平成も二十六年,午となりました。あけましておめでとうございます。今回の年末年始は,子供たちが遊行で出払って,二十四年ぶりに妻と二人だけで過ごした。紅白歌合戦を始めから終わりまで見通したのはこれがはじめてである。漢詩を少し読み,Web プログラミングをし,ま,寝正月。
年初の一枚。エクトル・ベルリオーズ作曲『幻想交響曲 — ある藝術家の生涯のエピソード』作品14 — Hector Berlioz - Symphonie fantastique, Épisode de la vie d'un artiste, Op. 14。演奏はヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の管弦楽。1975 年,西独 Deutsche Grammophon 輸入盤・アナログレコード。
この作品は 1830 年,作曲者が 26 歳の年に書かれたもの。管弦楽のためのソナタともいうべき交響曲としては珍しく,表題を伴う五つの楽章からなる大曲である。文学的テーマをもったいわゆる標題音楽のはしりである。各楽章の題は次のとおり。— I. Rêveries, Passions(夢想,情熱),II. Un bal(舞踏会),III. Scène aux champs(野の風景),IV. Marche au supplice(断頭台への行進),V. Songe d'une nuit du Sabbat(サバトの夜の夢)。ロマン主義的紋切型の大行進といったモチーフの列である。
暗い世界に差す黎明のような第一楽章の霊的なまでに美しい弦楽。私ははじめてこの曲を聴いたときそれにうっとりとした。ところがベルリオーズはこれに「彼はまず,あの魂の病,あの情熱の熱病,あの憂鬱,あの喜びをわけもなく感じ,そして,彼が愛する彼女を見る」という物語を押し付けて来る。こんなサイケで牧歌的で夢幻的で狂躁的な美しい音響に,なんで陳腐なロマン的物語を強要するのかね,といぶかしくなる。けれども,これこそがロマン主義時代のバイロン風自己中心的藝術家像であり,音楽の精神的背景,作曲家の内在的論理としては尊重すべき思想である。ベルリオーズのような文学的音楽家にとって音楽とは,己のロマン主義的自我を称揚・鼓舞する付随的伴奏,いまの映画音楽のようなものだったのかも知れない(もちろん,ロマン派にあっては主人公は作者その人である,そういう映画の音楽だろう)。
志賀直哉がスタンダールの『パルムの僧院』を読んで「なんだ,ただの愚連隊」と酷評したとすれば,私などは『幻想交響曲』の表題物語を読んで「なんだ,ただのストーカー殺人犯の戯言」と言いたくなる。しかし,それはあくまでロマンティックな,いまとなっては陳腐極まりない表題物語に対してであって,この素晴らしい音楽はそれ自体で神業に近い響きをもっている。
この盤は 1975 年に出た,カラヤンの古いアナログ録音であるが,音場の深さ,広さ,きりりと締まった造形という点で,彼のその他の録音よりも私は高く買っている。現在でも CD で容易に入手できる。
Berliner Philharmoniker
Polygram Records (1990-10-25)
ついでに,比較的録音の新しいお気に入りの CD もあげておく。ジェームズ・レヴァインがベルリン・フィルを指揮したもの。"Chasse Royale et Orage"(王の狩と嵐)とのカップリング。
Berliner Philharmoniker
Polygram Records (1992-06-16)