元AV女優の女優(もってまわったような表現で申し訳ないが)である及川奈央さんが一般の会社員男性と結婚した,との記事をYahoo!ニュースでみた。「笑顔の溢れる家庭を築いてゆきたい」とブログで記しているとのことであった。
AV女優とは,セックスを他人に見せる「常軌を逸した」生業を生きているわけで,世の普通の人たち(「普通」とは何か定義は非常に難しいのだけれども)からは色のついた特殊な目で,どこか蔑みをもって見られるところがある。これは偏見というものではない。やはりセックスを売り物にすることは「普通」ではないことである。「AVに出てしまった」ことに取り返しのつかない後悔を覚える女優さんもたくさんいるのではないだろうか。彼女たちが少なからぬ世間体の抑圧を受けていることはある意味で致し方ないことと俺も思う。
そういうところへもってきて,このニュースは俺に大いなる救いの気持ちを抱かせてくれた。性欲という原初的な欲望を満たす「いかがわしい」メディアの世界で生きて来た人,どこかヤクザで,ダーティな人間関係のなかで体を張って生きて来た印象(これは偏見かも知れぬ)の拭えない人の口から,「笑顔の溢れる家庭」という,小市民的ではあるが,まっとうな社会人として当たり前の思いの言葉が出て来ることに,安堵感と祝福の気持ちが湧いて来た。
及川奈央さんはAVを引退したあと,改名せずに,AV女優のキャリアを隠すことなく,脱がない女優に転身した。俺は麻雀ドラマビデオ作品『むこうぶち』シリーズで,麻雀を楽しむナンバーワンホステス役としての彼女の明るい演技に感銘を受けた。自分の女優人生に対し一貫したキャリアとしてプライドを持って活躍する姿にたいへんな尊敬の念を抱いたものである。そして今般,普通の人と同じような「結婚」,「笑顔」,「家庭」というような幸福な概念とも結びついたことになる。
おめでとうございます。本当に祝福したいと思う。及川奈央さんのような話を聞くと,日本の社会というものが,なにかの理由で「普通」から逸れてしまった者が本人の意思と活動によりまた「普通」に戻って来ることを許容する,そういう寛容さを備えているということ — こういう点こそが強い社会の特徴なのだと痛感するのである。
それにしても。「普通」って何だ? 「幸せ」って何だ?