Татьяна и Петербург - タチヤーナとペテルブルク

プーシキンの『Евгений Онегин, роман в стихах エヴゲーニイ・オネーギン — 韻文小説』は発表当初から筋の不自然さを指摘されてきた。そのひとつの例として,女主人公・タチヤーナは第二章でロシアの素朴な田舎貴族の娘,見た目も十人並みの陰気な娘として登場し,第五章では貴族というよりは農民の心性に近い精神性を備えた娘として描かれるのに,第八章でいきなり,ペテルブルクの社交界に君臨する,美貌の,最も洗練された貴族女性に変貌する。

もちろん,この変貌の内在論理として,彼女がフランス小説に心酔していたことから西欧の洗練された文化的素養を自然に身につけていたのだ,というような理解もできないことはない。しかし,フランス小説耽読のモチーフはむしろ,小説のフィルターを通して人生を把握する滑稽な姿として,プーシキンによって徹頭徹尾皮肉な描かれ方をしていたわけで,このモチーフが肯定的に転換されるような解釈は説得力に欠ける。女性として成熟したのだという解釈はもっと恣意的である。

私自身,女主人公の性格描写にはちょっと無理があるのではと,この作品をはじめて読んだときに感じた。オネーギンとタチヤーナの関係が最後に逆転するような対照性(第三章でオネーギンが「きわめて立派に」タチヤーナの「子供のような」恋心を拒絶するのとは対照的に,第八章で逆に「子供のように」タチヤーナに恋してしまったオネーギンを今度は彼女が退ける)に面白みを覚えたものだった。

しかし,『Медный всадник - петербургская повесть 青銅の騎士 — ペテルブルク物語』を丹念に読むと,その内在論理がはっきりと理解できた。この作品は『エヴゲーニイ・オネーギン』完成後,1833 年に書かれたもので,主人公の名が同じエヴゲーニイであることから,韻文小説における詩人の問題論を受け継ぐ作品であると想像がつく。ここで,タチヤーナの姿は — どれだけ異様に思われようと —,ペテルブルクという都市の運命に変貌したのである。

Прошло сто лет, и юный град,
Полнощных стран краса и диво,
Из тьмы лесов, из топи блат
Вознесся пышно горделиво;
Где финский рыболов,
Печальный пасынок природы,
Один у низких берегов
Бросал в неведомые воды
Свой ветхий невод, ныне там
По оживленным берегам
Громады стройные теснятся
Дворцов и башен; корабли
Толпой со всех концов земли
К богатым пристаням стремятся;
В гранит оделаса Нева;
Мосты повисли над водами;
Темно-зелеными садами
Ее покрылись острова,
И перед младшею столицей
Померкла старая Москва,
Как перед новую царицей
Порфироносная вдова.
А. Пушкин «Медный всадник».
В кн.: А. С. Пушкин, Полное собрание сочинений в 10-ти томах, Том 4-й. Л.: «Наука», 1977, С. 274-275.
百年経った。若い都は
北方の国ぐにの精華として 驚異として
暗い森 しめった沼地のただなかから
誇りかに壮麗の姿を現じた。
その昔 フィン族の漁夫
哀れを誘う自然の継子
ただ一人ひくい岸辺に立ち
古網をあてどもなしに水底へ
投げ入れていた所 そこにいまは
さんざめく河岸沿いに
宮殿・塔の壮大な建物が 整然と
すきまもなしに立ち並び 船どもは
群れをなして 世界の果てから
ゆたかな埠頭へ押し寄せてくる。
ネヴァ河は御影石の装い凝らし
水の上には数かずの橋が渡され
あまたの中州は
濃緑の苑におおわれ
かくて新しい都の前に
古都モスクワの光は薄れた
さながら新しい后の前の
大后のように。
プーシキン『青銅の騎士』木村彰一訳,
『プーシキン全集』第二巻,河出書房新社,昭和四十七年,595-6 頁。

『青銅の騎士』の『序』のくだりである。貧しい漁民がほそぼそと暮らすばかりの暗い湿地だった土地が,世界で最も豊かで壮麗な都市に変貌したという。漁師の言及は元漁師だった使徒ペテロがおそらく念頭にあり,初期ペテルブルクは大帝ピョートルのというよりもむしろペテロの都市というイメージのようだ。ここで「哀れを誘う自然の継子」の土地が,高貴で洗練された「新しい后」に変貌したと譬えられている。これはまさにタチヤーナ変貌ぶりと同じではないだろうか。しかも,タチヤーナの最初の描写に次のようなくだりがある。

Итак, она звалась Татьяной.
Ни красотой сестры своей,
Ни свежестью ее румяной
Не привлекла б она очей.
Дика, печальна, молчалива,
Как лань лесная боязлива,
Она в семье своей родной
Казалась девочкой чужой.
А. Пушкин «Евгений Онегин», гл. 2, стр. XXV.
В кн.: А. С. Пушкин, Полное собрание сочинений в 10-ти томах, Том 5-й. Л.: «Наука», 1978, С. 40-41.
で 彼女の名はタチヤーナ。妹の
オリガとは打って変わって 彼女には人の目を惹く
器量もなければ ばら色の
みずみずしさも見られない。
人づき悪く陰鬱で言葉少なく
森に棲む牝鹿のように臆病で
両親の家にいながら
よその娘みたいな工合であった。
プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』第二章,XXV 節,木村彰一訳,前掲書,77 頁。

見た目のぱっとしない,陰鬱な,しかも「両親の家にいながらよその娘みたいな」娘は,暗くみすぼらしい,「自然の継子」のイメージとまさに一致する。この野暮ったい娘が第八章においてペテルブルク社交界の美貌と教養を誇る女主人となる一大転換も,「新しい后」としてのペテルブルクに相応する。ペテルブルクの大きな変化が歴史的事実である以上まったく違和感を生じさせないくらいに,タチヤーナの変貌はプーシキンにとってなんの矛盾もなかったのである。それがロシアというものなのだ。

タチヤーナの運命がペテルブルクという都市の運命に変異したことは明らかである。「русская душою, / Сама не зная, почему こころねはロシヤ娘でありながら / 自分ではどういう訳かわからずに」いるタチヤーナのキャラクターには,ロシアの象徴のような意味が籠められていることを踏まえると,ペテルブルクという都市の表象にロシアそのものの歴史的・運命的問題論が担わされている,ということも容易に理解できる。

『エヴゲーニイ・オネーギン』におけるオネーギンとタチヤーナとの関係は,恋愛感情のすれ違いという人間的生の皮肉として現れた。『青銅の騎士』では,貴族からただの一介の民衆に落ちぶれたエヴゲーニイと,ペテルブルクという都市の担うロシアそのものの国家的表象との,葛藤に転化された,といえるのである。エヴゲーニイの社会的地位が一般人に格下げされ,一方で,ロシア的女主人公が国家的都市に格上げされ,『エヴゲーニイ・オネーギン』は『青銅の騎士』として,無名の個人と国家との悲劇的緊張に満ちた壮大な都市文学に昇華した,ということができる。

Петербург («Печальный пасынок природы») в поэме «Медный всадник» похож на Татьяну в романе в стихах «Евгений Онегин», которая иногда «в семье своей родной / Казалась девочкой чужой», и которая потом стала знатной дамой, цветом столицы. Вот это причина преображения характеристики Татьяны. Она стала самой судьбой России.