今日四月二十一日の朝日新聞『折々のことば』。「《私の言うことを聴いてください》というのは,《私に触れてください,私がここにいることを知ってください》ということだ」— ロラン・バルト,芸術論集『第三の意味』より。そのことばに込められた本当の願いや訴えを聞き取ること。
『第三の意味』のこのことばと直接関係するわけではないが,言語学において,言語表現が直接的意味以外に命令・依頼などの機能を果たす側面について考察する分野を語用論という。
たとえば。冬,部屋の窓が開いている。男は女に言った —「寒いね」。これは直接的には「寒い」という身体的状況を表現しているわけであるが,それよりも「寒いから窓を閉めてくれ」という命令的意図をより強く含む。語用論でよく引かれる例である。
最近,「空気読め」ということばがよく使われる。ことばの語用論的機能が共同体において正当に働かなくなったからこそ「空気を読」まなければならない状況にあるのだろうと思う。さっそく小話が浮かんで来る。
冬,部屋の窓が開いている。男は女に言った —
男:寒いね
女:そうね
男:あのね,寒いから窓を閉めてくれって意味なんだけどなぁ…
女:あ,そうなの,ごめんなさい,空気読まなくちゃね(と言って窓を閉める。そして小声で)…なら自分で閉めたらどうよ。
夏,部屋の窓が閉まっている。男は女に言った —
男:暑いね
女:(目を少し泳がせてから,Tシャツを脱ぎ始める)
男:ちょっ,ちょっと…