Gustav Mahler - Symphonie 6

寒いですね。今日は小雨が降るなか,いつものとおり会社の往復路で 6 キロ歩いた。電車・ウォーキング途上でグスタフ・マーラー作曲の交響曲第 6 番イ短調を聴いた。Giuseppe Sinopoli の指揮,Philharmonia Orchestra の管弦楽による演奏。1987 年,西独 Deutsche Grammophon 輸入盤。

この曲のレコードは,日本国内盤についてはほぼすべてといってよいくらい,「悲劇的」という題が付けられている。私なんかはこんな表題を見ると「ダッサー」と思ってしまう。陳腐なロマン主義。ドイツ・ロマン派ってのはなんでこんな大上段に振りかぶったダサい身構えをするのだろうかと。ベートーヴェンの 5 番のシンフォニーのレコードにもほぼ例外無く「運命」と書いてある。ダッサー。でも,マーラーも,ベートーヴェンも,正式にこれらのタイトルを作品に冠したわけではなさそうなので,どうやら,こういった表題を付けずにはおれない日本のクラシックファンこそが「ダッサー」ということになりそうである。CD の海外盤ではこうした表題を印字しているのはむしろごく稀である。

ところで,この作品は第二楽章と第三楽章を演奏する順番を巡って論争があるそうである。私のもっとも贔屓にしているマーラー演奏家,ジュゼッペ・シノーポリは,Scherzo を第二楽章,Andante moderato を第三楽章として演奏している。このほうが古典的形式に合致すると私は思うのだけれども,マーラー自身は Andante - Scherzo の順で演奏したという国際マーラー協会の説(2003年)が現在では主流になり,最近の演奏では Andante - Scherzo の順が一般的なのだそうである。「へえー」なわけだが,病的でダサい論争だというのが私の感想。私はやっぱりシノーポリの「古典的」な構成による演奏が好きである。今度,CD プレイヤーの再生順序を track 1 - 3 - 2 - 4 に変えて聴いてみるか。

マーラーの 6 番はたしかに,悲愴で威圧的で「悲劇的」な行進曲風ではじまる。けれども,明暗がめまぐるしく変転し,強弱・陰翳に富んだ繊細なオーケストレーションは,「悲劇的」というレッテルなどどうでもよいと思わせる官能がある。

Symphonies 6 & 10
G. Sinopoli (Dir)
Philharmonia Orchestra
Polygram Records (1990-10-25)