麻雀映画『雀鬼』

映画『雀鬼』は,麻雀の裏プロ(博打麻雀のプロのタイプ。当然ながら表のプロがおり,こちらは競技としての麻雀のプロのこと)を主人公にした,シリーズもののビデオ作品である。小沼勝監督,徳間ジャパンコミュニケーションズ製作作品。

二十年間負けたことがなかったという実在の裏プロ・桜井章一をモデルとした作品である。桜井章一氏本人もちょい役で出演している。もう,「超」が付くくらいのB級映画である。昭和五十年代の新宿・歌舞伎町を舞台にした物語なのに,背景にビデオボックス広告ネオンみたいな現代的風物が映り込んでいる,時代考証のぶっとんだ映像(その意味で,昭和の雰囲気は薄い)。こんな安っぽい映画でも,博打麻雀ものは大好きなんである(私自身は麻雀をしないが,映画やら小説やらのおかげで,ルールは熟知しているんである)。

麻雀の裏プロというのは二種類ある。ひとつは雀クマとも呼ばれ,イカサマによって素人麻雀打ちをカモにしてシノギをする者。もうひとつは,やはり積み込み,ぶっこ抜き,その他もろもろのイカサマ・テクニックに頼んで,ヤクザや実業家,政治家の代打ち(代わりに麻雀で勝負する役回り)で稼ぐ者。勝つためには何でもありというのが裏プロの共通点である。映画『雀鬼』の主人公・桜井章一(清水健太郎)は,後者に属する伝説的博徒である。彼は,馴染みの雀荘の主人に乞われて,常連客が雀クマの餌食になっているところにメンツとして入り,その雀クマを叩きのめして常連客(娯楽として麻雀を楽しむ者)を救う。また,義理ある人のために代打ちをする。

『雀鬼4 — 麻雀代理戦争』(1995 年製作)には,サラリーマン風雀士(見栄晴)が登場する。じつは,彼は,会社が倒産したため,家族には新しい会社に就職したと偽って,賭け麻雀で生計を立てている。雀荘を「会社」と称し,サラリーマン然とした規則正しい生活をしている。スーツを着て毎朝九時に雀荘に「出勤」し,「おはようございます」と店主に挨拶し,必ず二着(二位)で勝負を終え,必ず午後五時きっかりに家路に着く。必ず二着に入ることで,ロープロファイルに徹する。がんがんトップを取ると雀荘で目立つのでわざと安い手で上がり,サラリーマンと同じ程度の稼ぎで満足する。その隠れた腕と麻雀ポリシーに粋を感じた主人公・桜井をして,こう言わしめる —「厳しいと言えば,会社員のほうがよっぽど厳しい。自分の身の回り(家族と職場)を大切にしているから,麻雀も大切に打てるんですよね」。ヤクザ,博徒とは対極にあるサラリーマンのような生活人は,毎日,毎日,多過ぎず,少な過ぎず,一定量の仕事を目立たず黙々と確実にやり続ける。そこにこそ厳しさがある,という認識。んー,たしかに。こんな地味にかっこいい見栄晴の演技を見たのははじめてであった。

『雀鬼 — 裏麻雀勝負!20年無敗の男』(1992 年製作)には,じゅんちゃんこと,売春婦・女房のポン引きを稼業とする男(小宮孝泰)が登場する。彼は女がホテルで客を取っている短い時間だけ,麻雀を打つ。あるとき,じゅんちゃんの女が重い病気で入院してしまう。気落ちしたじゅんちゃんは,とても上がれそうにない待ちばかりで麻雀を打っている。一緒に麻雀卓を囲んでいた三十過ぎの謎めいた女が主人公・桜井に言う —「上がれそうもない待ちで上がりたい,そういう気持ちになることだってあるじゃない。じゅんちゃんは病気で苦しんでいる奥さんと同じ気持ちになりたかったのよ」。この女も,ぽつんとひとりで雀荘に足を運ぶ,元小学校女教師という,膚に艶のない,ワケありの女である。

麻雀映画・小説の面白さは,もちろん,麻雀そのものの戦いぶりにあるわけだ。しかしながら,主人公が土壇場で勝利するカタルシスが目に見えていて,その予定調和のアクションストーリーにはじつは少しも面白みがない。つまりは,サラリーマン風雀士,じゅんちゃん,元小学校女教師のような,主人公の周辺にいる目立たない登場人物こそが,隠された人間的魅力を発散して,物語の真の焦点となっている。ここにこそ『雀鬼』の面白さがある。主人公はダシに過ぎないところこそがミソなんである。

もうひとつ,『雀鬼4』では,かつて角川映画のトップヒロインだった渡辺典子が,見栄晴扮するサラリーマン風雀士の奥さんとして,遠巻きのちょい役(顔にフォーカスされることのない,ほとんどエキストラのような役)で出演しているのに,個人的には,なんともいえないさり気なさで感動させられたんである。よーく注意していないと見逃してしまうくらいのさり気なさが,ホント,堪らなかった。元メジャー中のメジャー俳優が超マイナー役で出ていること。俳優の落ちぶれた様をみるというよりも,人生の数奇のなによりの象徴としてこのキャストを受け止めるべきだろう。