海行かば

寒露初候となりようやく冷気を感じるようになった今日,近所の川崎市幸区役所にある幸文化センターで,妻と落語を聴いて来た。幸落語協会主催の「さいわい寄席」という催しで,プロ・アマ混合の噺家が出演して年二回,春と秋に開かれ,今回は第 46 回目という恒例の寄席である。三年ぶりに落語を楽しんだんである。

例によって,観客は老人ばかりであった。落語の笑いの粋がわかるのは老人だけになったということだろうと思う。ちょっとした非日常的イベントに出かけるとなると着物を着付けるご婦人がいるが,そんな昔ながらの老婦人がたくさんお見えで,感銘を覚えた。もらったプログラムに「振り込め詐欺に注意」というチラシが差し挟まれていて,笑えなかった。開催の挨拶に,笑いはボケ防止に役立つとの話があり,やはり,笑えなかった。

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寝る前に妻と四方山話をしていると,妻の意外な面をいまさらながら発見して面白いと思うことがある。

昨夜,私は YouTube で太平洋戦争に関わる動画をたまたま視聴したあとだったからか,ふと何気なく「海行かば 水漬く屍」が口をついて出た。すると妻がすかさず「山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ…」と続ける。なんでそんなこと知っているんだ?「高校のころ,毎朝,父(小学校の校長先生であった)の車に同乗して登校したんだけど,その途中車のなかで軍歌ばかり聴かされて,もううんざり。そんなわけで,『海行かば』とか『ラバウル海軍航空隊』,『同期の桜』,『月月火水木金金』なんか,知らず知らずの間に覚えちゃったのよね」。義父は昭和七年生まれで,子どものころは軍国少年だったらしい。あと何年か早く生まれていれば志願したのにというのが口癖だったようである。おかげで,妻はいくつも軍歌を諳んじている女子高生に育ったわけである。

私が小学生のころ近所のオヤジ(キャッチボールの相手をよくしてくれたんである)の家に遊びに行くと,帝国海軍神風特別攻撃隊のドキュメンタリー8ミリフィルムをしばしば見せられた。8ミリ映写を暗闇のなかで見ながら彼は往時を思い起こしてか涙を流していることがあった。このオヤジは元・帝国海軍兵曹で空母の搭乗員(艦名を聞いたはずだが忘れてしまった)であった。

また,やはり小学生のころ,友人の父親に南部十四年式自動拳銃を見せてもらったことがある。本物である。彼は元・帝国陸軍中尉だった。当時の私はわからなかったが,いまにして思えば彼は終戦後の武装解除に応じなかったわけである。軍部は配給品と兵との突き合わせチェックをして員数確認をしたはずだろうから,何故に彼が軍令違反を咎められずに到ったかは私にはわからない。彼はいずれまた機を見て決起せんと思い続けていたそうで,よって拳銃と日本刀を隠し持っていたらしい。友人はいま何をしているのだろうか。その父親はまだご健在なのだろうか。そして,まだ決起の心を持ち合わせているのだろうか。

高度経済成長期に育ち,戦後のGHQの政策に端を発するいわゆる「自虐史観教育」(要するに,日本はアジアを侵略した極悪非道の民族・国家であったということを教え込む戦勝国による情報操作)を植え付けられた平和の世代である私からすると,こういう現実に接すると期を画する何かに直面した感を覚え,ちょっと面食らってしまうところがないわけではない。それでも,やはり祖父,父の世代の記憶は,教育がいかなるものであれ,なんらかの形で心の底で伝わって行くもののようである。

海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ

妻との話から,こんなことをつらつらと思い出した。やはり,笑えなかった。

なんか,とりとめのない話だった。