川崎南町を歩く

妻が会社で社長からよい知らせを得たというので,ちょっとしたお祝いに昨日の夜は二人で焼肉でも食おうと川崎駅周辺に歩いて出た。目指す焼肉店は川崎市川崎区日進町にある。JR 川崎駅を出て,まず新川通り・三十七番街を進み,小土呂橋交差点を右に折れ,南町に沿って五百メートルほど行ったところである。

三十七番街の出口,小土呂橋の交差点で信号待ちをしているとき,ふと思い出して妻に言った —「昔,終電がなくなって深夜にこの南町辺りをぶらついたことあんだよね。ちょんの間のポン引きや街娼がウジャウジャいて,声を掛けられまくったな」。いまだって韓国人,中国人の街娼がこの三十七番街周辺にウヨウヨいるんだが,と思いながら,交差点を渡る。「そうそう,俺らの結婚式の直前,1990 年五月の連休直前のころ,社宅にも入れんし,蒲田の寮も追い出されたところで,行くところがなくて川崎駅周辺のどこかで金掛けずに朝まで過ごそうと思ったんだな」。南町のいまは雑居ビルになっているところを指差して,「あそこにピンク映画館があった。で,そこでエロ映画を観,眠って,朝まで粘ろうかと思ったわけ。ピンク三本立てで六,七百円也。安上がりだろ? もう風営法刻限深夜0時をとうに越えていてソープ店も川崎ロック座(ストリップ劇場)も閉店後で辺りは真っ暗,飲屋とここだけが煌々と明かりが灯ってた」。

「入ってみるとハコはガラガラ,客席の列に一人いるかいないかって感じだった。前から三列目中央にデンと座って,缶ビール片手にスクリーンをちょいと見上げる感じで,バーンと男女のカラミ観てたわけ。気づいたら寝てた。ところが,なんかヘンだなっと思ったら,俺のすぐ右隣に男が座ってんの。ガラガラなんだよ。で,俺の股ぐらに左手を這わせて右手でもテメェのナンかをナニしてんだな。暗いし銀幕の照り返しの明暗で何が何だかわからなかったけど,とにかく,『何やっとんねんお前,気色悪い,あっち行け,ドアホ』って怒鳴りつけた。こういうとき,ついカンサイ人に戻るってなもんや。でも,そいつは何も言わず暗闇でじっとしていやがる。ちょっと不気味になっちまって,俺,ハコの後ろに逃げた。最後尾の手すりに寄りかかってまたアンアン,ハアハアの乳繰り合いを眺めてたら,こんどは右手奥から異様な気配が。若い女が三人のオッサンにお触りさせていやがる。でもよく視ると,それは女じゃなくセーラー服で女装したオカマ。オエー。ここで眠ったら無事ではおれねえって,ハコを出ちまったよ」。

電車通り(国道140号)の交差点を渡るところで,妻が訊く —「それからどうしたの?」。「南町のソープ店舗,ちょんの間飲屋,ストリップ小屋の犇めく暗闇の街角をちょっとぶらついた。ポン引き婆を振り切るのがたいへんだった。『お兄さん,もうお家にゃ帰れないんでしょお。ウチで呑んで遊んで行きなよ。イイ娘いるから,朝までいていいからさあ』って放しゃしねえ。で,いまチネチッタ(川崎の有名な老舗シネコン)がある辺りまで行って,しようがなくサウナに入った。三千円くらい取られたかな。彫物入れたヤクザがウヨウヨいて,俺ビビっちまって,オチオチ寝られやしなかったな」—「いまだったらやくざ屋さんは入店お断りなのにね。でもそんなことがあったのね,はじめて知った。なんでウチに来なかったの? あ,ここで夜遊びしてたんでしょ?」と言う妻は,そのころ横浜市綱島にいたのだった。川崎南町は,そのすぐ東側にある堀之内町と並んで,旧東海道川崎宿のころから一大風俗街として日本中に名を轟かせている。「だから言ったでしょ,残業で終電がなくなったんだって。京浜東北線で川崎まで辿り着くのがやっとで,横浜までは行かれなかったんだよ」。

川崎も少しずつ様変わりしているんだな。子供も大きくなった。と,思いきや,なんと目的の焼肉店「つるや」の前は長い行列。人気店なんである。「え? 平日の夜なのに? 予約しとくべきだったな。しゃあない,別んとこ行こ!」。結局,銀柳街にある焼肉チェーン店に行き,二人でたらふく肉を食って帰った。(川崎のローカルな話題でした。川崎市民になって 24 年,こんな下品な川崎が大好きなんである。)