翁長沖縄県知事は,菅官房長官が普天間基地移設候補地・辺野古沿岸の埋め立てを「粛々と」進めると述べたことに対し,「上から目線の『粛々』,使うほど心離れる」と不快感を示した。これについて,ひと月くらい前だか,朝日新聞の天声人語は,この「粛々」の使い方の由来は,頼山陽の,あのあまりにも有名な漢詩だと述べていた。
不識菴 ,機山 を撃つ圖に題す — 頼山陽
鞭聲肅肅夜過河 鞭聲肅肅夜河ヲ過ル
曉見千兵擁大牙 曉ニ見ル千兵ノ大牙ヲ擁スルヲ
遺恨十年磨一劍 遺恨ナリ十年一劍ヲ磨キ
流星光底逸長蛇 流星光底ニ長蛇ヲ逸ス
不識菴は上杉謙信,機山は武田信玄のこと。上杉謙信の軍が,武田軍との暁の合戦に向け,密かに戦意を研ぎすますように馬に鞭をあてて河を渡る,その様を「粛々」と表現している。これだけで「上から目線」というのは少々飛躍が感じられる。しかし,山陽の詩から,戦国の乱世に敵を撃たんとする怨讐の静かな壮絶さがしみじみと伝わって来るわけで,この「粛々」の語のうちに翁長知事が政府の陰険でギラギラした戦闘的意図を読み取って,当然,県よりも国のほうの権力が強大な以上,そこに「上から目線」といういやらしさを感じたことは十分に納得出来るのである。
日本の政治家のことばにも漢詩の伝統(この場合,日本の江戸漢詩なのだが)が生きていることに,ちょっと感銘を覚えた次第である。