安全保障関連法案に反対する抗議集会のデモの様子が今朝の朝日新聞朝刊に報じられていた。永田町・国会議事堂周辺に十二万人が集まったとのこと。「戦争法案反対」,「安倍政権退陣」。ネットニュースでも目にしたが,掲載されている写真の人の多さは凄い。昔,安保闘争のニュース映像記録を目にした時の驚きと似ていた。
2015.08.31 朝日新聞朝刊一面
市民が敏感に反応している。これは,選挙で選んだからといって白紙委任したわけではない,という意思なんだと思う。さあ,安倍さん,どうこれを受け止め,どういう行動をするのでしょうか。こういうところで政権の誠実さがわかるというものだろう。
私自身は,今回の安保法制について新聞を読んでも,どうしてこれが「戦争法案」と呼ばれるのかさっぱりわからない。携帯電話料金の仕組みと同じくらいわからない。これまで制定された周辺事態法や,米軍への海上給油支援法やらと,何がどの点で本質的に違うのか。なぜこんな無意味な法案に大騒ぎしなくてはならないのか。オレが暢気なだけなのか(ま,たしかに,仕事のことで頭がいっぱいではある)。否,これは国会でデモをしている市民がセンシティブ過ぎるといっているのではなく,安倍さんがなぜにこんな,これまでやってきたことと五十歩百歩の「安保法案」にこだわるのかがまったくわからない,ということなんである。ホルムズ海峡で機雷掃海? なんでいまそんな必要性があるのか。要るならまたその都度法制化すりゃいいじゃねえか。ま,海外に行く自衛隊に対しある程度の裁量を与えるのは彼らの身の安全を考えれば当然である。でもそんなことでなぜこんなに大騒ぎになるのか。さっぱりわからない。オレが暢気なだけなのか(ま,たしかに,仕事のことで頭がいっぱいではある)。
なぜ,安倍さんは改憲を問わないのか(それがホンネであることは皆知っているではないか?),といったほうがよい。いま参院で審議中の意味不明の安保法案のような中途半端なことではなく,ストレートに改憲を真面目に議題に上げればよいのに。そうしたら,選挙で落選させてやろうとホンキで思うのだ。先日出た戦後七十年安倍談話も同様に何が言いたいのかさっぱりわからなかった。村山談話,小泉談話を継承する。で,子孫にはおわびを続けさせたくない。まったく矛盾している。そもそもなんでまたぞろ無意味な談話を出すのか! 「歴史問題」に関わるおわびは世代の問題ではないのではないか? とすると,次世代におわびをさせたくないというのは,じつは,いまこの時点でおわびの気持ちがまったくないということなんである(そういう意味で,この談話,中国・韓国に喧嘩売っているとしか受け取れない。オレはそれに対し別にどうこう言う気持ちはないのだが)。
しかし。現在の日本が置かれた安全保障の状況は難しい問題である。オレは平和と民主主義を信奉する日本国民であり,護憲に与するものである。戦争を起こすことは絶対反対である。それでも,日本国憲法の前文 — つまり,日本国憲法の前提となる思想を述べた部分 — にある,「日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」という基本的考えは,いまこの現代の状況からすると,あまりにも非現実的に見える。
戦後すぐの憲法制定当時は,中国も,朝鮮も,弱小・貧乏国家であって,戦争に敗れた日本に物乞いしかできない国だったので,この日本国憲法前文の言い草は「戦争に負けたけど周辺国はやっぱり弱小でオイラの恐るる相手にあらず」の上から目線を私なんかは感ずる。ところがいまや中国・朝鮮半島はいつでも日本に一矢報いてやると騒ぎ立てる輩に成長し,戦勝国でもないのに(ここがお笑い。日本が破れたのは蒋介石の国民党中国であって,現中国に繋がる毛沢東の共産党・八路軍ではない。そもそも当時の日本人は米国にはコテンパンにやられたが,英国,仏国,蘭国,中国,豪州,加州,ソヴィエト,すなわち,米国以外の連合国の有象無象にやられたとは露にも思っていなかった,と考える。ましてや,朝鮮はわが国の領土であった),日本に対し戦時中の蛮行の謝罪と補償をいつまでも世界に呼ばわり続けるようになった(わが帝国陸海軍は,重慶爆撃やら,細菌兵器人体実験やら,中国にはたしかにひでえことをしたと思う)。中国は南シナ海に軍事埋め立て施設を作り周辺国を不安に陥れ,尖閣周辺に民兵の船団を送り込み,小笠原の珊瑚を乱獲し,海自船舶に艦砲照準を当て,というような危険な挑発を繰り返している。韓国大統領パク・クネの日本の悪口を世界で言い触らす告げ口外交は数知れず。この度は,抗日戦勝記念の中国人民解放軍のパレードに間抜け面(だって当時の韓国は日本領だったので韓国国民は打ち負かされた側にいたわけだから。で,反日共闘中国に卑屈なラブコール。間抜けとしか言いようがないではないか。そういえば,同じくパレードに参加した国連事務総長パン・ギムンは次期韓国大統領候補としての間抜け面を晒しただけである)を並べているわけである。
つまり,こういう隣人にしたくない,かつては弱小だったが,いまや金持ちになった野蛮な三流国家がどうやら何かを研ぎすましているような状況で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できるのか,ということである。この前提ゆえの平和憲法であるのならば,この前提が崩れる限りにおいて考えを改めるべきという意見にも十分な根拠があるのである。それでも私は第九条改正を認めない。憲法はそのままで,予算の許す限りにおいて軍備増強でも,非核三原則の見直しでも(佐藤栄作さんは「持ち込ませた」らしいじゃないですか),防衛装備移転三原則の策定でも,何でもやるがよい,というのがオレの発想である。準備はやれ。でも戦争は absolutely 絶対にするな — だからである。殴られたら,じゃ,どうする。周辺事態法のような法案を通してから,殴り返せばよい。それでも戦争にならないように政府には智慧を絞っていただきたい(米国みたいに,殴られたら車で牽き殺しに行くから戦争になるのである。そうそう,韓国と北朝鮮みたいに,ツバをかけられたらハナクソをつけてやる,くらいでよいのである)。
オレは安全保障関連法案に反対する抗議集会のデモを支持する。意味不明な法案だからだ。でも,もう一方で,米国の顔色を伺うことを抜きにしても,安全保障の準備はすべきだと強く思う。
安保法制が侃々諤々のときに,武藤貴也とかいう国会議員が,平和を愛する学生団体に「戦争に行きたくないのは,自己中心的」などと短絡したことを抜かし(*),一方でインサイダー取引まがいのことで自民党をクビになった。人騒がせな野郎というより,ただのXXでしかなく,すぐに特捜検察に逮捕されるだろう。なんでこんな野郎が選挙で選ばれるのか。これが一番の問題である。また,真面目な議論がなされているときに,不誠実な野郎が自民党の足を引っぱり,自民党はクビでごまかす。ふざけんな,である。警察が後始末をするとなると,これ,どうしようもない政治不信を招くはずである。
(*)だって,安保法案に反対することと戦争に行きたくないということとは直接的には関係ないからである。安保法制に大賛成している人のなかでも戦争はダメだとはっきりと主張する意見が圧倒的に多いとオレは思うからである。安保法制を「戦争法案」と呼んでしまうことも,逆に,この武藤貴也の反知性的思考と同じ短絡をオレは感じてしまうのである。九条改憲がなされない以上,「戦争法案」はありえないのではなかろうか。