『梁塵秘抄』は日本歌謡の古典中の古典である。今日は『梁塵秘抄』関連本二冊。
西郷信綱『梁塵秘抄』日本詩人選22,筑摩書房,1976年。「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ」— このあまりにも有名な今様について,西郷はホモ・ルーデンス風の安易な読み方をしない。況や,「我が身さへこそゆるがるれ」の解釈において,「身をゆるがす」までの罪業深き生業への悔恨を読み取るような近代的倫理観を,さらさらに退ける。なぜならこれは遊女の歌だからである。
日常の仕事をやめて何かをするのが,アソビの本義である。タハブレも,常軌を外れるという意をふくむ。ところが遊女には,常人と違ってなりわいそのものが運命としてアソビであった。遊女のそういうなりわいとしてのアソビと童子らの無心なアソビとの二相が,かくてここで奇しくも等価関係に置かれるのである。
遊女は謡い,踊って,観るものを楽しませ,慰め,客と床を共にして,心身の究極の快を与えさえする(小沢昭一が指摘するように,密室でただひとりの観客を相手に色演技をなす)。「アソビ」「タハブレ」とはそういうことである。与えられるほうは日常の仕事から一時的に解き放たれた遊興である一方,与えるほうは仕事,生業である。私と公との対峙・すれ違いなどというと,いささか大げさでかつ近代人の愚かな深読みと捉えられるかも知れないが,このギャップにものあはれを感じないではおれない。
いま一冊は『梁塵秘抄口伝集』馬場光子全訳注,講談社,2010年。本書は『梁塵秘抄口伝集』の校訂原典に対し,現代語訳,語釈,補説を付して,おそらくもっとも詳細な注釈書のひとつに仕上がっている。
『梁塵秘抄』は平安末期の後白河院の編んだものだが,本来,歌謡集十巻と口伝集十巻とから成っていた。そして院の意図としては,歌謡集よりもむしろ口伝集こそが主流をなす内容だったようである。今様の修練,系譜,傀儡女たちとの交流の記述を通して,この集成こそが今様の正統的な集大成であり,また院そのひとが今様の正統を体現した者であることを執念で綴った,というのが『梁塵秘抄』である。
それにしても,後白河院が『梁塵秘抄』を編んだというのはつくづく面白い。『梁塵秘抄』の歌謡の担い手は傀儡女,遊女である。いま現代の風俗で譬えるならば,枕営業をなす女性アーティストのような存在ではなかろうか。上皇ともあろうやんごとなきお方が,そんな女たちを宮廷に招き入れて,彼女たちから熱心に歌と踊りを習っていたわけである。天皇陛下がAKB48に夢中になって,皇居内に私設劇場を設置し連日その公演に血道を上げて研究に勤しみ,『AKB48研究大全・全二十巻』を刊行する — いまで譬えるならば,さしずめそのようなイメージではなかろうか(AKB48が枕営業をしているとは言わない)。
しかしながら,古代日本において「アソビ」女性は上下貴賤の枠を超越した特別な位置にあった。西郷信綱も指摘している。
かく遊女は端舟に乗って大傘をかざし,さながら貴女のごとき出でたちで,御幸の舟などにもおそれることなく推参した。延喜式に,大簦(かさ)は妃以下,三位以上,及び大臣の嫡妻にのみ許す(雑式)と規定している,その大簦をかざすことができたのは,遊女が体制外の存在であったからではなかろうか。
また,西郷は大江匡房の『遊女記』から,江口(古来有名な遊女の里)に関する次の記述を引用している —「蓋天下第一之楽地也,……上自卿相下及黎庶,莫不接牀第施慈愛」(同書,35頁)。思うに,天下第一の遊興地であり,……上は貴族から下は庶民まで,床に共に寝て愛を施さないことはない(私訳)。上下貴賤を往来できる特別な存在だったということだろう。
天皇陛下がAKB48に夢中になるとのはちょっと違うようである。