森鷗外『舞姫』

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森鷗外『舞姫』を,なんとはなしに,久しぶりに,もう何回目か,再読した。なにをいまさら鷗外,Oh, Gay! とは言うなかれ。鷗外は明治・大正の文豪ではあるけれども,彼が描いた人間像はこんにちの日本人の性格をもよく現している,と改めて驚いたのである。

『舞姫』は鷗外がドイツ留学から帰国して一二年しか経ていない明治二十三年に発表された。この作品とそれに続く『うたかたの記』(明治二十三年),『文づかひ』(明治二十四年)を合わせてドイツ土産三部作と称されている。鷗外二十八,九歳の初期小説作品である。

『舞姫』は一人称体の短篇小説である。その和漢混淆の擬古文体はドイツ土産三部作に共通する文体的特徴である。日本の過去を描くのならまだしも,西洋の同時代の風俗と近代的自我とを描くに,古めかしい文体を択んだのは,ちょうど言文一致の新文体が現れはじめた日本近代文学の草創期においては,若い作家特有の文学的衒いからではない。それこそ伝統的アプローチだった。それでも,漢文訓読体の傾向の強い雅文様式に,十九世紀プロイセンの文物・風俗が織り込まれていると,現代人の目からすれば,却って一種独特のエキゾチシズムが印象付けられる。当時の読書人がどのようにこの文体を受け止めたかは寡聞にして知らないけれども,思うに,そこに作品の大きな魅力がある。

明治中期の前途有望のエリート官僚である主人公・太田豊大郎は,官費留学中のベルリンで,貧しいけれども若く美しい踊り子・エリスと出逢い,恋に落ちる。賤しい踊り子に現を抜かしているのを同僚の留学生によって上長に告げ口された彼は役所を解雇されてしまう。友人の紹介で新聞記者として働くうち,語学力を買われて在独大使に外交官として重用されるようになり,大使から彼の片腕として共に日本に帰ろうと誘いを受ける。官僚としての出世か,エリスとの幸福な生活か,いずれを採るかで太田は悩み,心労で病に倒れてしまう。その病床の間に,友人・相沢謙吉はエリスに対し,太田が彼女を捨てて日本に帰ろうとしていることを告げ,エリスは太田に裏切られたと思い,精神を病んでしまう。太田はエリスと別れて帰国する。

あらすじはこのようなものである(高校の教科書などで誰もが一度は読んでいるだろうから,改めてしるす必要はなかったかも?)。出世か,恋人かを迫られ前者を選択した,という,ま,よくある話である。

しかしながら,明治の気風において,すなわち,西欧文化を吸収し立身出世を果たすことが,最高の男の生き方であり,かつそれが個人に留まらない家・眷属からの強い圧力を受けるべき価値であった時代にあっては,「出世」はいまわれわれが考える以上にエリートにとって恐ろしい要請だったはずである。そして,踊り子などという職業の女性(売春婦とほぼ同じ蔑みを受けた時代だ)あるいは出自のいかがわしい外国人女性を正妻として迎えることは,封建秩序の著しい当時の日本では「出世」とは相容れない事態だったはずである。太田はエリスとの関係が露見して現に解雇されている。だから,太田の選択は二者択一,二律背反だった。エリスと出世を両立するという道筋は考えられなかった。それゆえ太田は「腸日ごとに九廻すともいふべき惨痛」(はらわたが何度も捩れるくらい甚だしい苦痛)と,— 現代人からすればちょっと大げさではないかとさえ思われる — 悔恨を吐露するわけである。

ここで太田の選択の仕方は新しい時代の日本人の心性を鮮やかに示している。太田は学力に秀で語学に堪能で,明治の帝国大学法科出身のエリート官僚である。しかし本人が「所動的,器械的の人物になりて自ら悟らざりし」と自己分析しているように,言われること,命ぜられることを完璧にこなせるだけの「活きたる辞書」,「活きたる法律」に過ぎない。要するに,お勉強はできるが,「独立の思想を懐きて」「人なみならぬ」ことを敢えてなす主体性・能動性には決定的に欠ける,弱い人間である。そして,それを自覚している。

こういう人間が,西洋の文化に触れて,自由・独立の精神に富む西洋と,己を「活きたる辞書」,「活きたる法律」の鋳型に嵌めようとする偏狭な日本社会(作者は太田の母と官長の意向によって,社会の傾向を見事に代表させている)とのはざまで,引き裂かれている。太田は明治の目覚めた日本人の悲観的肖像のようである。この倫ならぬ愛と世間との二律背反の葛藤は,もし江戸の近松の手にかかったのなら,太田とエリスはベルリンの道行きをしてシュプレー河あたりで情死,ってな究極の愛の姿で涙を誘っただろうが,立身出世至上の明治日本ではそれも時代錯誤である。

この弱い人間は人生の選択においても,主体性に欠け,決然たる態度が取れない。エリスか,出世か。結局,覚悟をもって決断をせず,曖昧なまま,日本の鋳型に嵌められる道にいる己を悔いている。気がつけば石炭を積み切ってしまっていたというわけである。しかも,その悔恨の因をどこか友人・相沢の所為にすらしている卑怯者である。旗色を鮮明にせず,半ば成り行き任せにし,エリスを見捨てたことを友人の行為に帰せしめる,責任回避の狡い選択の仕方。思えば,この曖昧な態度について,いまの日本人も同じだ,とは言えないか? 決めないことで,関与する他者を最悪の事態に追い込む無責任は,よく目にするところではないか?

こういう近代日本の病的性質に目を向けさせるところに,思うに,鷗外の近代的作家としての眼差しの鋭さがある。洋行した現地で恋をしたエリートであるという共通点があるにせよ,太田と作者・鷗外とを同一視することはできない。それでも,鷗外は自分のなかの類似の弱さを自覚していた,と私は思う。鷗外もドイツでエリスという,小説のヒロインと同名の恋人がいたが,彼女を見捨てて帰国した。その経緯が『舞姫』のストーリーとどこまで関連しているかは別として,のちにエリスが突然日本にやって来て鷗外に会おうとした際,鷗外は直接彼女に会うことをせず,親族に対応させて彼女を帰国させた。こういう,自ら決然と態度を明らかにすることなくウヤムヤのままに事を収拾させるやり方は,太田と相通じる無責任さを感じさせる。もちろん,これは『舞姫』の文学的価値・面白さをなんら貶めはしない。

* * *

可哀想なエリス。彼女に代わってちょっと太田に復讐したくなって来たぞ……。さて,以下は,わが『舞姫後刻』。これくらいの悪女でないと本当のファムファタールに相応しからず,というのが私の趣味である。

 エリスは癲狂院のベッドで掛布団を被ってほくそ笑んだ。あの太田って日本人はつくづく哀れな男。
 ウンター・デン・リンデンの寺院で,似合いもしない立派な洋服を着た,田舎者というのかな,あの男がこっちに歩いて来るのを見たときは,いいカモ見つけたとピンと来た。東洋人が私のような金髪で青い瞳の女に弱いのは,ヴィクトリア座に来る日本の留学生の様子でよおく知っていたから,啜り泣いてちょっと色目を使ったらすぐに引っかかった。不幸な境遇を訴え,甘えと羞恥とを交互に使い分けるのが,こういうクソ真面目タイプの相手に対するときのテクニックなの。
 父さんの葬式代。太田の腕時計を売った金でお釣りが来たもんだから驚いた。日本の留学生は国から費用が出ているわりには意外と金持ちだった。私の眼は間違っていなかったってわけだ。はじめて太田にやらせたときはもっと驚いた。二十五にもなってまだ童貞だっただなんて。なんて可愛いの? 東洋の神秘ってこれのこと? 私はまだ十七なのに,こんな大きな子供としたって感じ? 神様のお許しをさすがに乞うた。そんな子供がシラーやらショーペンハウアーやらを読めって諭すもんだから,私は吹き出すのを堪えるのがたいへんだった。そんな世迷い事は学校に通っていた時分だけで十分なのに。
 私との関係がバレて太田が役所をクビになってしまったときは,ちょっと焦った。私も,口うるさい母も,こんな金蔓,ラクな稼ぎはないと思っていたから。またぞろ,好色で,オヤジくさく,ケチなヴィクトリア座支配人の好きにさせなくちゃいけないか,って腹を括った。でも,太田は仲間の相沢の世話で新聞社通信員の仕事にありつき,給金はかなり減ったけど,新しい身入りを見つけることが出来た。おまけに相沢まで私にゾッコンになって援助してくれるようになって,こっちは前よりも稼がせてもらえるようになった。
 相沢はウブな太田と違って遊び慣れていて,私が太田の女と知った上で,体を求めて来やがった。「さあ,僕のためだけのダンスを見せてよ」なんて,気障ったらしい野郎だ。ま,金は持っていた。
 太田のヤツ。相沢がしばらく太田を追っ払いたい一心で大使に同行させるようになってから,私みたいなダンサー — そう,昼は舞台で,夜はベッドで踊らさせられる,いかがわしい,賤しい女 — なんかと不名誉な愛欲に明け暮れるよりも,偉いお役人の地位のほうが自分に合ってる,そう思い直しはじめたみたいだった。日本という国では,信じられないのだけど,お役人がお勉強の出来るだけで王侯貴族や将校みたいに威張っているってんだから,それも無理ないか。私でなくたって,日本にも綺麗な女はたくさんいるだろうし。じゃあ,手切れにどこまで踏んだくるか,ってことに私は頭を切り替えることにした。
 それにしても,太田のヤツ。煮え切らないあの態度は何? 相沢の話では一緒に日本に帰るって大使と約束しているらしいのに,「私を捨てないで」って私が泣きの演技をしたら,「きみを守るから」とか何とかカッコ付けて泣くんだから。
 なんではっきりしないのかねえこの男はって,ちょっと私もキレた。そこで,そんな苛立ちは露にも面に出さずに,「あなたの赤ちゃんができちゃった」とさも嬉しそうに告げて,太田の反応を見た。本当に守ってくれるつもりあんの? 懐妊の診断書を,そうそう,一晩寝てやった見返りとしてヴィクトリア座付きのスケベ医師・ハンスに書かせた紙を,見たときの太田のあの恐怖の表情。忘れられない。
 それで太田は卒倒して,なんと,何週間も寝込んでベッドで囈言を言ってた。何なんだ,こいつ。どこまでヤワなんだ。精神的ショックで気絶するのはヨーロッパ貴族女の使う手だよ。あんた男だろ? よし。仕上げは,私が捨てられた女の気狂いを演じて,うちの婆が大金の慰謝料を太田からいただく,ってことにした。孕ませ,気を狂わさせ,捨てた,と来りゃ,高く付くはずだ。癲狂院についても,あらかじめ,やっぱりスケベなドクトル・カールに一発やらせて,— パラノイアっての?— それらしい病名を診断させてしばらく入院できるようにしておいた。
 太田は私の狂女の演技にまんまと騙されて,傷心のまま日本に帰って行った。もちろん,太田が払うべき金は,相沢のタヌキが大使と掛け合って工面してくれた。この金,行き着くところ太田に請求が行くのかしら。それとも,大使のポケットマネーかしら。それとも,日本国民の払った税金から出たのかしら。だとしたら,日本という国はなんと面白い国なんだろう。ありがとう日本! 東洋の神秘。
 そう,相沢がいまの私の情夫,金蔓ってわけ。
 いま,ベッドで考えている。さて,次は,ほとぼりが冷めて太田の地位も少し上がった頃合いに,日本に押し掛けてたかるとするか。日出ずる国にも行ってみたい。情けない豊大郎,バカな豊大郎。私はあんたに母性本能をくすぐられるの。だから,ずっと,ずっと,これからもたくさんいただくわ。もちろん,いくらでも抱かせてあげるわ。それくらい,心底,愛してしまったの。