『俳壇』十一月号「昭和俳句レトロ館」— あるいは,昭和の記憶とプロコフィエフ

本阿弥書店から発行されている俳句雑誌『俳壇』十一月号の特集は「昭和俳句レトロ館」というものである。「俳句とエッセイ,写真で綴る昭和回顧録」とのサブタイトル通り,十四名の俳人の,人・物・事の観点で自作の三句,択んだ写真と小文が,それぞれ見開き二頁で編まれている。三島由紀夫の割腹自殺,黒電話,スター誕生(山口百恵などを輩出した芸能アイドル・オーディション・テレビ番組),学生運動の混乱,幼い頃の故郷の懐かしい風景など,個人の記憶における昭和の印象的な事柄がテーマになっている。

昭和というと「激動の」というのが枕詞のように付くわけで,それは当然,常軌を逸した戦禍を被った太平洋戦争と,戦後の経済大国・技術立国への転換,それに伴う国民生活の急激な変化を指している。俺は戦後生まれなので,「激動の」主たる属性である戦争の悲惨と困苦の面は記録,周囲の人々の記憶の断片から想像するばかりである。いずれにせよ,「激動」という形容に相応しく,昭和を巡る個人の記憶と感情の振幅は大きくかつ多様で,『俳壇』特集記事からもその片鱗は伺えた。

エッセイスト・泉麻人が『縁側の吊り手鉢』という題で巻頭エッセイを書いていた。「近頃『昭和』というフレーズは,単なる元号や時代を表す語意を越えて,懐かしさや古臭さを表現しようというときにも使われるようになった。〔…〕『昭和ですねぇ…』」(『俳壇』十一月号,五十二頁)。家庭でテレビの位置によって食卓の家族の座る場所が決まっていて祖母がいちばんよい席だったとか,缶蹴りなどガキどもの遊びの思い出,ご用聞きの兄さんに助けられて補助輪無しの自転車に乗れるようになったという話は,俺の記憶ともオーバーラップするようなところがあって面白かった。

こういう特集記事に接すると,自ずから,自分自身の昭和の記憶にこころが馳せて往くものである。幼い頃,天王寺の大叔母のところに預けられていたとき,こっそり白飯に醤油をぶっかけて食っていたのを大叔母に見つかりこっぴどく叱られたこと。「ちゃんとしたご飯食べさしたってんのになんでこんな貧乏くさいことすんねん!おばちゃん情けないわ!」。「皇太子はんと美智子はんのパレード見とうて見とうて堪らんかったんやけど,工場の仕事でアカンかったんや」と笑う母。「戦争が終わって海軍がほったらかしにしよったゼロ戦の操縦席にのって遊んだなあ」と言う父。

俺の父はたいへん穏やかな性格だったが,このゼロ戦の記憶とともに,「夜に海を沖の小さな岩礁までよく泳いだ」という海の少年の神秘な思い出話をしたことがあり,そういうとき,俺の知らない激動の昭和の領域に消えて行くところがあった。

俺の昭和の記憶は,なぜかかくのごときつまらない些事ばかりである。しかし,その当時の息遣いまでありありと想起されるのは,「終わりの記憶」である。

陛下の崩御。昭和六十四年一月六日金曜日の深夜,世田谷の女のアパートで,前年終盤から連日のように報道されていた陛下ご容態のニュースを見たあと,ストーブの弱い灯りのなか,女と性交した。お互い果てたまにまに昏睡した。翌朝目覚めると,俺は素っ裸のままベッドを出て,再生装置のスイッチを入れ,プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第二番ニ長調のCD,シュロモ・ミンツの独奏によるドイツグラモフォン盤を再生して,珈琲を淹れる。「躊躇うこころ」の表現のように俺の耳には聞こえる,この上なく優しいソナタのテーマ。

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珈琲の香気。そして女の白い裸体。それらに言いようのない安らぎを覚える。ふと,テレビを点ける。陛下崩御を知らせるニュースが流れて来る。なぜか,帝国陸軍兵士が二重橋のたもとで俯いて佇む姿が脳裏を過る。まだベッドでうつらうつらしていた女に向けてか,俺自身に向けてか,「とうとう来たな。これからいろんなことが終わりを迎えるんだ」とつぶやく。そして珈琲カップをベッド脇に置きベッドに潜り込んで,ふたたび女と交わる。ソナタの第三楽章。

陛下崩御に聞き取った,さまざまなことどもの終焉の予感は,その後的中した。バブル景気の崩壊という形で日本の経済は事故に近い急停止状態となり,日本は自信を喪失し,神戸の地震・オウムのサリンテロ事件で「激動の昭和」が実質的に完結した。俺の眼にはこのように見えた。ここから真に新しい日本が問われるのだという強迫観念に俺は囚われていた。そう,日本国の象徴たる天皇の運命はまさにわれわれの運命を指し示すのである。「昭和」という言葉に俺が連想するのは,こうしたことを象徴する「終焉と再生」のモチーフである。

プロコフィエフのソナタ第二番を耳にするたびに,「終焉と再生」という観念と,思い出というにはあまりに些末なことどもとから構成される昭和の対位法で,こころが揺さぶられるのである。

Violin Sonatas 1 & 2
S. Mintz (Vln)
Y. Bronfman (Pf)
Polygram Records
(1990-10-25)