池袋リブロ閉店

今日の朝日夕刊一面に,池袋西武百貨店の書店・リブロが今年六月に閉店するとの記事が出ていた。残念である。

20150511-libro.png

1988 年に就職で上京して,大いに驚いたこととして,東京の書店の壮大さがあった。東京駅八重洲口の八重洲ブックセンター,神保町の三省堂,新宿の紀伊国屋書店,そして池袋のジュンク堂とリブロ。大阪や札幌にも大きな書店はあったわけだが,スケールがまるで違った。東京はさすが日本の知の中心地だという感動があった。

そのなかでもリブロ池袋本店は,美術書,詩歌,海外文学の並べ方でうまく購買欲をそそる書店として,私の好きな店だった。音楽 CD の店舗が美術書コーナーに連なっていて,現代音楽やオルタナティブ,フリージャズがわがもの顔で場所を占めているという信じられない光景に,これこそオレの理想の本屋という感銘を受けたのである。買った本につけてくれるカバーも,書家・石川九楊の抽象的書による超渋いデザインであった。私はここでジュリアン・グラック作品や武満徹の室内楽 CD をまとめ買いしたものである。

本屋は斜陽産業である。ただでさえ日本人の読書量が減っているうえに,なんでもネットで買う時勢なので,書棚の見せ方や店舗のコンセプトにどれだけ工夫を凝らしても,書店の客は減る一方のようである。ま,私も最近はアマゾンで新刊を買い,通勤途上の古本屋のワゴンセールのお世話になっていて,昔のように散歩気分で本屋に足を運ぶことが少なくなった。そう思うにつけ,本屋閉店の風潮を嘆く資格のない,すまない気持ちになる。名画座やピンク映画館が消えて行くのと同じ感慨に捕われる。

ところで。大阪に生まれ高校卒業まで暮らし札幌で大学時代を過ごした後に上京して,ホント驚いたことは,もちろん,本屋の規模だけではない。電車が混んでいる,繁華街の人出が異常というのは大阪でも経験があり,地下鉄のないところに住んだことがない私としては,都会としての東京・神奈川の風景はそれ自体としてそれほど目新しいところはなかった。それでも,「えっ!」とびっくりしたことが,リブロの思い出とともに生々しく蘇った。

一,通勤電車の乗客にハゲの多いことよ。よっぽどストレスに晒されているんだな。
一,そのハゲのサラリーマンが — 東スポならまだしも — 少年マガジンを堂々と読んでいるのが多い!
一,通勤客のほとんど皆がウォークマンを聴いている。友人によれば「あれ英語の勉強してるのが多いんだ」との
  話で,さらにぶっとんだ。
一,地下鉄の薄汚いことよ(札幌と比較して,であるが)。東西線の茅場町のドブ臭気を嗅ぐと生きる気力が萎えた
  ものだった。

ん。いま現在とは少し違う風景であった。いまよりずっとガサツだったのは間違いない。