日米開戦 75 周年

今日 12 月 8 日は大東亜戦争開戦,真珠湾攻撃からちょうど 75 年にあたる。8 日未明に作戦が実行されたので,どちらかというと 7 日の夜といったほうがよく,米国時間では "Remember Pearl Harbor" のカイロスは 12 月 7 日である。

安倍首相は今月 26, 27 日にハワイを訪れ,オバマ大統領と首脳会談をするとともに,真珠湾を慰霊訪問する。聞くところによれば,意外なことに,真珠湾を公式に訪問するのは歴代首相で初めてのことだそうである。真珠湾攻撃は卑劣な奇襲として激しい怒りを引き起こし,本来的に孤立主義であった米国人を戦争に駆り立てた契機になったわけで,米国人にはいまだに癒しがたい怨讐となっている。

よって,生半可な状況では日本の首相に来られても米国人にとって迷惑な感情を引き起こす可能性がなくはない。しかし,現在,米国と日本とは同盟国であり,最大の友好国同士となったのであるから,そして,今年 5 月にオバマ大統領が広島を訪れるという画期的出来事がなされたからには,日本の首相が慰霊に訪れるのはけじめとしてたいへんに意味があることだと思われる。

それにしてもつくづく思う。75 年前,日本という国が米国を相手にガチで戦争をおっぱじめたということ。無謀とか身の程知らずとか,いまにして考えればいくらでも言えるわけだが,それにしても,恐ろしい決断をしたものだと思う。座して死を待つよりは闘って死すという気合いはわからないでもない。それでもやはり,敗戦という結果はいまだに日本の国際的立場を決定付ける意味をもっているわけで,別の解があったはずだと考えるべきだろう。

俺の関心は,あの戦争が侵略戦争だったのかどうかや戦争犯罪がどうのこうのなどには,露ほどもない。そんなのは敗戦国という地位に付随する話でしかないからである。もっと実際問題として考えないといけないと思う。つまり,ABCD包囲網やらハルノート要求やら,日本が帝国主義列強による極めて過酷な抑圧に晒されていた状況において,どうすれば米国という超大国との戦争を避けたうえで日本の立場を守り得たのかということを,きちんと反省することに尽きる。そして二度と同じことが起こらないようにすることであろう。