PC 今は昔

屋根裏部屋の書斎を整理していたら,もうそろそろ廃棄すべきパソコンの骨董品が出て来た。俺のかつての文房清玩の品々。

Microsoft Windows 3.1 と Microsoft Macro Assembler Ver. 6.1


Microsoft Windows 3.1, Microsoft Macro Assembler Ver. 6.1

まだフロッピーディスクでソフトウェアが配布されていたころの製品。俺は 1991 年,IBM PC-DOS V 5.0 からコンシューマ向けパソコン OS を使うようになったが,Windows 3.1 になってようやく TrueType フォントがサポートされ,ビジネス文書作成でも使えるようになった感があった。会社が個人用 PC を配布するようになったのも Windows 3.1 からであった。それまでは部に数台のワープロ専用機,プレゼン資料作成用の共用 Mac がある程度だった。

Microsoft Macro Assembler は通称 MASM と称した。俺にとっては,Intel 80486/80586 プロセッサ・マシン語のお勉強のためのものだった。四冊からなる英文の立派な冊子体マニュアルが付属しており,勉強の役には立った(のちにオークションで売り払ってしまったのだが)。

コンパイラはこの他,Microsoft C/C++ Ver. 7 を愛用していたのだけれども,当時は値引き価格で 7 万円もした。俺にはコンパイラの組み込まれていない計算機という概念がないので,懐具合に悲鳴をあげながらも C/C++,MASM を買い入れたのだった。それがいまや開発ツールは原則タダなわけで,時代の波というものはわからない。

もうフロッピードライブがないので読めるかどうかも不明である。プラスチックと磁性体のたんなるゴミと化してしまった。ソフトウェアとはそういうものなのだ。

Microsoft Windows 95


Microsoft Windows 95

爆発的にパソコンを普及させた立役者。TCP/IP をコンシューマ向けにサポートしたことで,インターネットをも身近なものにした。Windows 知らぬ者から窓際族(ウィンドウズ)。というか,Windows 95 の登場で,パソコンをはじめる人が増殖され,むしろ,— Windows 猫も杓子も95,てなもんや。

Microsoft 社はこの OS の凄いところとして「プリエンプティブなマルチタスク」がどうのこうのとごたくを並べていた。しかし,Windows 95 は,なによりも,その発売日にパソコンオタクが徹夜で秋葉原の電気店に列をなしお祭り騒ぎをして,ニュース報道がなされたくらいのフィーバーぶりで記憶される。もう二十年以上になるわけである。バブルが崩壊して間もない,阪神淡路大震災,オウムのサリン事件など強烈な事柄が立て続けに起きたころでもあった。

Microsoft Windows 2000


Microsoft Windows 95

ビジネス用業務アプリケーションクライアントプログラムをきちんと動かせるはじめてのコンシューマ向け Windows OS ではなかったかと記憶する。ん,それは Windows NT からか? しかし,NT はビジネスユースで高価であった。Windows 2000 の登場で,Microsoft がやっとまともなマルチタスク OS を提供してくれたという印象があった。Microsoft OS では FreeBSD とのマルチブート環境で俺自身がいちばん長く愛用した製品である。

BSDI BSD/386 Ver. 1.1


BSD/386 Ver. 1.1

米国カリフォルニア大学バークレー校が開発した BSD UNIX(4.3BSD, Berkeley Software Distribution)を IBM PC-AT 向けに移植した正統的 UNIX 製品であった。1993 年にこの最初の版を購入したとき,なんと 17 万円もしたんである。いまなら Linux も FreeBSD も進化し,大枚をはたいて個人ユースの OS を購入するなんてばかばかしくなってしまった。

ともあれ,当時はあこがれの BSD UNIX を手に入れたとたいへんに感激したものである。X Window System X11R6 が自宅のパソコンで立ち上がったときはひたすら感動した。渋谷にあった JCS というメーカーの組立てた Vintage マシンと,DEC(Digital Equipment Corporation)製ワークステーションモニタ,DEC 101 英語キーボードを買いそろえたのもこの OS に相応しいと考えたからであった。

BSDI_logo.png
BSDI ロゴ
俺はこれで UNIX とシステムプログラミング,TCP/IP ネットワーキングを勉強した。マシンのホスト名をヘルダーリン詩に現れる霊的女性の名から diotima と名付けた。その後,宅内ネットワーク上のマシンが増える度に,beatrice,margarita,tatyana,laura,sofiya,… と,文学作品の登場人物からホスト名を付けるようになった。BSD/386 は蜥蜴の BSDI 社のロゴがなかなか渋くて,その壁紙を愛用していた。

BSD/386 は ISA バスマシンでしか動作せず,比較的製品生命の長かった Intel i486DX2 マシンでかなりの間愛用したわけではあるが,世の中が PCI バス主流になるに及んで,俺はこの高価な OS を捨て無償の BSD クローン・FreeBSD に乗り換えた。BSD/386 の開発元の BSDI 社はその後,UNIX ソースコードの著作権問題が勃発した煽りで消えて行った。

Comprehensive TeX Archive Network, Jan. 1997


CTAN 1997 CD

文書整形システム LaTeX の統合アーカイブ CTAN の 1997 年 1 月時点の集成 CD。秋葉原の UNIX ショップで手に入れた。昔は米国のフリーソフト CD が欲しくて,よく秋葉原をうろついたものである。その後,秋葉原はアニメフィギュアやらエロゲーやらメイド喫茶やら,オタクの聖地と化してしまい,疎外感ばかりを煽られる場所となり,とんと行かなくなってしまった。

病院のベッドでの無聊のすさびごとに,The LaTeX Companion(LaTeX パッケージに関するバイブル的書物)を読みながら,この CD からパッケージを導入して,多言語組版を研究したのが懐かしい。