このデモは韓国伝統の「怨」の発露であって,民主主義とは何の関係もない),ロウソクをもって大統領辞めろのデモをなす。日本人も等質だと評されてはいるにせよ,韓国人の画一的国民性に寒気を覚えるのは俺だけではないだろう。

新世界東映・日劇なる映画館があった。『仁義なき戦い』,『次郎長三国志』,その他,ゲイポルノ,ノーマルなピンク映画が掛かっていた。ゲイポルノのポスターを見てちょっと観たいなあと娘。「本日オールナイト興行!」。おそらく常連が正月から夜を徹してピンク映画を堪能しに来るのであろう。これこれ,これこそかつての新世界の残滓,絶滅して往く最後の精華である。


新世界東映・日劇

この映画館の風情で,いかがわしく荒んではいるが活気に満ちた昔の新世界の雰囲気を遺すものをちょっと見歩きたくなった。閉まってはいたが,大衆演劇のハコがあった。チャン・グンソクなど一昔前の写真ばかりを掲げた韓流グッズショップは,微妙に流行を外しているところが大阪らしいと俺には思われた。大阪は在日朝鮮人も多くディープな韓流ファンがいる。


大衆演劇・朝日劇場,韓流ショップ

串カツ屋・てっちり河豚料理屋が犇めくなかに,「喫茶スター」なる超古風な喫茶店を見つけた。ホットケーキが食いたくなり入ることに。外から見ても,内を見ても,いったい何年営業して来たのかと思うような古びた店舗だった。ジャンパー,キャップを着けた初老のオヤジ,髪をひっつめてぷっくり肥えた,やはりジャンパー姿のおばはん,犬を侍らせたちょっと雰囲気のある爺,などなど,明らかに外を歩く遊行客とはひと味もふた味も違う客ばかりだった。犬を連れ込んで叩き出されない客とはどんな人物かを考えると,ヤクザ上がりの常連客かと俺は想像した。こんな古風な店は客も古風であった。俺の知るあの新世界の住人であった。


大型串カツ店舗,喫茶スター

娘が注文したミックスジュースを少し飲んでみた。むちゃくちゃ懐かしい味がした。この店の定番のようであった。「じゅうすぅ,ひとぉつ」と店のおばちゃんが店主に伝えていた。「そうそう,こんなジュースだった。うまいね」。

また娘に昔話をしてしまう。「信じられないかも知れないけれど,お父さんが中学生くらいのころ,中高生は親や学校から喫茶店に入るのを厳禁されていたんだよ」。かつてはどこの国でもそうだったが,パブや喫茶店という場所は,非合法活動をする輩の連絡・集合場所であったことが多い。「喫茶店とは,コーヒーを飲むところというよりも,客に女の子を斡旋する売春のポン引きヤクザ者が出入りしているのが普通の,悪の巣窟だったんだよな」。暴走族や学生運動の活動家がたむろする場所でもあった。だからほぼ十八禁扱いとなり,喫茶店に行くなという学校の生徒指導がうるさかったわけだ。もちろん,そういういかがわしい行為を排除する努力をなす店 — そういうのは純喫茶などと称していた気がする — もあったのだけれども。ちなみに,東京の吉原にはソープ嬢の写真を見せて店舗案内をやっている喫茶店がいまもある。

地下鉄・恵美須町駅から帰ろうと商店街を歩いていると,占いのおばはんが声を掛けて来た。なんと耳飾りにペ・ヨンジュンの写真をぶら下げている。俺は無視するが,娘が受け答えして捕まる。女はこういうのにすぐ関心を惹かれて困る。娘が占ってもらっている間,俺は商店街,横町をぶらぶら。エロビデオボックスの扉に「ひやかしことわる」との貼紙のストレートな手書きの文言を見て大笑い。いったい誰がエロビデオボックスに冷やかしなんかで入るかいな。ゲームセンターの前にズラリと並んだガチャポンに,「激エロ」と書かれた真っ黒で中の見えないものがあり,ちょっと興味を惹かれる。昔,米国のお土産などに,傾けると服の絵が移動してバニーガールが全裸になるお色気ライターがあった。そんなのが出て来るのなら,千円くらい試してもいいかと思ったが,すぐに,どうせブルセラ・パンツか何かだろうと想像がつき,止め。


新世界の占師,ペ・マチさん

娘の占いが終わった。「なんか,ペ・ヨンジュン命みたいなおばさんだったけど,面白かったよ。一昨日,釣瓶のテレビバラエティ番組に出たって自慢してた。アタシの風水を表でみると,『今年は停滞期』って書いてあったんだけど,『ということは,現状維持ってことやね』だって。ものは言いようだって感心しちゃった。お父さんのこと愛人かって訊かれたから,パパです,ん? いや,父上ですって言わなくちゃならなかった。そしたら,『アンタはいい福耳してるから,会社の社長と一緒になって金持ちになるなあ』って言われた」。

占いとは,かくして,コミュニケーションの時間ということだ。辻占いも昔から新世界の風景にあったもののひとつである。

それにしても,ケバい娘を連れ歩くと俺は愛人だと勘違いされるようである。かつて,高校の制服を着た娘をカラオケなどに連れ歩いたときは,援交スケベオヤジと間違えられては困ると勝手に思い込んで,他人とエレベータで待つときなど,ことさらに母親の話題を持ち出して,親子であることを強調しないではおれなかったものである。